国際映画祭の使い方 その①大きな映画祭で学べること
ベルリンです。
本年、初めて前日に現地に入り、オープニング上映に参加してみました。
同じフライトに配給会社の方々が多数乗っていたことで、映画祭参加のパターンが、映画の職種によって全く違うことを改めて知ります。
ベルリンには、壁の崩壊の空気がまだ色濃く残るときに通い始めたのですが、壁=90年あたりから参加していると思い込んでいた私。考えてみると『二十才の微熱』が招待された93年には橋口監督はおひとりで行かれたので、私の初体験は、そのあとだと今気づいてびっくり。とはいえ、既に20回は参加をしてきましたが、殆ど出品する側を兼ねており、観客数の多い映画祭中盤から参加し最後までいたことはあれど、最初から準備万端参加のようなことは一度もなかったので、新鮮な体験です。
オープニング上映は、コーエン兄弟の『へイル、シーザー!』。まずは、ジョージ・クルーニー、ティルダ・スウィントンはじめ大騒ぎの出演者レッド・カーペットウォーク、全員が着席すると、市長や文化相の挨拶、自然とスタンディング・オベーションとなるメリル・ストリープ審査員長、審査員紹介などのオープニングセレモニーが延々と続きます。
テレビでの同時中継をしているので、進行役がいるのですが(彼女のことを誰かに教えてもらおうと思いつつそのまま帰国してしまった)ドイツ語を自分で英語に訳しながら時々政治的発言も交え(トランプがアメリカの大統領になったらどうする!というのは、ここだけでなく各所で話題になりました)ものすごいパワーで進行していきます。日本ではちょっとあり得ない雰囲気で、楽しめます。
それにしても、ベルリンの「国際映画祭なので英語で行く」という方針の徹底にはいささか驚きです。字幕も上映後の質疑応答も全部英語なので、日本人監督の通訳も英語と日本語の人を見つける必要があり、ドイツ語から日本語の通訳はいるけれど、英語通訳探しに苦労しているという話が、興味深いのです。
さて、私がこのオープニングで最も驚いたのは、映像。最初から最後まで溢れる映像。会場外のレッドカーペットを歩く俳優たちを会場内のスクリーンに映すのは、どこでもやっていることですが、そのクオリティにびっくり。カメラはどこまで高性能になっているのか、カメラの数は一体どれだけあるのか・・・そして、生で登壇する人間より、映像のほうに眼が行く怖さ。
最も興味深かったのは、審査員紹介です。推定、その日に個別にインタビューしながら撮影したであろう滑らかなモノクロのイメージ映像が、素晴らしい。まずその映像が流され、続いて登場する本人より魅力的、と申しましょうか、映像のマジックをまざまざと感じたのです。(この監督の名前も確認しようと思いながら、忘れてました・・・)
そして始まった、コーエン兄弟の映画は50年代ハリウッド大スタジオの人間模様。このモデルはあの人?あのモデルはこの人?みたいな想像が楽しい。映画界を描く映画を見るたびに「ろくでもない奴しかいないなあ」と思うのですが、もしかして、本当にろくでもない奴しかいないのかも・・・といきなり不安に・・・そしてこちらは、徹底的にデジタルカメラの性能を試しているような、衣装や小道具のテスチャーまでもわかるような映像でびっくり!アンチ"フィルム風映像"映画、かもしれない・・・
そんなこんなで、目的の違う3種類の映像の嵐に揉まれたようなオープニングでありました。はー疲れた。
が、人々のイメージの中で「映画祭」というのは、これだろうなとこのオープニングを観ながら再確認です。
「作品を売る」なら規模の大きいヨーロピアン・フィルム・マーケットがあります。
「作品をみせる」なら映画祭出品。マーケット出品上映も可能です。どちらにしても、経済的に余裕があれば宣伝スタッフをつけると効果が高まります。事前の試写の活用や、監督やキャストのインタビューの仕込みなど、やれることは沢山あります。
「次作を各国のプロデューサーへ売り込み」上映作品の監督だけでなく、プロデューサーも同行しているケースは多いです。作品を出品している場合、他の作品のスタッフや監督との交流チャンスはいくつか設定されていますので、その場所で親しくなるのは必須です。
「映画をみる」450作品ほど上映されていますので、何をみるか決めるのに一日かかるかも。
最新作品以外に、必ず行われるレトロスペクティブや特集も充実。今回もし私が縛りなく参加したなら、きっと、パノラマ部門の特別企画「30 JAHRE TEDDY AWARD(テディ賞30回記念)」と、レトロスペクティブ部門の特集のひとつ「Germany 1966 - Redefining Cinema(ドイツ1966-映画を再定義する)」という、ある年に特化した特集に通ったと思います。テディ賞の歴史はLGBTの歴史をうつしているでしょうし、昔の東ドイツ映画は、まずここでしか観ることができないでしょうから。(ああ通えなくて残念・・・)
ベルリンのような巨大な映画祭は、一種細分化された、色々な立場の「映画を生業にする人たち」が集う場所です。クリエイター、バイヤー、セラー、批評家、マスコミ、プロデューサー、フィルムコミッション、映画祭関係者、などなどなど。それぞれの役割によって、滞在の仕方が驚くほど違ってきます。自分の仕事を明確にして参加すると、活用度が高まっていく場所だと、毎回感じます。
そしてもうひとつ、「勉強や観光」
ドイツは美術館や映画博物館、戦争博物館が充実しています。特にベルリンは、その土地柄、戦争に関しての施設は多いと思います。
先日『ブリッジ・オブ・スパイ』(もう一回みたい)をやっと観たのですが、ベルリンに行く前にみればよかったなと後悔しました。というのも、今、ベルリン映画祭のメイン会場は、この映画の舞台にもなったチェック・ポイント・チャーリーに近いポツダム・プラッツ。かつてベルリンの壁が連なっていた荒野を、映画祭拠点にする前提で、シネコンや劇場、ホテルなど、お台場のような近代建築群を置いたのです。
歴史的な場所に映画祭を持ってくるという新たな都市開発計画。この、ベルリン映画祭の社会的存在の大きさは、日本ではなかなか想像が難しいのですが、50万人が参加するベルリン市最大の収入源である映画祭。映画祭ディレクターの給与は市長より高いといわれています。
と書きながら思い出すのは、既に皆さま耳にされているでしょうが、釜山国際映画祭の騒ぎです。映画祭への国の理不尽な介入に抵抗するために、年末に韓国から日本及び香港台湾などアジア各国へ釜山映画祭へのメッセージを収録するスタッフが急きょ飛んできましたが、ロッテルダムとベルリンでも世界各地から集まった映画人からの支援メッセージ収録が続けられました。
釜山の立ち上がりから参加してきたトニー・レインズさんのメッセージがわかり易く状況を伝えていることもあり、先月、日本語訳されて拡散されましたが、未読の方は、ここをご覧ください。
→【釜山国際映画祭への行政介入は許されない 映画評論家トニー・レインズの公開書簡全文】
ある種の影響がある故に、ある種のひとびとから利用する道具として認識される映画祭。その認識が「誇り」や「敬意」「喜び」というもの、更には「映画」を伴わない故に、今回の釜山の出来事は哀しい。
あら?肝心の8mmプログラムや『あるみち』の上映から話がどんどん遠ざかっております。
その�Bとして、次回は8mmプログラムと『あるみち』のご報告を差し上げます。