桝井省志氏×小川真司氏×川村元気氏「プロデューサーに聞く どこを目指し、誰と共にすすむのか」(vol.2)

インタビュー

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原作ものとオリジナル作品

小川:曽利さんは、当時TBSのCG部に所属していて、TBS社員としてハリウッドのデジタル・ドメインでCGを学んで、CGに関しては当時の日本映画界で誰よりも習熟していた人です。彼が『ピンポン』の企画を立てたもののTBSでは通らず、プロデューサーの鈴木(早苗)さんから「アスミックでやってくれないか」と持ち掛けられたのが発端でした。僕は、以前はテレビ・ゲームのプロデューサーをやっていて、映画の部署に異動した1年目に『トレインスポッティング』(96年)が大ヒットしたんです。その経験から、なんとかカルチャーとして日本映画を当てたいと思っていたんです。当時は若者が日本映画から遠ざかっていた時代でしたから。自分の興味と会社の方向性が『ピンポン』という題材で合致したわけです。

荒木:『ピンポン』は、原作が松本大洋さんですね。最近は原作の映画化がとても多いですが、桝井さんはオリジナル作品を中心に手掛けていらっしゃいますね。プロデューサーにとって、原作ものとオリジナル、アプローチの仕方は異なるのでしょうか。

桝井:オリジナル脚本が多いということで褒めていただくこともありますが、要は、私たちのような弱小プロダクションだと出版社から原作権が貰えないんですよ。まずどこの出版社でも東宝さんに映画化してほしいわけですね。今は出版社の力がとても強くて、監督や俳優を指名するぐらいの力を持っています。出版社が成功率の高い映画会社に映画化権を渡したいのは当然です。それによって本の売り上げも左右されるわけですから。私だって本音を言えば、原作ものもやりたいですけどね。どうでしょう、川村さんの小説をアルタミラでつくって東宝さんで配給するというのは(笑)。

川村:ありがとうございます(笑)。僕の2作目の小説『億男』は、中国の映画会社に映画化を許諾しました。『薄氷の殺人』(14年)という僕が大好きな中国映画があって、そのプロデューサーと、ホウ・シャオシェン監督の『黒衣の刺客』(15年)のプロデューサーが手紙を書いてきてくれて、こういう人たちが『億男』を中国映画としてつくったらどうなるんだろうって興味を引かれ、許諾しました。

荒木:中国は、お金のスケール感が今や日本の百倍ぐらいですよね。

川村:そうですよね。すごくダイナミズムがあるなと思います。ただ、確かに原作ものって難しいですよね。売れている原作を映画にすればヒットするという時代でもなくなってきていますから。結局、僕が細田守さんや新海誠さんとつくっているのはオリジナル作品です。オリジナルのいいところは、話の展開がバレていないところですよね。あと、今年は『怒り』という作品をつくりましたが、これは『悪人』でご一緒した吉田修一さんに『李相日監督と川村さんにやってもらいたい』と言っていただいた作品です。最近は、新人作家のデビュー作ばかりを読んでいます。

荒木:それはなぜですか?

川村:変な作品が出てくる可能性が高いと思うんです。デビュー作には独特のごちゃごちゃな感じがあって、映画にすると面白くなる気がします。本読みの友だちがいて、面白かった作品を教えてもらうと、すぐに読むようにしています。

荒木:有名な小説を映画化する困難さというのもあると思います。小川さんがプロデュースした『ノルウェイの森』はその典型だったと思いますが。

小川:『ノルウェイの森』は特殊なケースだとは思いますけどね。村上春樹は映画化の許諾をしないというのは、映画界の常識になっていました。でもトラン・アン・ユンは村上春樹が大好きで、『シクロ』(95年)で来日したときも『夏至』(00年)で来日したときも、『ノルウェイの森』を映画化したいと熱弁していたらしいんです。でも、みんな聞き流していた。僕は村上春樹は第1作から読んでいる世代ですし、その話を宣伝部の人間から聞いて面白いと思って監督にメールしたんですね。そこから始まりました。

荒木:村上さんは映画狂でまめに観ていらっしゃるようですね。

小川:トラン・アン・ユン作品はぜんぶ観ていらっしゃいました。だから会えることになったわけですが、許諾はシナリオを読んでからということなので、何の保証もなしに脚本をつくるリスクを負うことになりました。それはアスミックだったから可能だったわけで、独立した今だったら難しかったでしょうね。

桝井:偉いですねえ。私だったら村上春樹は映画化は許諾しないと勝手に思い込んでいますから、最初から諦めてしまいますね。

小川:お会いしたとき、めちゃくちゃ緊張しましたが、基本的にはやれるだろうと楽観的に思ってました。

桝井:その思い込みと楽観主義は、いかにもプロデューサーらしくていいですね。

小川:僕が自分で映画化権を取りに動いたのは『ノルウェイの森』だけですけれど。例えば、最近の仕事だと、『ピンクとグレー』(16年)は、角川書店さんから「この原作を映画化したいから」と持ち掛けられたのが発端でした。そこでプロットなどを考えてから行定勲監督に興味を持っていただいて。こうした場合、キャスティングにしても製作費のスケール感にしても宣伝にしても、プロデューサーとしての自分のポジションをわりと客観的に見られるし、見晴らしがきいている感じがします。一方、『ノルウェイの森』の場合は、外国人監督だし、スタッフも外国人が多いし、あまり先が見えないまま突っ走った感じがします。

プロデューサーの仕事

荒木:世間的なイメージとして、監督がやりたいことをプロデューサーが抑えるという構図があると思います。それは間違ったイメージだということも伺いたいと思います。

川村:僕は幸い、そんなことを言う監督に会ったことがなくて。そんなことを言われたこともないです。

荒木:編集権にまつわる話でしょうか。

川村:尺については、あと3分切るとか5分切るとか、話し合うこともあります。ただ、本当は脚本の段階でやっておかなければいけないことなのに、とも思います。

桝井:昔は、「2時間を超えたら犯罪だ」って言われましたね。まだ映画が2本立て興行のある時代は、映画は1時間40分というのが映画界の暗黙のルールでしたから。

川村:そうなんですね。『怒り』は2時間20分オーバーでした。ただ編集で監督と決定的にもめたことはないですね。僕は現場にはほとんど行かないので、編集は撮影現場の事情をまったく知らない状態で入って、単純に画と芝居の強さで判断します。『怒り』の編集のときは、編集部から「最初のラッシュ、4時間です」と言われて、「2時間半を切ったら行きます・・・」と返しました。何度も観ると目が馬鹿になってしまって、何がいいのか悪いのか判断できなくなってしまいます。2時間45分までは監督に切ってもらって、そこから参加しました。

荒木:現場に行かないのは、余計な情報が入るのをシャットアウトするためですか?

川村:単純に、僕が現場に行っても役に立たないからです(笑)。あと、撮影現場って、つまり演劇が目の前で繰り広げられるわけで、感動しちゃうんです。でも映画ってスクリーンで起きることがすべてですよね。脚本と編集と音が自分の守備範囲だと思っているので、そこに集中するために現場は監督に任せます。

荒木:みなさん、そのへんもプロデューサーによって千差万別ですよね。

小川:そうでしょうね。僕は、作品によってまちまちです。現場に行かない場合もあるし、『トイレのピエタ』のように予算がないから車の運転もしないといけない場合もある(笑)。

桝井:東宝さんは大会社ですから、分業化が明確だし、おそらく川村さんが現場に行く必要もないでしょうね。でも僕らみたいな独立プロダクションの場合、プロデューサーは車の運転はするし車止めもする、ロケ弁当の手配もしますし味噌汁も作る。つまりはあらゆる案件に関わるんですね。