A Brighter Summer Day
私のロッテルダム映画祭滞在の最後を飾ってもらったのは、故エドワード・ヤン監督の傑作「クーリンチェ少年殺人事件」"237分版"上映です。
"クーリンチェ"は本当は漢字表記なのですが、うまく出てこないので、カタカナ表記でごめんなさい。英語のタイトルが、A Brighter Summer Dayです。
2007年、東京でヤン監督の追悼上映を企画した際、最も上映したかったこの作品を諦めたのは、権利の問題です。日本からの出資で完成したこの作品は、その会社が倒産した際に、日本における上映の全ての交渉が難しい状態になってしまいました。
世界各地でエドワード・ヤン追悼特集といえば、Brighter Summer Day無しには語れなかったとき、製作に関与していた日本でだけは、上映不可能だったのは、胸の痛む体験でした。
今回のロッテルダムでの上映は、「戦後」という特集の中で、2回だけの上映です。映画の時代設定が、1960年前後の、複雑な歴史に揺れる台湾を舞台にしているからです。
上映は昨年、マーティン・スコセッシを中心に、世界のフィルムアーカイブが協力して起こしたWorld Cinema Foundationのもとで修復され、保存されたプリントを使っていました。
アーカイブプリントは、商業映画のプリントとは違って、厳しい使用条件が課せられます。
通常、多くの映画館は、プリントを繋いで、一本の大きなロールにして自動上映できるようにします。しかし、アーカイブプリントの上映に際しては、「絶対に繋がない。切らない」という必須条件のもとに、主催者は誓約書を書かされます。上映に使う映写機の申告も同時に必須です。これは映画祭では日常的な作業であり、2台の映写機で切り替えをしながら上映をします。何故なら、そのプリントは世界に一本しかない可能性が高い、人類共有の文化財だからです。
さてところが、ロッテルダムでは、想像もしえないことが起こりました。プリントが、繋がっているのです。端から端まで。完全に。巻終わりの黒味から、次の巻の始まりの黒味からカウンターまで、一切切らずに、繋げて上映されたのです。
確かに、切っていません。一切。繋いでいますが、その繋ぎは、映像部分にダメージはないでしょう。それは、確かにルールは守っている、一本繋ぎで上映できる効率的な上映方法かもしれません。「う~む。いよいよ映画祭にも効率化の波がやってきたか・・・」としみじみと時代の変遷を感じた滞在最後の朝から午後にかけての4時間でした。でも、一生に、これが最初で最後の体験でありたいなと思いましたが・・・
ともかく、思いがけない体験できる映画祭という場所。クラシック作品の上映に際しては、そういえばもうひとつ面白い思い出があります。あれは数年前の釜山国際映画祭。インドの古い映画を観にいきましたら、あれれ?とうとう観客は私ひとり。字幕投影操作のスタッフ含め、スタッフは会場に5人ほど。完全指定席制をとる釜山映画祭ですから、ひとりのスタッフは、多分彼女の仕事であろう指定席に座るよう指導しにきます。でも、ひとりしかいないんだよ~。いやはや、一人のための上映をしていただくことは、まだ他では味わってません。ともかく、映画祭は最新作品がやはり人気ですね。
さて、数日後に向うベルリン国際映画祭では何が待っているのでしょうか。先週は、マイナス10℃も珍しくなく「毎日アルプス登山に出かける気分だ」と言う人もいたベルリン(今週はマイナス5℃くらいまで上がったらしい)。びっくりして思わずセール期間のロッテルダムの靴屋で、emuのボアのブーツを買ってしまい、日本で買ったほうが安かったことに泣きました。お店の人に、これはすぐに伸びるから、ワンサイズ小さいのを買うこと&素足で履くのが一番暖かいと教えられ、やってみたらほんとに、劇的に暖かく、「裸足で履くなんて、水虫になるんじゃない?」という声をよそにとりあえずベルリンは乗り切ります。
ところで、ロッテルダムでは、今月の23日&24日に開催する、ワークショップの打ち合わせも大きな目的でした。ツァイ・ミン・リャンさんと、リー・カンションさんをお招きして開催する豪華な時間。ツァイさんは現地では、間もなくオランダ公開となる『顔』の取材でほぼ三日間缶詰状態でした。
オランダでは、アムステルダムのフィルム・ミュージアムが現在一手にアート系映画の公開を担っているそうで、『空気人形』の公開がそちらで決定した是枝裕和監督も、多数の取材を受けていました。
映画祭ではフィルム・ミュージアムとのコラボで、吉田喜重監督の特集もあり、今年のロッテルダムには、撮影所の時代を知る吉田監督、ピンク映画の世界を知る崔監督の特集があり、世界公開の続く是枝監督、そして、コンペティションや短編上映に参加する、自主映画の時代の監督たちと、まるで日本の映画の歴史がそのまま移動してきたような、すごいことが起きていたのですが、かなしいかな、映画を通じての国力のプロモーション意識の薄い日本を痛感する、何も起きない状況には、色々と考えさせられました。
映画を通じてのプロモーション、まだまだ未開発な日本です。ひとごとではありません。