そして印象的な言葉を
●10月24日&25日の「「自主映画」製作の基礎知識&ワークショップ」
塚本晋也監督、川原伸一プロデューサー、志田貴之カメラマン、林啓史プロデューサー補にお越しいただいた2日間で、2本の短編映画を生むことができました。
ほんとうは、『自宅で、自分のPCで、音にこだわれるまでこだわる』という、映画の仕上げに力を注ぐところまで行きたいねと企画ちゅうに川原プロデューサーがお話していたのですが、やはり、そのためには"3日間"が必要でした。それだけが心残りですが、受講者のオリジナル脚本2本を映画に出来たのは、かなり画期的なことだったと思います。
*写真は、ワークショップでの撮影風景。撮影を見守る塚本監督が手前にいます。
初日は、塚本監督に、映画製作の心構えともいえるお話を様々に伺いました。
その中で、最も印象的だったのは、毎回、映画の企画を進め始める前は、もうこんな苦しいことはやめたほうがいいのではないかと煩悶する。という話です。しかし、同時に、毎回、いや、人はどうせ(必ず)死ぬ。ならば、一度の人生、やるだけやってみようと決意することの繰り返しだと。
同じようなお話を、これまで何人かの監督から伺いました。
池波正太郎さんの小説にたびたび出てくる「いのちがけ」という言葉がありますが、私の仕事を通して、まさにこの言葉を実感することが珍しくありません。先日封切られた、松田優作さんのドキュメンタリー「SOUL RED」も、いのちがけの俳優の記録でした。
●PFFin京都
沢山のゲストに来場いただきましたが、私の進行した大島渚講座の一部をご紹介します。
10月26日<林海象監督「絞死刑」>日本映画監督協会の理事長だった大島監督のエピソードを色々ご紹介くださいました。林監督曰く、やけに熱い監督たちの時代。特に、ライバルを自認していた今村昌平監督が、大島監督が倒れた報を聞き、病床から起き上がり、(この隙に)映画を撮ろうとしたという話には、驚きました。
10月27日<渡部眞撮影監督「御法度」>カメラマンの仕事は、現場を円滑に動かすためのサービス精神が非常に重要であることが強く伝わるエピソードの数々に驚きました。また、現在教鞭もとっておられる渡部さんの、次代の為の映画の環境づくりがなされなくてはならないという危機感が強く伝わりました。
10月28日<若松孝二監督「愛のコリーダ」>東京に引き続き参加いただきました。
今回は完成以来、33年ぶりにお客様と一緒にスクリーンでご覧になり、その直後のトークということで、東京とはまたひとあじ違う(東京は予算や収入の話が多かったのですが)臨場感あるお話になりました。しかし、何度もおっしゃっていたのは、「どうしてもこれをやりたいという想いは、必ず実現する」ということでした。
とここまで来て、福岡以降はまた明日。
これから仙台開催に向かいます。