日本の8mm映画を世界が一挙に目撃する日!

日本独自の文化、という言葉は、あらゆる場面で耳にします。映画でも、しかり。
私たちPFFの紹介している「自主映画」も、日本独自の文化です。
かつて、35mmフィルムで撮影するのが常識だった「映画」。記録映画には使われていた16mmフィルムで撮ることさえ夢のようだった「映画」。それを、私的楽しみに向けて開発された8mmフィルムを使って実現しようとした、そんな「8mm自主映画」の情熱が、日本に大きく渦巻いたことを知る人は、今や少ないかもしれません。

「フィルム」というフォーマットしかなかった時代に、「簡易な記録道具」として1932年に生まれた8mmフィルムが、1965年に、コダックや富士フィルムの工夫で「カメラも映写機も一般家庭に普及する」ということが起こりました。フィルム一巻が約3分。そんな「8mm巾の映画フィルム」で「劇場用長編映画をつくろう!」と決意する"まさか!"の熱意が、日本で燃え盛ったのです。

ちなみに、映画館で公開される映画のフィルムは、かつてのスチルカメラと同じく、35ミリ巾フィルム。スチルカメラが一回に一コマのみの撮影であるところを、ムービーキャメラとフィルムはその連続撮影が可能で、一巻のフィルムでおよそ10分間の撮影ができました。勿論、撮影されたフィルムがそのまま映画になるのではなく、現像、編集、音入れ、などの仕上げ作業の後、映画黄金期の劇場公開作品は、およそ7巻から10巻程度で完成するのです。撮影自体は、その数倍から、予算によっては数十倍のフィルムを使って撮影が行われます。が、勿論、個人ではなく、専門的職能集団が協力して、創り上げるのです。

話は戻りまして、8mmフィルムとは、約3分しか撮影ができない=90分の長編映画をつくるには、単純に"30巻のフィルムの何倍、何十倍かの量"を必要とするのです。更に、8mmフィルムは、ネガがない。撮影したフィルムの現像をすると、その撮影フィルムそのものが唯一のポジフィルムになり、ネガが存在しないという恐ろしい現実=編集し音を入れた切り貼りした完成プリントが紛失したらもうこの世から消える、という運命が待っているのです。

前置きが長くなりましたが、そのような、手間暇のかかる、リスクの高い創作に、日本全国の主に男子が燃え上がったのが、70年代から80年代の8mm自主映画の時代です。
大学映研(映画研究会)のみならず、高校、中学でも映研が設立されていた時代です。
・・・と書きながら、私はPFFの諸先輩や監督の皆さん、様々な資料からの耳学問がメインですいません。
そして、PFFでは、80年代に8mm映画の紛失を防ぐために、PFL(ぴあフィルムライブラリー)を立ち上げました。入選8mm作品の複製プリントをつくって保存する活動です。人に貸した本や漫画やレコードやCDやDVDが戻ってこないという体験は多くの方がお持ちでしょうが、自主上映に貸した8mmフィルムが行方不明になった!!ということが頻発していた状況に、危機感を募らせた結果です。(PFLは現在も機能しておりますが、上映会の状況が大きく変わりました。が、この話は、また別の機会に・・・)

さて、あの熱い、90年代初頭までの自主映画の時代を、多くの人に体験してもらうことを、これまで国内では何度か実践してきました。近年では、東京国立近代美術館フィルムセンターで企画いただいた上映シリーズ「ぴあフィルムフェスティバルの軌跡」Vol.1Vol.2Vol.3、テアトル新宿のオールナイトイベント「ルネッサンスPFF」「ナイトトリップ in PFF」「夜のPFF課外授業 入門!インディペンデント映画」。しかし、8mmフィルムに字幕を入れることは不可能であること、8mmの映写機で上映するという方法で特集上映を実現してきたこと、など、数々の理由から海外での上映は現実味を持って考えることは出来ないできました。
が、世はデジタル時代。技術とお金で何かができる可能性が生まれているのかもしれない・・・と思っていながら、そのふたつこそ、すごく課題だと煩悶していたところに、ベルリン国際映画祭と、香港国際映画祭からの「8mm映画の特集に興味がある」と!!!香港国際映画祭のキュレイターであるジェイコブ・ウォン氏がテアトル新宿でのオールナイト上映に通ってくださり、ベルリン国際映画祭フォーラム部門のディレクタークリストフ・テルヘヒテ氏と盛り上がってくださった結果です。早速およそ2年に渡るやりとりと、PFF事務局での試写の結果、"PUNK"というキーワードとともに、11作品を、映画祭の新たな試みとしてプログラミングすることが決まりました。

1.石井聰亙(岳龍)監督『1/880000の孤独』(1977)
 塚本晋也監督『電柱小僧の冒険』(1988)
2.園 子温監督『俺は園子温だ!』(1984)
 緒方 明監督『東京白菜関K者』(1980)
3.山本政志監督『聖テロリズム』(1980)
4.手塚 眞監督『UNK』(1979)/『HIGH-SCHOOL-TERROR』(1979)
 矢口史靖監督『雨女』(1990)
5.園 子温監督『男の花道』(1986)
6.諏訪敦彦監督『はなされるGANG』(1984)
7.平野勝之監督『愛の街角2丁目3番地』(1986)

60年代末から、ビデオに創作フォーマットが移行する90年代の頭まで、そこには傑作8mm作品が溢れています。今回のプログラムは、実際に試写できたもの、そして、大きなくくりでプログラムの枠がみえるもの、という条件下でのセレクションになりましたので、8mmフィルムの時代の「代表作品」ではありません。が、「8mmフィルムを使って今、映画館で大ヒットしている映画を超えるような映画をつくる!」「人々を仰天させる自分にしか出来ない映画をつくる!」、という熱意と、夢と、一種の狂気に溢れた、あの時代の息吹を感じさせるPUNKな作品群です。

正直、8mmフィルムの自主映画という純粋に「個人の映画」を、海外での、映画祭での、大スクリーン上映に耐えうるフォーマットで作成する、つまり、「デジタルリマスターする」という多くの方がぱっと思い出すであろう作業は、フィルムの性質や、デジタル化の作業過程で、現実にはほぼ不可能なのですが、多少でも高い画質を獲得するために、2K変換を試みました。まずは実現できる現像所探しから始まったのですが、東京現像所が引き受けてくださいました。経年の激しい作品ばかりですので、汚れやカビを落とそうとすると色が落ちる、音が剥がれる、という問題、フィルムを繋いだテープが伸びて、貼り直し必須、などなど、胃の痛い、はらはらする事態には事欠かない毎日でしたが、なんとか完成がみえてきました。
勿論、同時進行で、英語字幕の作成も必要になるのですが、当然、字幕作成のためのダイアログリストの書き起こしから始まります。ご協力くださった皆様、ありがとうございます。
時間のゆとりのない字幕制作は、日本映像翻訳アカデミー(JVTA)が引き受けて下さいました。

そして、2月11日から始まるベルリン国際映画祭で、この国際プロジェクトが発進です。
さて、日本独自の8mm自主映画文化。一体どんな反応を巻き起こすのか?今後、できるだけ多くの映画祭での上映を実現したいとおもっていると同時に、「作品の保存」や、「映画の歴史」という、映画の基本の基本である避けることのできない課題を改めて考えることを突きつけられた、映画生誕120年を迎えたばかりの2016年です。