鈴木卓爾監督&矢口史靖監督登壇!PFF×早稲田大学講義「マスターズ・オブ・シネマ」オフィシャルレポート

映画祭ニュース

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今年で4回目になるPFF(ぴあフィルムフェスティバル)と早稲田大学の講義「マスターズ・オブ・シネマ」のコラボレーション企画を5月25日(土)に開催。
今回は、現在『嵐電』が公開中の鈴木卓爾監督と、8月に新作『ダンスウィズミー』の公開を控える矢口史靖監督をゲスト講師としてお招きしました。
講義の参考上映作品として、これまでPFFが紹介を続けてきた鈴木監督と矢口監督による、1シーン1カットの1話完結短編映画『ワンピース』を学生のみなさんにご覧いただき、おふたりの映画づくりについて質疑応答を交えながら90分に渡りお話を伺いしました。

ゲスト:鈴木卓爾監督 (以下、鈴木)、矢口史靖監督 (以下、矢口)
司会進行:荒木啓子(PFFディレクター)、土田 環(早稲田大学 理工学術院 基幹理工学部 表現工学科講師)

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――鈴木監督と矢口監督は、東京造形大学の先輩と後輩という間柄で。鈴木監督が矢口監督の1つ上で、古くからの友人であり、ライバルでもあるといっていいですかね。まず、最初に出会ったときの互いの印象をお伺いできればと。

鈴木:東京造形大学で映画研究会をやっていました。確か、早稲田大学は当時、映画サークルだけで10ぐらいあったと記憶するんですけど、僕らの大学は小さくて、映画サークルはひとつだけ。それで新入生の勧誘活動で、ちょうど今日のこのような教室で自分の作った映画を上映したんですけど、それを新入生の矢口さんが観ていた。

矢口:その(鈴木さんの)作品がすごく面白かったんです。鈴木さんが素っ裸で大学近辺の高尾の山を走り回っている映像だったんですけど。

鈴木:靴だけは履いていました。素足だと小枝など踏んで刺さって足から血が出てしまうので。

矢口:その時に、映画って自分で作っていいんだ! とハッとしたんですね。それで映画研究会に入ったのが運の尽きといいますか。そこからもう足を踏み外した人生ですね(苦笑)。たぶん、鈴木さんとの出会いがなければもっと金回りのいいビッグ・ビジネスをしていたと思います(笑)。

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――そこから関係がスタートして、それぞれに大学在学中に発表した作品が、PFF(ぴあフィルムフェスティバル)で受賞されます。

鈴木:僕は3回生のときに撮った『にじ』という作品がPFFで審査員特別賞をいただきました。その年のグランプリは塚本晋也監督の『電柱小僧の冒険』でした。

矢口:そういう人が身近にいると、自分もできるんじゃないかとつい思っちゃうんですよ。多分そういう人がいなかったら、PFFなんて遠い存在だと諦めてしまうと思うんですけど。鈴木さんの受賞で僕は完全にスイッチが入りました。それで応募した『雨女』がPFFでグランプリを頂きました。

――受賞の際で覚えていることは?

矢口:授与の時、篠田正浩監督にトロフィーを渡されたんですけど、その場で「君は社会性を身に着けないと、この先やっていけないよ」と(笑)。授賞式という晴れの場で、みなさんの前でお叱りを受けてしまいました(笑)。でも、今になっても、篠田監督のその言葉は正しかったと思います。

鈴木:僕も社会性といいますか社会人としての常識がまったく備わっていなかったです。僕は大島渚監督に賞状をいただいたんですけど、受け取る直前までコートに手を突っ込んでいたんですね。それが当時まだあった雑誌の「ぴあ」のリポート記事の写真にばっちり掲載されている。生意気だったと思います。

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鈴木卓爾監督

――お二人とも、卒業後はどこかに就職したわけではないんですよね?

鈴木:まったく就職してませんでした。

矢口:ここにお集まりの学生さんたちは、まさかと驚くかもしれないんですけど、当時の東京造形大の学生は、全員ドロップアウト学生といいますか‥‥個人的見解ですけど、就職しないとまずいと心配するような学生がほとんどいなかった。大学を卒業するタイミングに合わせて、リクルートスーツをきて就職活動する人なんて見たことない。

鈴木:いや、ちゃんと就職活動をしていた人もいたと思うよ。僕らが自分の映画を作ることしか考えていなかったから、目に入らなかっただけじゃないかな。

矢口:でもそれぐらい、大学を卒業して、1年か2年ぐらいの間にどうにかしなきゃという意識がなくて。切迫していない。好きなことしていれば、なんとかなるんじゃないかと、楽観的に考えていたんです。

――そんなころだと思うのですが、矢口さんはPFFでグランプリを獲得して、スカラシップ作品『裸足のピクニック』を作ることになる。そこに鈴木さんもスタッフで入ることになる。

矢口:当時はPFFでグランプリを獲ると、イコールでスカラシップ作品が撮れたんですね。ただ、権利は得たんですけど、その後は自動的に何から何までプロがフォローしてくれるって訳ではなかった。どうやって作るかは自分で模索しないといけなかったんですね。当時、僕は脚本の書き方さえ知らなかったので、まず脚本の教則本みたいのを買ってきまして。

鈴木:えっ、ということは、それまで矢口さんは脚本を書いていなかったということ?それはどういうことなんでしょう?

矢口:すべて口伝えですよ。頭で考えたことを、ちょっと絵コンテ風なもの用意して、「今日はこういう感じのことやるから」と。その日、その日に出していく。ただ、スカラシップ作品となると商業映画ですから予算も決まっていて、撮影スケジュールも決まっているので、そんな成り行き任せは許されない。まずは、シナリオが無いと何も始まらないので、プロデューサーに書くように促されまして。それで一人じゃ心細かったので、鈴木さんと、もう一人の先輩、中川(泰伸)さんに頼んで、『裸足のピクニック』は3人で脚本を書きました。

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矢口史靖監督

――なにか脚本作りでルールはあったんですか?

鈴木:ルールはゴールを考えちゃいけない。常に次のことだけを考える。ここまではおもしろい。じゃあと次に進んで、続けていく。それでなにか面白くなくなっていたら、どこからつまらなくなっているのか問題点を探って、その起因をつきとめて、そこに戻って、またアイデアを練り直す。その繰り返しでした。

矢口:もう一つ厳しいルールがありました。「それ、なんかの映画で観たことある!」と誰かが言い出したら、そのアイデアは却下。何かの真似は封印しようと。

鈴木:いま思い出しましたけど、それ途中から僕は嫌気がさして、「気づいていないからいいか」というところありました。完全な裏切り行為ですね(笑)

矢口:えっ、それどこ。

鈴木:いや気持ちだけ記憶しているから、どこかはもうわからない。

矢口:今頃明かさないで欲しい…。

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――そんな感じでお二人は互いの作品に関わったりしながら、映画を作っていくわけですが、『ワンピース』のコンセプトはどこから生まれてきたのでしょう?

矢口:僕からの提案です。『裸足のピクニック』を完成させて、劇場公開すれば、それを観た誰かがすぐに次回作をプロデュースしてくれると思っていたんですけど、そんなに上手くはいかず。次の『ひみつの花園』を作るまでに、時間があり余っていたんです。ものすごい暇なのに、お金もない。でも、何か作りたい気持ちはある。自分の思いついたアイデアをさっさと映画にしたい衝動にかられたんですね。思いついたその日に、集まることができた人だけで、その日のうちに撮り終えて、なんだったら打ち上げもその日にやってしまう、みたいなことできないかなと。それが、どういう撮り方なら可能なのか考えた時、ワンピースの手法ですね、撮影中にカメラは一切触れない、1シーン1カット、アフレコや音楽ダビングをはじめ、一切の編集はなしというルールを思いつきました。

鈴木:僕は、今回、なぜこんなことをはじめたのか根本を考えてみたんですけど、僕も矢口さんも、大学時代、かわなかのぶひろ先生のゼミを受けていたんです。かわなか先生はドラマを作ったりするような監督ではなかったんですけど、フィルムを使った実験映画を作っている映像作家で、その世界では巨匠といっていい存在。たとえば、ありふれた日常をすごく柔軟な感じで小さな8ミリカメラで日記のように毎日毎日きりとっていく。今みなさんがスマホで日常的にやっているようなことを、半年や1年かけて、ずっと撮りためていく。その映像をあるときに、編集でつなぎあわせていって、視点としてはきわめてパーソナルだけれども、そこからなにか通常のドラマでは生まれない瞬間を映し出す。そんな実験性あふれる映像作家で。その先生の影響があった気がします。
あと、当時はちょうどビデオカメラが出てきたころ。それまで僕らは8ミリフィルムで映画を撮っていました。8ミリフィルムだとフィルム代と現像代などいれると3分の映像を手に入れるのに2,500円ぐらいかかったんですね。でも、ビデオだと、当時はHi8でしたけど、2時間ぐらい撮ることができて、そのテープ代だけで済む。ビデオって安くてこんな映像が作れちゃうのと思いました。今の人たちは「2時間しか撮れないの」というかもしれない。でも、当時の僕らにとってビデオは宝の山に思えました。その恩恵があったからできたのが『ワンピース』だった気がします。

――ちなみに『ワンピース』で矢口監督にとっての鈴木監督のベスト作品、鈴木監督にとっての矢口監督のベスト作品は?

鈴木:僕は現段階の矢口さんの最新作『カメレオンマン』かな。かれこれ『ワンピース』を作り始めて、20年ぐらいが経つわけですけど、お互い年齢的にもそろそろ頭が固くなってきていたりするわけじゃないですか。そんなときに、こんなくだらないことを思いつく。この矢口さんの発想力には感動を覚えます。あと、これを撮影しているときに、真夏の炎天下の多摩川の誰もいない敷地の側溝を矢口さんがみつけてきて。その側溝の上で田中要次さんとか錚々たる俳優さんが、誰もいないところでマイク1本を前にしゃべって演じているんです。たぶん、傍からみたら無名の声優さんが練習しているようにしかみえない。あと、カメレオンの舌ですけど、あのスライムを垂直に落下させる装置をこのために編み出してる。ほんとうにばかばかしいことが、今もこの人はできるんだと、心の底から感動しました。

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『カメレオンマン』

矢口:僕も現場で自分自身でこう思いました。「僕はまだバカがやれる」と。自分でもすごい若いと思った。鈴木さんの作品では『サウンド・オブ・中学教師』かな。『ワンピース』ってそもそも楽に作りたい一心で思いついたやり方なわけですよ。なのに『サウンド・オブ・中学教師』は2日もかけて撮っている。

鈴木:ダンスを練習するのに1日必要で。あと、なにも用意していない状況で役者さんを集めたので、田中要次さんに作曲してもらうところからはじまったりしたんですよ。

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『サウンド・オブ・中学教師』

矢口:この現場には行ってなかったんですけど、鈴木さんから報告があって「1日目に撮ったけど、あまり上手くいかなかったから、もう1日やる」と。それを聞いたとき、僕は怒り心頭だったんです。ワンピース精神に反すると。『ワンピース』はもっと気楽に取り組むべきものではないか。頑張っちゃったら「ワンピース」じゃなくなるんじゃないかと。ただ、観たらものすごく面白かったので、まあいいかとなったんですけど。

鈴木:当時、わたしと矢口さんには『ワンピース』に対する考え方の違いがあったと思います。正直に話します。当時の僕には矢口さんに対する嫉妬があった。そのころ、矢口さんは『裸足のピクニック』と『ひみつの花園』が公開されて、いわゆる20代のスター監督になっていたわけです。一方、自分はというと何者でもなく、そもそも長編映画をとれていない。『裸足のピクニック』の現場を務め、上映を日比谷でみて、お客さんが笑ったり喜んだりする姿をみて、8ミリでパーソナルなもの作ってきたけど、自分も商業映画を作ってみたいと思った。でも、完全にスタートが遅れた。そういう意味で、当時の僕にとっての『ワンピース』は俳優さんを演出するはじめての試みで。「わたしはこれで認められたい!」という承認欲求がメラメラとありました。対して、矢口さんはすでにひとつ長編映画を作るという流れの中で、趣味とはいわないけど、商業映画の制約とか大変なことのしばりから逃れるためにやっているように僕には映っていた。「ワンピース」に対する2人の向き合い方にちょっと差異があったと思います。

矢口:僕も『ワンピース』は、いつか映画で使えるアイデアになるであろうと撮っているわけではないですよ。大切な趣味の時間。とても個人的な映画作りだと思っています。

――いずれにしても、『ワンピース』は自身の創作において大切で何か影響があるものだと?

鈴木:『ワンピース』は変な話ですけど、映画について改めて考える時間になるといいますか。僕の場合、自分も出演してしまうことがほとんどなので、カメラの側に誰もいないことも珍しくない。役者たちがああだこうだとやっているのを、カメラだけがじっとみていることがほとんどなんです。すると、不思議なことをやっていることに改めて気づくといいますか(苦笑)。考えさせられるんです。「映画っていったいなんなんだろう」と。

矢口:僕は制作的な話になってしまうんですけど、長編だろうが短編だろうが、スタッフがいて、スケジュールがあって、シナリオがあると、ある段取りが否応なく存在することになる。例えばこの俳優は何時までに終わらせないといけないとか、今日は何カット撮らなきゃいけないとか、予算的にこのシーンはカットしようとか、制作上の色んな制約が生じることになる。演出と同時に色々なところに目を配らないといけない。でも、『ワンピース』は一切の制約から解放される。編集もしなければ、カットも割らない。1日中、そのワンカットの演出だけに時間と労力を注げる。僕にとっては純粋に演出だけを楽しめる至福の場所です。

鈴木:付け加えておくと、ここで矢口さんの言う演出というのは、俳優に対する演技指導みたいなものだけじゃない。映像をどういうふうに創意工夫して、自らの目標を達成させるかも含むと思います。
あと、最近わかったんですよ。「映画」って何かと問われたときの答えが。映画って、世の中を四角いフレームで切り取ることなんだと。なんだという感じでしょうけど。フレームの内側と外側と境界線をもうけると、人はそこを意識せざるを得なくなってしまう。たとえば、人の顔のアップだけを撮ると、逆にその外側に関して、人は絶対に想像をめぐらしていく。それが映画なんだなということがわかった。わたしは『ワンピース』で、どこから人が出てくるかわからないようなことをよくやってるんですけど、今回の新作『嵐電』でも内と外の空間に重点を置いていることをやっていて、自分はずっとそこに映画を感じて大切にしているんだなと思いました。
それから、とんでもない設定をするのも『ワンピース』から一貫している。わたしはどこかで「面白ければいい」というのがあるんです。だから、後先のことを考えないというか、多少つじつまがあわなくてもいいと思う向きがあるというか。だから、SFっぽいこともわりと気軽に手を出すんですね。一方で、矢口さんは理詰めといいますか。精緻に突き詰めるタイプ。本気でそんなこと起きるのか?とか、整合性がないとダメ。それは設定もそうなんですけど、感情に関しても、日本人の一般的な人のところでそれはやりすぎとなるとNGなんですよ。昔、ケンカしたことがあります。ある脚本で、「気絶する」と書いたら、矢口さんが「俺、気絶したことないから、それは描けない」と。気を失ったことがないから描けないという、どうやってこの人は映画をとっていくんだろうと思いました。それぐらい自分の中で実感として伝わってこないと矢口さんは前に進まない。でも、そこが矢口さんのすごいところです。今、ふと思い出しました。

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矢口:直接的な影響はないんですけど、新作の『ダンスウィズミー』がもの凄く挑発的でブッ飛んだお話しなんです。こういう物語が出来たのは、やはり『ワンピース』のおかげで。いい意味で、自分がまっとうな大人にならないで済んでいるんです。『ワンピース』をやっている限りは、バカバカしさを突き詰めていけるんじゃないかなと思えるというか。『ワンピース』は大人になる必要のない場所。普通の大人なら恥ずかしくてやらない、失敗を恐れず挑戦できる。「いつでも自分はバカなことができる」という、自分にとって初心に帰れる場所といっていいかもしれません。

――映画作りを志す学生が一歩をなかなか踏み出せない。その理由で、伝えたいメッセージが先にあってはじめて作品は作っていいのか。それともそういうものを抜きにさきほど矢口監督の話したバカバカしいアイデアひとつで作っていいものなのか、自分の作りたい思いだけで作ってもいいものなのか?といったところで悩んでいます。そのあたりについてお二人のお考えは?

矢口:僕は観客にこういう思想を伝えたいとか、こんなメッセージを受け取って欲しいと作ることはほぼないです。僕の映画作りは、こんなエモーショナルなシーンが見れたらいいなぐらいからスタートすることがほとんどです。だけど、その1つのアイデアだけではとてもとても長編にはならない。だから、最後には観客の皆さんにどんな気持ちになって欲しいとか、この登場人物はこう変わるとか、それを後から、もしくは同時に考えていくことが多いです。ただ、『ワンピース』のような短編のときは、1つのアイデアや見た目1発の面白さだけでも全然OK。どんどん作っていいと思ってます。伝えたいメッセージがないと作ってはいけないと思いません。

鈴木:何か伝えたいことがあって全然いいと思います。ただ、モチベーションとして、「こういうメッセージを伝えるんだ」と自身にあったとしても、映画にとってあまり関係ないことだったりするんじゃないかな、と僕は思っています。
というのも結局映画って、なんでもかんでも映っちゃうんです。たとえば女優さんをアップで撮ったら、たまたま鼻毛が1本だけ出ていたとする。すると、そこに目がどうしてもいってしまいますよね?つまり、自分はこういう風に作品をみせたいとか、このテーマを伝えてやるんだと思っていても、鼻毛1本の破壊力に叶わないときがある。実は、映画というメディアの優位性はそこにあるんじゃないかと僕は思います。あるメッセージ性や思想性を脚本に込めようとしても、最終的に強いのは画なんですね。なので、逆に考えれば、メッセージうんぬんではなくて、何を見せたいのかを考えれば映画は作れるのかなと。まず、人に「こんなことをみせたい」と考えるのが先で。それさえあれば映画作りのスタートを切れるんじゃないかと思います。

矢口:僕らはビデオカメラの時代ですけど、今は時代が変わってスマホでも、相当いい画質が撮れますよね。ですから、多分アイデアさえあれば、『ワンピース』なんていっぱい撮れると思いますよ。僕らよりも面白いものが作れるんじゃないかと思います。簡単に追い越されそうで恐怖ですけど、チャレンジして欲しいです。

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――最後にお二人に新作のお話しを少しお伺いできれば。

鈴木:現在、『嵐電』が公開中です。電車はとてもフォトジェニックであると、たとえばアキ・カウリスマキ監督の『浮き雲』など、多くの映画で感じていました。また、電車は人の想いや人生を運んでいくといいますか。その人物の心の内や人生までも感じさせる映画に電車はよくマッチする。もしかしたら『嵐電』は世界初の電車が主人公の映画かもしれません。嵐電がそれぞれの登場人物の想いと人生をどこかへ運んでいきます。なんでこれまで撮らなかったんだろうというぐらい、電車は映画と親和性があることに気づきました。ファンタジー映画というより、自身のごく近辺で起きている民話映画と思って観ていただけたらうれしいです。

矢口:8月に『ダンスウィズミー』が公開されます。ミュージカル映画って、普通に喋ってたと思ったら、急に踊り出したりしますけど、それって「おかしくない?」ということをテーマにしたミュージカルです。僕自身、ミュージカル映画は大好きなんですけど、急に踊ったりするのは、やはりおかしいと思っています。日常の中で突然ミュージカルが始まったら、現実はどうなる!? というコメディーですね。何度か披露試写をしているのですが、ミュージカル映画、しかも和製となるといいイメージが湧かないという人に、「この手があったか」といった感想を貰えてるようです。ミュージカルは恥ずかしくて観れないという人ほど好評を頂いています。ぜひ、観て欲しいと思います。

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『嵐電』
監督:鈴木卓爾
テアトル新宿他、全国順次公開中!
【公式サイト】

『ダンスウィズミー』
監督:矢口史靖
8月16日(金)より全国公開
【公式サイト】


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