桝井省志氏×小川真司氏×川村元気氏「プロデューサーに聞く どこを目指し、誰と共にすすむのか」(vol.3)

インタビュー

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映画づくりは学校で学べるのか

荒木:桝井さんは、東京藝術大学で教えていらっしゃいますね。学生にプロデュースを教えるというのは、具体的にはどんなことを教えていらっしゃるのでしょうか。

桝井:いやあ、小川さんと川村さんが一番よくおわかりだと思いますが、教えられるわけがないんですよ。それなのに教える立場にいる。詐欺師ですよ(笑)。私が教えられることは、ロケ交渉して、ロケセットを決めて、浅草には250円の最安値の弁当があるとか。映画制作の現場の実作業しか教えられません。ま、そういう意味でいいも悪いも独立プロのプロデューサーの現実の姿を見てもらうしかないんだろうなと思っています。

荒木:東京藝大は分業制で、同学年の人たちと力を合わせて1本の映画をつくるということを追求しているわけですよね。

桝井:追求というより、そうなってしまっているんですね。みんなアマチュア集団で、自主映画の延長みたいな感じですしょうか。本当は、プロのスタッフに囲まれて映画をつくることを体験させてあげたいのですが、それはなかなか難しいんですね。学生監督の立場だけを考えると、技術スタッフもすべて学生というなかで映画を撮るのはしんどいだろうと私は思っていますけどね。みんな学生は平等なので、スタッフが監督をボイコットしたりもしますから。ただ、今更気付いたのですが、学生たちは金のためにやってるわけじゃないんだということを再認識したことです。私は職業プロデューサーとして今まで映画に携わってきましたから、その点学生たちが純粋に無欲で映画をつくっている姿を見ると素直に感動したりするんです。

荒木:今、学校で教えている監督やプロデューサーが多いわけですが、卒業後に約束された職場があるわけではない。そのなかで学生たちがどうモチベーションを高めていくのかは切実なところですよね。

桝井:そうですね。藝大の場合、大学院なので、2年で修了になります。矢口組では、大学院の修了生に美術トラックのドライバーをしてもらいました。そういう映画の現実に果敢に挑戦する修了生が何人か出てきて、彼らがこれからの過酷な映画業界を背負ってくれるのではないかと信じたいのです。

川村:今の話だと、あまりにも夢がないですよね(笑)。僕は、極端な話、独自の方法を駆使して這い上がってくる人を探したいと思っています。例えば新海さんは、自主製作でひとりでこつこつアニメーションをつくって発表し続けて長編に行った人だし、李相日監督も、ぴあでグランプリを獲って、PFFスカラシップ作品を撮って、ほとんど助監督経験をせず、『69 sixty nine』(04年)や『フラガール』など、着実に一歩一歩撮り、自分の才能を表現してきた。大根仁監督は深夜ドラマをやってきたし、中島哲也監督はCMをやっていたし、いろんな場所から映画に飛び込んでくる人が増えたらいいなと思います。もちろん、芸大を出て弁当を買ってくれる人もスタッフとして大事だけど、いろんな山の登り道はあるということを提案しないと絶望してしまいますよね。

小川:難しいのは、監督もプロデューサーも、どうやったらなれるかって、教えられるものではないんですよね。ちなみに僕は、お金さえ用意すれば明日からでもプロデューサーになれるよと答えています。

川村:確かに。

小川:結局、どの監督たちも、なるようにしかなっていない。自分がイメージする監督なりプロデューサーになることが山頂として、そこへ行くルートは自分で考えるしかないし、そのためには志があるかどうかが要になると思います。

桝井:川村さんに「夢がない」と言われましたが、ええ、確かにそうですよね(笑)。僕がこれまでやれてこれたのは、まず映画の現実を全く何も知らずに映画会社に入ったからかもしれませんね。何も映画の仕事はわかりませんから、とりあえず目の前にあることをやってきた。藝大の場合、だから例えば学部で絵画ををやっていた人が、いきなり大学で映画制作を初めて体験することになるのです。しかも専門ごとに、撮影、美術、録音、監督、脚本、プロデュースに分かれてしまう。私は最初は分けないほうがいいんじゃないかと思っていますが。例えば監督コースに入った学生が、自分が撮りたいものを見い出せず悩んでいる。いきなり職業監督の悩みのようなものを学生が背負ってしまうんです。

川村:ほんと、そうですよね。僕が監督と会ってえんえん雑談する理由のひとつは、どれぐらい井戸が深いのか見極めたいからということもあります。「もしお金があったら、何を撮りたいですか?」と聞いて、「じゃあ、その次は?」と聞いていくと、だいたい3本ぐらいで終わってしまう。

桝井:すごくよくわかります。ただ、昔から映画監督がそんなに撮りたいものを自分のなかにたくさん持っていたのかというと、実際どうなんでしょうか。私は大映時代に相米慎二監督と二年ほどご一緒しましたが、相米さんの中でどうしても撮りたい企画が山ほどあったとは思われませんでした。失礼ながら、実は何もないのではないかと疑ったりしたこともありました。それでも、その間に監督は公募シナリオから選んだ『台風クラブ』(85年)という本で傑作を生み出すのです。映画監督って、撮りたいものがいっぱいあればいいというのともまた違う何かがあるのではないかという気がします。だから、原作ものを映画化するというのは、監督の持っている何かを引き出すという意味で、いい機会だとも思います。今日、この会場に藝大の今年の修了生の監督がひとり来ています。川田真理という男で、去年、修了制作で藝大初のピンク映画(『タクシー野郎 昇天御免』)を撮った向こう見ずな男ですが(笑)、私が藝大の修了生で認めている監督の一人です。

荒木:人と違うことをやってほしいですよね。

桝井:やっぱり学校という場所は優等生を求め、学生はそれを目指してしまうところがあります。でもそれに屈しないで、人目を気にしないで枠をはみ出して欲しいですね。

小川:学校は、環境を与えることしかできないのではないでしょうか。

桝井:私は、矢口監督とはテレビの『学校の怪談』でご一緒して、そのあと『ウォーターボーイズ』(01年)を撮ってからの縁です。矢口監督が登場した時代は、映画会社や撮影所の監督を育てるシステムが崩壊して、PFFがその代わりとなって監督たちを育てていったわけです。だから僕は心からぴあに感謝しています。私がなぜ矢口監督とずっと一緒にやっているかと言うと、とにかく彼の現場は楽しいんです。彼が楽しんでやっているところを見ているのが楽しいという、ちょっと不思議な感覚を私は持っていまして。そう思っていたら、『スウィングガールズ』(04年)の音楽を担当してもらったミッキー吉野さんが矢口監督の撮影現場で、夢中になって撮影に没頭する監督の姿を見て感激されていたことを思い出しました。

荒木:サバイバルファミリー』が2017年2月11日に公開ですね。

桝井:矢口監督が、作家としてひとつ上のステップに上がったと思える作品です。こつこつとオリジナル企画を作り続けてきた映画青年が、この境地に到達したかという思いになります。ぜひ皆さん、ご覧になって下さい。もうひとつは、『プロデューサーズ』という作品です。今日のセミナーのためにあるような作品ですが、私たち独立プロのプロデューサーの先輩や仲間たちの生き様を記録したドキュメンタリーです。

荒木:映画の歴史を刻んできたプロデューサーたち総出演ですね。