それでも映画は生まれ続ける──荒木啓子ディレクターインタビュー

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「PFFアワード」のセレクション・メンバーを長年務めてくださっている、フリーライターの木村奈緒さんによる、荒木ディレクターのインタビューを掲載します。

PFFアワードをよく知る、木村さんならではの目線で、改めて荒木ディレクターに迫っていただきました!



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荒木啓子ディレクター

9月12日から開幕する第42回ぴあフィルムフェスティバル(以下PFF)。映画祭の中心である自主映画のコンペティション「PFFアワード」では、480本の応募作から選出された17本の入選作が上映される。2015年よりセレクション・メンバーを務める筆者にとって、まだ誰も目にしたことのない作品に触れる日々は、異なる他者の視点を通して、自らと、自らが生きる世界を知る、一年で最も刺激的な日々であった。この刺激を分かつべく、今回あらためて荒木啓子ディレクターに話を聞く機会を得た。作り手・観客双方にとって、本稿が自主映画・PFFへの入口のひとつとなれば幸いである。(取材・文=木村奈緒)


■自主映画という原点

23,358本──これは、1977年の第1回から第42回を迎える2020年の間に、PFFアワードに応募された自主映画の総数である。PFFアワードは応募に際し、作品の長さ・ジャンル・応募者の年齢・性別などの制限を設けておらず「誰でも参加できる自主映画のコンペティション」を謳っている。それはすなわち、2万3千本超という数字が単なる数字ではなく、2万3千通りの作品・作り手が存在することを意味する。

「《自主映画とは》といった定義はしていないです。《誰からの依頼もなくつくられた映画》と表現していたこともあるのですが、劇場公開を前提とした、いわゆる商業映画にもそういう作品は珍しくないと気づき、《自分が自主と思ったら自主》と言うしかないかなと。今、映画・映像の世界で活躍している方々の中には、監督に限らず、プロデューサー、カメラマン、脚本家、美術などの専門職や映画ライターなど、あらゆるところに、自主映画体験のある方が相当数おられる。自主的に映画をつくったことが全ての始まり、というのが当たり前なのは日本の特徴です。そもそも60年代から80年代に燃え上がった「8ミリフィルムで長編劇場映画を作ろう!」なんて発想自体、他の国では衝撃的。だから、PFFはものすごくオリジナルな映画祭で、海外の映画人に日本の自主映画の歴史を伝えるたびに眼を白黒されます」(荒木)


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「8ミリ・マッドネス!!」ビジュアル

その言葉のとおり、石井聰亙(岳龍)、園子温、塚本晋也らの8ミリフィルムによる作品を紹介したプログラム「8ミリ・マッドネス!!〜自主映画パンク時代〜」(第38回PFFで上映)は、第66回ベルリン国際映画祭を皮切りに、香港、台湾、中国など各国から熱烈なオファーを受け、世界を巡った。
1本あたりわずか数分(24コマ/秒で撮影した場合は2分30秒、18コマ/秒だと3分20秒)しか記録できない8ミリフィルムを用いてまで長編映画が作られた背景には、60年前のテレビの急速な普及による映画産業の衰退の始まりがあった。映画監督への道が閉ざされゆく中で、それでも映画を志した若者が手にしたのが、ホームムービーの撮影機材として手近にあった8ミリカメラであり、そうして作られた自主映画を商業映画と同じく映画館の大スクリーンで上映し、監督たちをより大きな世界へと紹介してきたのがPFFだったのだ。


■映画への並々ならぬ情熱

こうして誕生した世界でも類を見ない自主映画は、撮影機材や製作環境などの変化はあれど、現在に至るまで脈々と息づいている。第42回PFFには、480本の応募があった。

「日本で自主映画がこれほど発展したのは、70、80年代の学校、特に大学の映画研究会、いわゆる映研の力じゃないしょうか。映研で8ミリの長編映画を作って、映研同士で上映会を開いて交流する。そこから映画の世界に入った方々が今60歳ぐらいで巨匠になっています。

例えば、今回のPFFの企画のひとつ「WOWOW連続ドラマWシリーズをスクリーンで」で上映する『夢を与える』の犬童一心監督は早熟な映画少年で、高校時代の作品『気分を変えて?』で1978年のPFFに入選しておられます。当時の犬童さんは劇場映画も勿論浴びるようにご覧になっていらしたのですが、大学映研のヒーローたちを追っかけて、あらゆる自主映画の上映会に出没する有名な高校生だったようです。犬童監督のつくられた大林宣彦監督のドキュメンタリーも、膨大な映画知識と映画愛にあふれていますよね。『悪党~加害者追跡調査~』の瀬々敬久監督は、関西の大学で自主映画の制作と上映活動をしておられました。卒業後はピンク映画の助監督を始めるのですが、男女の絡みを入れるという制約を守れば、週替わりで新作を、それも35ミリフィルムで制作できるピンク映画の可能性は、高く謳われていました。


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80年代の映画祭会場

映画の学校と言えば、今村昌平監督のつくった日本映画学校しかない時代です。映画とは全然関係ない大学・学部に行きながら、映画が好きで好きで好きで、観るだけではなく、創る人たちが普通にいたわけです。映画監督たちが観ている映画の量は尋常じゃないと常に驚愕しますし、映画にかける情熱は相当なものだったろうと痺れます。その後、大学映研が徐々に廃れてきて、並行するように映像学校・映画大学が増えていった。つまり、就職を前提とした教育機関の選択に映画・映像が入ってきた。それは同時に、映画がフィルムからデジタルへと移行する時代でもありました。プリプロダクションやポストプロダクションが大きく変わっていき、ジャンル映画が失われていく21世紀に入り、現在に至ります」


■あらゆる状況を楽しめる人を増やす

犬童一心監督のように、PFFアワードの入選を経てプロの映画監督として活躍する人は今や140名を超え、PFFは映画監督の登竜門的な映画祭となった。しかし道行く人の誰もがPFFを知っているかと言えば、そうではないのが現状だ。

「我々、宣伝うまくなりたいなあ、力入れたいなあ、と思ってはいるのですが、予算をそこに注がないんですよね。どうしても、セレクションや上映が最優先になってしまう。無名の監督の作品に見知らぬ人を振り向かせるのは、簡単ではないです。「映画観にいこう」と思って自主映画を選ぶ感覚は、メジャーではない。何に限らず、有名なモノにはお金を出すけど、素人の作ったモノにお金を出したくないって人、多いでしょ?お墨付きじゃないと不安ということに繋がるのか、コスパという概念に縛られるのか。真っ白なものを楽しむには、ある種の《楽しむコツ》を掴むことが必要なのかな?そのコツを明言化して伝えるのが宣伝なのかな?とか、いろいろ考えるのですが、ともかく、あらゆる状況を楽しめる人を増やしていくのが課題かな。そんなことを考えながら試行錯誤しています。ですから、セレクション・メンバーや最終審査員の皆さんは、そこを体現なさっている方にお願いしています」


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今年の最終審査員(敬称略/五十音順) 大森立嗣、齊藤 工、樋口泰人、平松 麻、古厩智之

荒木ディレクター曰く、映画祭を楽しむ秘訣は「とりあえず時間が合うものを全部観ると決める」こと。

「少なくとも何かの出会いがある、そんな映画を揃えている場所です。たくさん浴びて、自分の嗅覚を磨いていく楽しさが、映画祭の楽しさ。ああ人生、ですね。今年は、残念ながら当日券の発売が出来ませんので、ふらっと来て、ちょっと観てみるか~みたいなことが出来ません。ともかく気になるものは観ちゃおうという感じで、前売り券を是非買って欲しいです」


■映画祭は「商売」ではなく「文化」

自主映画に足を運んでもらうことに加え、今年は新たな課題も抱える。新型コロナウイルスの感染防止と映画祭の両立だ。世界中の映画祭が延期や中止を余儀なくされたり、オンラインでの開催に切り替えたりする中、PFFは、座席数の削減や一部オンライン配信などの感染対策を講じたうえで、例年どおり国立映画アーカイブで来場者を迎える。

「映画祭の醍醐味は、観客と作り手が交流できることだから、それができない映画祭に来て良かったと思ってもらうためにはどうするか、は大きな課題です。でも、実映画祭をやらないという選択肢は絶対にないですね。

映画館にこれだけ人が行かないとなると、スクリーンで映画を観る体験をしないまま映画を作っている人も珍しくなくなりつつあります。大きく映された作品を、共通の空間で見知らぬ人と観るという体験から始める時代です。だからこそ、我々は映画文化として、スクリーンでの上映、観客とつくり手の交流を続けます。つまり、映画祭は「商売」じゃなくて「文化」なんです。商売の観点で言えば、映画館を運営するよりも、配信の方がずっと効率がいいと当たり前に話される時代が来るかもしれないのですが、私たちにとって映画祭は、映画そのものを、そしてそれを生み出す人が120年変わらずいることを、映画の原初的な驚きを紹介し続ける場所なのです」

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会場では観客と作り手が交流できる


■全人類が映画ファンだし、映画は絶対になくならない

そんなPFFで上映されるのは、自主映画だけではない。招待作品部門では、前述の「WOWOW連続ドラマWシリーズをスクリーンで」に加え、ロイ・アンダーソン監督特集、石井裕也監督最新作『生きちゃった』の世界初上映、音楽と映画の2つの視点を通してブラックカルチャーを知る「ブラック&ブラック」などのプログラムが並ぶ。


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今年の特集は、ロイ・アンダーソン監督

「まだ海のモノでも山のモノでもない入選監督たちに、この作品を知っていると創作のヒントになるよとか、この人の話を聞くと生きてて楽になるよ、といった映画や監督を招待作品で紹介しています。ですので、招待作品部門は、アワード作品あって生まれた部門とも言えます。さきほど、《映画ファンのため》という言葉を使わない自分にふと気づいたのですが、全人類が映画ファンだと思っているみたいです。我ながら驚きますが。ともあれ、観客はアワードや招待作品を通して、自分は何者であって社会をどう見ているのかを知る。映画を通して自分を知ることこそ、客席の醍醐味ではないでしょうか。だから、「この作品の見どころはどこですか」という慣用句が早く消えて「私はここが素晴らしいと思いました」って言葉が主流になってほしいですね。観客が映画を発見する、発見の楽しさを伝えて欲しいです」

荒木ディレクターは、PFFを「普遍的な人間の好奇心みたいなもの、何かを生み出したいっていう気持ちを形にしたものなんじゃないか」とも言う。世界に目を向ければ、苛烈な現実は山とあり、時に絶望的とすら思う。しかし、それでも人は何かを生み出す。そのひとつが自主映画であることは間違いない。

「私が最近ふと思うのは、アワードを観た年と観てない年では、世の中の見え方が違ってくるかもしれないなということ。アワードを観ていると、こんなに一所懸命な人たちがいるんだ、日本の未来は明るいって思うんです。映画会社が監督はじめ、専門家を雇用して会社組織の中で映画を作る仕組みが機能しなくなり、映画監督が職業として保証されなくなったからこそ、豊かになったのが自主映画です。半世紀以上前までは、職業としての映画監督があった。世界に冠たる日本映画界があった。その時代には戻れないけれど、それでも映画を、という人が恒常的に生まれている。つまり、映画はこの世にあった方がいいもので、絶対になくならないという前提でやっています。そのことを、毎年、アワード作品に繰り返し教えられます」

私が、PFFアワードのセレクション・メンバーほどやりがいのある仕事はないと思うのも、アワード作品がこの世界における希望と映るからである。この秋、自主映画という光明に出会う人がまた一人増えることを心から期待している。