自立は幸せな人生への早道であると再認識した4月
晴天の29日は、東銀座のシネパトスでの、今井正生誕百年特集で過ごしました。
去る4月8日には、『青い山脈』『続青い山脈』上映と杉葉子さんのアメリカからの来場があり、行かねば!とはりきっていたのですが、前夜素敵な『利き酒会』に参加して断念・・・・
大変後悔しました。
今回は、53年版の『ひめゆりの塔』と、有志によるニュープリント作成で上映が実現した、オムニバス映画『愛すればこそ』の二本立てに加え、香川京子さんのご来場。
今回は逃しません。
香川京子さんといえば、小津、溝口、黒沢、成瀬という、並み居る巨匠の映画全てで重要な役を演じておられるのみならず、ご出演なさった作品の記憶が、現場を、まるで俯瞰で見ているように、あるいは、まるで、取材記者かプロデューサーかのように、鮮明に記憶あるいは観察されておられることで有名です。香川さんを取材なさった方幾人かから、その驚きを聞いたことがあります。「監督よりその映画をよく知っているかも」と。また、どこにでも、おひとりで静かに現れることも有名です。
今回のトークも、さりげなく、しかし、映画への熱い情熱の伝わる、貴重な体験になりました。
当時爆発的なヒットを記録し、現在でも知る人の多い『ひめゆりの塔』ですが、私は実は今回初見でした。沖縄に行った折に、ひめゆり部隊の記念館や、保存されている塹壕をみて、あまりの戦争の狂気に唖然としたまま、今日まで映画を観る勇気がなかったのです。そして、映画は、やはり必見映画の1本でした。これが、東映の大泉撮影所で撮影されたとは、到底信じられない、戦場としかみえない、入魂の作品です。
『愛すればこそ』は、独立映画プロダクションの経営を救うために、スタッフとキャストが手弁当で集ってつくりあげた作品。思想や哲学が強く伝わる、戦う映画人たちの映画、でした。
香川さんが、他の女優と違うキャリアを積むことを可能にしたのは、早い時期からフリーランスの道を選んだことだという話が、非常に印象に残っています。フリーだから、声がかかって、ご自身も興味があれば、どの会社の作品にも出演が出来た。(かつては、映画会社専属契約の俳優が大多数で、簡単には他社の作品に出演できなかったのです。)
変な言い方ですが、若くして、自立した女性だったのだなあ・・・と感慨が湧いた私です。
自立。それは人生で一番、楽しさへの早道だなあと、最近改めて感じています。
ロングランヒットを続ける『Pina 踊り続けるいのち』をやっと拝見したのですが、これをみると、同じく公開中の『ピナ・バウシュ 夢の教室』をみずにはいられなくなります。
両作品とも、しみじみと、「自立する」ための「表現」というものを考えさせられずにはいられませんでした。
ピナ・バウシュを初めてみたのは、83年のフェリーニ『そして船は行く』。誰もがひれ伏す圧倒的な存在感の皇女としてスクリーンにいるこの人は、誰?・・とその名前を記憶しました。
そして、86年のヴッパタール舞踏団初来日。大野一雄さんの製作の方に、来日公演が実現すると教えられ、予備知識なしで国立劇場に行きました。驚きました。舞台では、これまでみたことのない緊張感漲るダンスが展開されていきました。そして、ダンサーたちが、自己について舞台で語る・・・「ダンサーは人間である。人間だから踊る」と、人間宣言をされたようでした。それは、まるで、ロックを初めて聞いた時のような衝撃でした。
が、それ以来、一度も生の舞台を体験していません。私には、一度で充分だったのだと、映画をみながらおもいました。
緊張と弛緩で見事に鍛えあげられたダンサーの肉体。(これって、流行りの加圧と同じこと?とかつい考えた私・・・)かなりの危険が伴う構成、相手に自分を全面的に「委ねる」ことの出来る信頼関係(そこで突然、ふと、バナナ学園純情乙女組のステージを思い出しました。ちょっと同じ感じをうけたのを発見)
「個々の目指す高みに向かって責任ある仕事をする」という、そのことを肉体で示されているなあと、しみじみしました。
劇場を出ると、1600円のパンフが飛ぶように売れていました。職業柄、羨ましい風景でした。同じく職業柄、ヴッパタール舞踏団の新芸術監督になる方は、大変なプレッシャーで気の毒だな~と、つい気になってしまうのでした。
それにしても、もし、最初の企画通りに、ピナの存命時に撮影されていたら、この映画はどんなものになっていたのでしょうか。何はともあれ、この映画がきっかけで、ピナ・バウシュを知る人が増えている。映画ってすごいなと嬉しくなります。
そして、3Dって凄いな、ともおもうのでした。