桝井省志氏×小川真司氏×川村元気氏「プロデューサーに聞く どこを目指し、誰と共にすすむのか」(vol.4)

インタビュー

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映画と音、音楽

荒木:今日の3名のプロデューサーにはひとつ共通点があると思います。それは音楽に対しての意識がすごく高いということ。映画にとって、音や音楽はとても大事で能弁なものなのに、日本映画がもっとも弱いところだと思います。音についてのアプローチ方法についてお話をお聞かせください。

小川:音楽はほんとうに重要ですよね。僕自身の音楽体験でいうと、小学生の頃、映画音楽大全みたいなレコードが家にあったんです。『大脱走』(63年)とか『荒野の七人』(60年)とか、まず音楽から入って、「この映画を観たい!」と思っていました。かつて、50年代や60年代はアルバム・チャートの1位とか2位に映画のサウンドトラックが入っていました。だから僕が映画のプロデュースを始めたとき、音楽にはひじょうにこだわりました。主題歌も、アーティストに脚本を読んでもらったりラッシュを見てもらってから曲をつくってもらったり。桝井さんがすごいなと思うのは、ほんとに好きな音楽を作品化していらっしゃいますよね。

桝井:映画会社のサラリーマン時代は、“音楽の映画を作りたい”などという本音を露骨に出すのは控えていました。独立してから大好きな音楽の映画をつくろうと思うようになりました。それで自分が本当に好きでリスペクトするミュージシャンのドキュメンタリーをつくったり(『タカダワタル的』(04年)、『ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム』(04年)、『オース!バタヤン』(13年)など)、しましたね。さきほど川村さんがおっしゃったように、私たち立場で一番面白いのは、仕上げですよね。編集、そして音楽と効果がついて初めて映画が形になるのは、映画作りの最大の醍醐味です。私の場合、『スウィングガールズ』が一番音楽費を使っていて、2千万円ぐらいかけましたか。当時は主演の上野樹里も無名でしたから、せめて音楽だけは豪華にしたいという思いで。ナット・キング・コールやルイ・アームストロングなどオリジナルの音源を使ってね。自分の作品に「A列車で行こう」が流れてくるだけで幸せじゃありませんか。将来、音楽映画なら、『tommy/トミー』(75年)みたいなロック・オペラをつくってみたいですね。

荒木:川村さんはいかがですか。今、『君の名は。』の音楽が圧倒的に人気です。

川村:僕は映画よりも音楽が好きな人間で、もう9年連続でフジロックに通っているくらいです。小説を書いてみて改めて思ったんですが、音楽が鳴るって映画の特権だなって。『告白』(10年)でレディオヘッドに主題歌を歌ってもらったり、『宇宙兄弟』(12年)でコールドプレイに主題歌をやってもらったり、自分の好きなものを意識的に持ってくるようにしています。『バクマン。』(15年)のサカナクションも、彼らのライブを見ていたら、曲と曲の間のインストゥルメンタルが面白くて、ひょっとしたらサウンドトラックができるんじゃないかなと思って山口一郎くんに声をかけてみました。

荒木:では、脚本を読んでもらって同時進行で音楽をつくってもらった?

川村:そうです。脚本段階でデモが20曲ぐらいできあがりました。最終的には50曲ぐらいデモであげてもらって、使ったのが30曲ぐらいですかね。贅沢なつくりかたでした。

桝井:洋楽曲は使用料がものすごく高いですよね。

川村:『ノルウェイの森』は1億円ぐらいでしたか?

小川:撮影前から海外に売ってたので権利をワールドワイドでとらなければ行けなかったんです。だからもう、映画1本撮れるぐらいの使用料でした。ビートルズは世界で一番高い。次がマイケル・ジャクソンですね。

川村:ロックバンドに映画の音楽をつくってもらうと、ものすごい化学反応が起きる時がある。RADWIMPSもそうだし、『ジョゼと虎と魚たち』(03年)のくるりもそうだったし。

小川:そうですね。『トイレのピエタ』のとき、当初、野田洋次郎くんは主演のみで主題歌はやらないという感じだったんです。でも、もうひとりのプロデューサーの甘木さんが「何か打ち上げのときに歌ってよ」と言ったら、あの曲をつくってきてくれたんですよ。

荒木:今年は最終審査員を野田さんにお願いしたんですが、『トイレのピエタ』の現場が楽しくて仕方なかったとおっしゃっていました。まったく知らない世界で、こんなにいろんな人たちが一つのものをつくるために働いているところにいられるのが嬉しくてたまらなかったそうです。

川村:アメリカ映画って、音楽が圧倒的に素晴らしいじゃないですか。その多様性が素晴らしい。グスターボ・サンタオラヤみたいな人もいれば、ハンス・ジマーもいる。多様なアーティストがサウンドトラックを手掛けている、その状況に日本映画も近づけたらいいなと思います。

桝井:一番やりたくないのは、タイアップ見え見えの曲を使うことですよね。でも、経済的な諸事情はあるわけじゃないですか。1億出すからエンドロールでこの曲を使ってくれと言われたら使ってしまうかもしれませんが(笑)。『サバイバルファミリー』では、フォスターの曲「Hard Times Come Again No More」を使っています。普通、商業映画のエンド曲では使わないでしょっていう地味な選曲ですが。ボブ・ディランもカバーしている、いい曲ですよ。ゴダイゴのトミー・スナイダーさんの娘さん、SHANTIが歌って、ミッキー吉野がピアノを弾いています。本当に映画音楽をつくることは楽しいですよね。

原点の映画

荒木:では、最後に、これはぜひ観ておくべき映画を1作ずつ挙げてください。

川村:好きな映画の話をするのって、初恋の話をする以上に恥ずかしいんですが、僕が最初に観た映画は『E.T.』(82年)なんです。3歳のときでした。自転車が飛ぶシーンを鮮明に覚えていて、3歳なりに心が動いたんでしょうね。E.T. とエリオット少年の友情がもっとも高まっている瞬間、自転車が浮かび上がって、しかも月を背景に自転車と2人がシルエットになって、そこにジョン・ウィリアムズの素晴らしい曲がかかる。つまり、ドラマと音楽と映像が見事にシンクロしたシーンで、映画の魅力がそこに凝縮していると、それはあとになって気づきました。僕、最初は大阪の映画館でチケットのもぎりをしていたんです。当時はまだフィルム上映だったので、映画館の従業員が深夜にフィルム・チェックをするんですね、傷がついていないかどうか。で、『E.T.』がデジタル・リマスター版で20年ぶりにやってきて、ひとりでプリントチェックしたんです。そしたら自転車のシーンで号泣。もうチェックなんてしている場合じゃない(笑)。そのとき、やっぱり映画をつくりたいと思って、企画を出すようになりました。

小川:僕の場合、田舎に住んでいたので、昔は映画はテレビで観ていました。たぶん小学校6年生ぐらいのとき、『ワイルドバンチ』(69年)を観て、ものすごい衝撃を受けたんです。親父が西部劇やアクション映画が好きだったので、だからジョン・フォードとかもずっと観ていたんですが、『ワイルドバンチ』はそれまで観ていた西部劇とはまったく違って。大学に入って上京したとき、まだレンタルビデオとかない時代だったので、名画座に『ワイルドバンチ』がかかるたびに観に行きました。日本映画に目覚めたのはテレビで前後編で観た『七人の侍』(54年)。つい先週、4Kデジタル・リマスター版を久しぶりに劇場で観ましたが、新たな発見がいろいろありました。今観ると、感動するところが子どものときと全然違うんですよ。僕が言いたいのは、昔観てちょっとわからないと思った映画でも、もう1回観てほしいということ。『戦場のメリー・クリスマス』(83年)も20歳ぐらいのころ最初に観たときは「戦争映画なのに戦闘シーンがない!」と思ったんですが、『メゾン・ド・ヒミコ』(05年)をつくるときに参考のために観なおしたらまったく違う映画に観えました。

桝井:私たちの世代だと、先ず若大将シリーズ(61~71年)でしょうか。こんなに幸せでおめでたい映画ってないですよね。ちょうど学生のころ、池袋の映画館で若大将シリーズのオールナイト上映会が毎週あって、大騒ぎしながら観ていました。加山雄三じゃなく、田中邦衛が出てくると、それだけで場内騒然、大歓声です。観客が一体となって映画を劇場で見ることの喜びを教えてくれました。あと、井筒和幸監督の『ガキ帝国』(81年)も、僕にとっては原点です。公開当時も高く評価されていましたが、やんちゃで破天荒な映画だとは思っていましたが、去年ですか、フィルムセンターで井筒和幸特集があって見直しましたが、その完成度に驚愕しました。あと、アルトマンの『ナッシュビル』(75年)や『フェリーニのアマルコルド』(73年)。あんな映画をつくれたら、もう本望ですよね。


桝井省志 Shoji Masui

1956年生まれ。大映時代に『ファンシイダンス』(89年/周防正行監督)でプロデューサーとしてデビュー。『シコふんじゃった。』(92年/周防正行監督)を手掛ける。その後、磯村一路監督、周防正行監督等と共に映画製作プロダクション、アルタミラピクチャーズを設立し独立する。『Shall we ダンス?』(96年/周防正行監督)、『がんばっていきまっしょい』(98年/磯村一路監督)、『ウォーターボーイズ』(01年/矢口史靖監督)、『スウィングガールズ』(04年/矢口史靖監督)、『それでもボクはやってない』(07年/周防正行監督)、『ハッピーフライト』(08年/矢口史靖監督)、『ロボジー』(12年/矢口史靖監督)、『終の信託』(12年/周防正行監督)、『舞妓はレディ』(14年/周防正行監督)など数多くの劇映画を制作する。また日本のミュージック・シーンを映画として記録することをライフワークとし、『タカダワタル的』(04年/タナダユキ監督)、『ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム』(04年/サン・マー・メン監督)、『不滅の男 エンケン対日本武道館』(05年/遠藤賢司監督)、『こまどり姉妹がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!』(09年/片岡英子監督)等も制作し、『オース!バタヤン』(13年)では監督も務める。最新作は、映画プロデューサーの真実の声を記録したドキュメンタリー映画『プロデューサーズ』(16年)。長年パートナーシップを組む矢口史靖監督とは来年2月11日公開の『サバイバルファミリー』が待機中。現在、アルタミラピクチャーズ、アルタミラミュージック代表取締役、東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻教授を務める。


小川真司 Shinji Ogawa

1963年生まれ。早稲田大学法学部卒業。87年にアスミック入社。00年『リング 0~バースディ』(鶴田法男監督)でプロデューサー・デビュー。『ピンホン』(02年/曽利文彦監督/日本アカデミー賞最優秀作品賞他受賞)、『ジョゼと虎と魚たち』(03年/犬童一心監督/藤本賞特別賞受賞)、『メゾン・ド・ヒミコ』(05年/犬童一心監督)、『ノルウェイの森 』(10年/トラン・アン・ユン監督)など数々のヒット作、話題作を生み出す。他の代表作に『恋の門』(03年/松尾スズキ監督)、『ハチミツとクローバー』(06年/高田雅博監督)、『天然コケッコー』(07年/山下敦弘監督)など。
12年7月に株式会社ブリッジヘッドを設立。『陽だまりの彼女』(13年/三木孝浩監督/上野樹里、松本潤主演)、『ルームメイト』(13年/北川景子、深田恭子主演)をプロデュース。さらに NHKドラマ「ロング・グッドバイ」(14年/渡辺あや脚本/浅野忠信主演)にも企画に参画。15年は、『味園ユニバース』(15年/山下敦弘監督)、『トイレのピエタ』(15年/松永大司監督)が公開、さらに『ピンクとグレー』(16年/行定勲監督)と立て続けにヒットを記録。16年夏は、『秘密-TOP SECRET』(16年/大友啓史監督)が公開。現在、『ナラタージュ』(17年/行定勲監督/松本潤、有村架純 出演)を仕上げ中。


川村元気 Genki Kawamura

1979年生まれ。上智大学文学部卒業。東宝にて『電車男』(05年/村上正典監督)、『デトロイト・メタル・シティ』(08年/李闘士男監督)、『告白』(10年/中島哲也監督)、『悪人』(10年/李相日監督)、『モテキ』(11年/大根仁監督)、『おおかみこどもの雨と雪』(12年/細田守監督)、『バケモノの子』(15年/細田守監督)、『バクマン。』(15年/大根仁監督)、『君の名は。』(16年/新海誠監督)、『怒り』(16年/李相日監督)、『何者』(16年/三浦大輔監督)などを製作。2010年製作の『告白』、『悪人』は日本アカデミー賞を分け合い、海外映画祭でも多数受賞した。同年に、米HollywoodReporter誌の『Next Generation Asia 2010』にプロデューサーとして選出され、11年に優れた映画製作者に贈られる「藤本賞」を史上最年少で受賞。2012年に初小説「世界から猫が消えたなら」を発表、同作は100万部を超え映画化もされた。その他の著作に2作目の小説であり中国での映画化も決定した「億男」、山田洋次、宮崎駿、坂本龍一など12人との対話集「仕事。」、理系人との対話集「理系に学ぶ」、ハリウッドの巨匠たちとの空想企画会議本「超企画会議」など。16年11月、3作目となる最新小説「四月になれば彼女は」が文藝春秋より発売。