石井裕也監督&池松壮亮氏登壇!PFF×早稲田大学講義「マスターズ・オブ・シネマ」オフィシャルレポート

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20170608-1.jpg6月3日(土)に行われた、PFF(ぴあフィルムフェスティバル)と早稲田大学の講義「マスターズ・オブ・シネマ」とのコラボレーション企画に、『剥き出しにっぽん』で「PFFアワード2007」グランプリを獲得し、最新作『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』が公開中の石井裕也監督と、同作主演の池松壮亮氏にご登壇いただきました。
石井監督作品を海外に紹介する機会の多かったPFFディレクター荒木啓子が、『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』の海外窓口を務める過程で折々に感じた石井監督と池松氏の映画製作への真摯な取り組みを、大学生に伝える時間として提案したこの企画。映画のみならず何かをつくることに興味を持つ学生が、何を知りたいのか、何に悩んでいるのか。質疑応答を中心に進んだ90分は終了まで多くの手が挙がりました。

ゲスト:石井裕也監督(以下、石井)、池松壮亮氏(以下、池松)
司会進行:荒木啓子(PFFディレクター)、土田 環(早稲田大学 理工学術院 基幹理工学部 表現工学科講師)
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――池松さんとは、WOWOWドラマW「エンドロール~伝説の父~」、映画『ぼくたちの家族』『バンクーバーの朝日』に続き4作目ですが、仕事をしたいと思われる大きな点を教えてください。

石井:映画作りって、言ってしまえば勝負なんです。自分の人生が大きくその1本で変わる。良くもなれば悪くもなるし。その作品のために新たに生まれて、作品が終わったら死ぬっていうような、極端なことを言ったらそういう気分でやっているわけです。出資者もスタッフも俳優もいるし、みんなの人生の大きな何かを背負っているというか、担って作っているという感覚が僕にはあって。つまり、大ごとなんです。自分の人生が、多くの人の人生が台無しになるかもしれない。そういう勝負事をするときに、どうしても強力な仲間が必要になる。それが池松くんなんです。

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――池松さんは石井監督をどう見てらっしゃいますか?

池松:福岡から東京に出てきて、自分の居場所を知るために映画を観あさっていた時期がありました。その頃、石井さんの作品をたまたま手にとって一気に虜になったんです。なにか、時代を共有できる感じ。普段自分が抱えている気持ちを、なんでこの人は映画でやってくれるんだろうと。そういう思いは、僕が石井さんの作品を観た1本目のときも、いまも変わってないですね。

――たくさんの監督とお仕事していますが、石井監督の特徴的な部分は?

池松:圧倒的に人と映画が繋がっていること、観ている人と映画が繋がっていること。それから今の社会と映画が繋がっていること、じゃないですかね。映画って言ってしまえば自慰行為なんですよ。自分が作りたいものを作って人に観てもらうって、すごく勝手なことなので。石井さんは観たその先、観た人たちのその先まで見据えて映画を作っていることが、ずば抜けているような気がしています。すごく惹かれている部分ですし、だから僕もあのとき、この人に会わなきゃいけない、この人と映画を作っていかなければいけないんじゃないかと、まだ会ったこともないのに思ったんです。

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――『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』は特に前半、とても言葉が多い映画でした。過剰なくらい。

石井:詩集が原作なので、大前提として言葉の映画だというのはありますよね。私見ですが、現代の言葉というものの価値はどんどん低下していっていると思います。例えば「愛してるよ」と言ったとき、それが額面通り「愛してる」という意味として通用していた時代もあったんでしょう。でも今や、本当かよっていう疑念しか抱かない。言葉の意味が変容していっているという言い方もできますけど、やっぱり価値が低下していっている気がするわけです。「神ってる」とかですね。
それを問題提起したわけでも啓蒙したわけでもありませんが、特に東京などの商業的な都市にいると、言葉が絶えず襲ってくる。宣伝広告を含め。自分の生活、暮らし、あるいは人生に無関係の、無意味とすら言える、そういう言葉が多すぎて、何もかも信用できなくなっているという状況にはなっていると思っていて、そういう気分みたいなものを、この映画でも特に前半はやろうとしました。その大部分を池松くんの役のキャラクターに委ねたというところはあります。

――それがだんだん静かな映画になっていきます。狙ってですか。

石井:そうです。松田龍平さん演じる役にあることが起きることを境に減っていくというストーリーの流れですね。

――優れた脚本というのはどういうものだと考えていますか?

石井:優れているっていうのはどういう意味でいうのか、そこをまず聞きたいですね。「脚本が悪いね」とか、「君は脚本が弱いね」とか、映画を観た後に言われたりすることがあって。でもその人って脚本を読んでないんですよ。脚本を読んだうえでなら正当なんですけど、映画を観て脚本が悪いっていうのはどういうことなんだろうと。つまりそれはストーリーのことなんですよね、きっと。筋。でも筋なんて、言ってしまえば何パターンしかないわけです。
現場で演出するうえで僕にとっていい脚本というのは、余白があることですね。脚本に心情は書けないので。Aさんは悲しい思いをしている、というようなト書きは成立しない。気持ちを動きでみせないといけないわけです。小説とかと比べると文学的に非常に読みづらいというか、心情を描くといううえで、脚本とはそんなによろしいものではないわけです。
でもカメラマンや照明技師、俳優たちは、人物の動きしか書いていないト書き、あるいはセリフしか書いていない脚本を読んで、想像を働かせていく。みんなが違う方向に行ったらだめですけど、ある一定の進路は保ちつつ、あらゆる人の想像力も取り入れる余白がある、想像力を喚起させる余地のあるっていうのが、僕がいいと思っている脚本ですかね。大事なことは書かないということ。全部言わない。想像させる。

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池松:僕がいい脚本だと思うものと、質問者の方がいい脚本だと思うものは違うかもしれませんので、難しいですが、いい設計図であること。それしかないわけですから。石井さんまでになると、石井さんについていく人たちがいるので、脚本がダメでも石井さんとやりたいという人が来ましたりしますけど、ゼロからのスタートの場合は脚本しかないので、みんなのいい指針であることですかね。

――『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』の劇中に出てくる歌「Tokyo Sky」が印象的でした。最初は下手だと思ったのに、家に帰ってからも残って。監督が作詞したそうですが、込めた思いを教えてください。

石井:人生に対して、社会に対してこう思っているという、ある意味では凝り固まった見方ってあると思うんです。それが違う視点を得られたことで、変容していくというのが、表現のおもしろさだったりする。今回の歌はそういうのを狙いました。最初に受けた印象と最後に受けた印象がまるで違う。多様な見方がある、変容していく可能性があるんだとことをやったつもりです。

――石井監督、大学進学という大きな決断の際に、安定しているとはいえない道を選んだ覚悟、決断できたのはなぜですか?

石井:自分はどこまでいけるのかっていう期待感って、みなさんにも絶対にあると思うんです。一度、自分がどこまでできるのか試してみたかったんです。今も試し続けている感覚はありますよ。今年は舞台もやるし、夜空も実験的だったし、初めての2時間ドラマもやります。この歳になっても試し続けたいですし、そうすれば自分の隠れた能力を見つけられるかもしれない。自分に期待しているんです。冒険的にやってます。結構楽しいですよ。

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――池松さんは12歳というまだ自己が確立していない年齢から俳優のお仕事をしています。そういう時期から役者という自分以外の自己を演じる仕事をしていた池松さんは、役そのものが池松さんなのか、池松さんが役を作っているのでしょうか。

池松:いろんな俳優の方がいて、いろんなやり方があります。自らを消して何かになるというやり方や思想の人が多いのかな。僕は誰に習ったというわけでもなく、なんとなくですが、自分に来た役、やりたい役、いまこれを伝えるべきだ、表現するべきだ、自分はこれになりたいという役は、つまり自分なんだと思っています。脚本を読むのも伝えるのも自分だし、自分が生きてきた蓄積と考えと伝えたいということがリンクしたときに、作品をやってきたので、たくさんの池松壮亮がいるんですよ。たぶん。
自分のどこかを、ちょっと突いてきたものに対して、今回はここを引き延ばして、ここを押さえてみたいなことを繰り返している感じです。あれも池松壮亮というか。そう思ってますね。いろいろやってはみたんですけど、想像できないと、もしくは経験したことがないと、演じることなんてできない。出来てもパワーがないんですよ。だから自分の経験と感覚から引っ張り出してやっている感覚です。

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――『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』を通じて、どんなことを感じてほしいですか?

石井:普段見えないもの、見ようとしないもの、例えば隣人が死んだり、野良犬が殺処分されたり、そういったものを、ボーイミーツガールのラブストーリーの枠組みの中で恋愛と並列的に描いている。それを見るか見ないかはあなた次第だし、実生活においても見るか見ないかはあなた次第。ただし、実際にいるんです。問題も起こっている。いろんな解釈の仕方があるし、それでいいと思います。ただ、こういう作品を撮った人間として、それでもどっこい生きていかなくてはいけない、そうすれば、もしかしたらいつかいいことがある可能性がある、ということはどうしても言わなきゃいけなかったと思っています。今の時代や社会が危ないぞという気配は感じているけれど、その中で愚痴っていてもしょうがないですし、僕がやるべきことは映画を作ること。そういう思いのなかでどうしても言わなきゃいけなかったのが、それです。その一端だけでも掴んでいただければ嬉しいです。

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池松:たとえば石井さんの映画作りって、映画を観てくれる人みんなに対して言いたいことがあって、それを言葉ではなくて映画によって伝える。僕もそういうやり方をしてきたので言葉にするのは難しいし、当たり前のことすぎてあまりいいたくないんですけど、自分の映画を観て、明日がんばろうかなって思ってもらうこと。どんな作品であれ、それしかないですね。

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