<特別採録・第41回PFF>富野由悠季、「映画」を語る!
「キネマ旬報」2019年11月上旬号掲載分に質疑応答部分を加えました。
取材・構成:野口智弘
2019年9月14日、国立映画アーカイブで開催された「第41回ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」招待作品部門に、待望の劇場版『Gのレコンギスタ Ⅰ』「行け!コア・ファイター」を引っさげ登壇した富野由悠季総監督。映画を志す若手クリエイターたちが集まるPFFだけに、『未来ある若者たちへ送る魂のメッセージ!』と題されたトークショーだったが、始まって満場の観客に向けて語られたのは鬱屈、作劇法、負けん気、問題提起、うぬぼれ、余命、未来。その奥底にほとばしるのは「映画」への熱い思いーー。
白熱の模様を会場の反応とともに採録してお送りする。喜寿を超えていま再びの「だから僕は……」。
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巨大ロボットものは映画ではない?
まさか巨大ロボットものがこういう(ぴあフィルムフェスティバルのような)場で上映されると思ってませんでした。ですので今は感無量です。でも本当のことを言うと「当たり前だろ。呼ぶのが25年遅いよ!」というところです(笑)
僕は自分中心に物事を考える人間で、とにかく「富野由悠季」というクレジットにはこだわっていたんです。『機動戦士ガンダム』(79-80年)は、所詮おもちゃを売るための番組だろと思われていたけれど、たとえおもちゃ屋の手先でも、クレジットに名前が出るなら、いつか「作家」として認められるようになるかもしれない、という計算はしていました。
ですが、『ガンダム』程度では誰も私を映画監督としては認めてくれなかった。『ガンダム』の劇場版三部作(81-82年)のあとで実写映画の声がかかるんじゃないかと思ったけど、まったくかからなかった。僕としてはルーカスを先取りしてたつもりだし、ルーカスより仕事してるかもしれないけど、「ルーカスを超えた」とは誰も言ってくれない。僕が言わない限り(会場笑)。今でも「富野由悠季という演出家がいる」と思ってくれているのはガンダムファンだけなんですよ。
映画の肝は劇にある
学生時代には実写を想定してシナリオを書くこともしました。実写の目線で見るということは結局生身の人間を見ることですが、僕個人として困ったのは社会問題やドキュメンタリーをやるセンスをまったく持っていなかった。
それで、SF映画とかを参考にしてシナリオを書いてみるんですが、上っ面でSFを知っているぐらいではやっぱりダメなんです。「当時のSF映画はすべて見ました」と言えはしますけど、そのすべてって5、6本なんですよ(笑)
でもその手のSF映画を見ていて妙な共通点に気がつきました。SFの設定やポスターのビジュアルは面白いのに、実際に見てみると中身はつまらない。つまり、SF的なシチュエーションだけでは映画にならない、ということです。怪獣が暴れればそれで面白いのか? 「トランスフォーマー」の変形シーンを何十回も見てそれが楽しいかと言われると、お話をちゃんとやってくれという感じでしょ?異議がある人は手を挙げて(会場笑)
そこで劇ということが重要になってくる。まずドラマがあって、その上でシチュエーションが合っているか。その順番が大事です。
もちろん、シチュエーションも映画にとって必須な要素です。西部劇でもなんでも、シチュエーションがもたれてしまうとだんだん人気が下がってくる。でもイタリアン・ウエスタンが出て来たりして、亜流によって人気が回復する。つまり、映画というものは時代時代で対応していいとわかっていく。だからいろんな怪獣ものが次々と出てくるのはそれはそれで悪いことではない。問題なのは、そこで怪獣の固有名詞の名前を変えるだけでいいのか、ということです。
『ガンダム』の場合は、当時、どこかの異星人が攻めてくるようなロボットアニメが多かったなかで、異星人じゃないものを敵にした。その設定だけで勝てたのは、そういうタイプの作品が当時ほかになかっただけのことなんです。「異星人との恋愛話なんてやってる場合じゃないぞ」ということだった。もっとも、そのあと僕も異星人との恋愛話を(『伝説巨神イデオン』で)やっちゃいましたけど(会場笑)。
自殺感覚のなかで作った『イデオン』
『伝説巨神イデオン』(80-81年)は素っ頓狂なデザインのロボットを(スポンサーに)押し付けられて、このロボットでやるならお話も素っ頓狂にしちゃおうと思ったのは本当のところです。物語のバリエーションがない人間だという自覚もあったので、作品と心中する覚悟でやった。そのことが”皆殺しの富野”という呼ばれ方につながる話になってしまった(会場笑)。
惑星間同士の対立構造を発見したときから「この物語は皆殺ししかない」という結論に陥って、「これ以降物語は作れないだろう」と思ってやっていた。ほとんど自殺感覚がありましたね。でもそこに対して何か打算を持った瞬間に『イデオン』みたいな作品は絶対に作れなくて、逃げていったでしょう。作り手としては自分の血を見るぐらいの気分になっていないといけない。だからあとのことは考えていませんでした。
ただこれは『ガンダム』『イデオン』以後も僕がこうして生き延びているからできる話であって、当時はこういう話はしてませんよ?
最近『富野由悠季の世界』という展覧会の準備で、いやいやながらも『イデオン』を見直しました。「こんなの俺、作れない」って思うもん(会場笑)。まともな神経だったら作れない。だから死ぬまでに刈り取りはしたいなと。つまりもう一度、自殺願望なしで『イデオン』レベルのものが作れたら、キューブリックに勝てるかもしれない(笑)、そういう野心はまだあります。
テレビシリーズをいかに映画にするか
劇場版「Gのレコンギスタ」については(全5部作中)まだ1本目ですが、再編集しつつ、テレビシリーズで不足していたところを補ってまとめています。根本的なところで作劇の破綻があって、全部見るとわかるわけです。自分の作品の欠点なんてよほどバカじゃなければわかりますよ?(会場笑) それは補完したのでおそらく印象は違ってくるし、テレビ版以上に広い世界を見せるものになっている確信があります。
とくに足らないかったのは、主人公のドラマ部分です。つまりアイーダとベルリの話が抜けている。一目惚れしちゃった敵のお姉ちゃんがいて、その恋人を殺してしまった。それっきりで話が最後まで行ってしまう。二人が本当の関係性を自覚したときにどういう反応をするかが抜けていたわけです。そこに杭を打って「ようやく映画になったな」というのが、今の率直な感想です。それは今後、とくに3本目、4本目あたりより顕著になると思います。
テレビ版のセリフを変えることも平気でやってます。リミテッドアニメの口パクは正確な口の動きを写していない。だから実写と違ってアニメはかなり勝手に後からセリフを変えられるんです。
編集はやはり潔さが肝心だと思います。例えば、実写でも岡本喜八という監督は編集がとても好きな人なんだなというのは見てわかりますし、最低限映画はああでなければならない。動画を積み重ねて物語を作るという意味では岡本喜八はかなり上質な監督だと思っています。ただ、「日本のいちばん長い日」では、会社から「大作らしく見せろ」と言われて長回しが多くなって冗漫になってしまっている。
黒澤明監督のモノクロ時代までの映画のカッティングもなまじじゃないですよ。監督自身の目線もすごくよかったと思う。ただ、あの手練れの監督に手練れの編集マンがついているにも関わらず、「世界のクロサワ」ということを意識したカラー時代はだらしなくなる。プロデューサーレベルの人たちが制御しなきゃいけなかった。そういうことが自分にとっても学習になっています。
自分の作品で世直しをしたい
若いスタッフにはいろいろ思うところもあります。この前も「なんでシーンとしてるんだろうな?」と思ったら、うかつに富野に口利いたら怒鳴られるということらしい(会場笑)。テレビシリーズのときに若い制作進行を蹴飛ばしに行ったことがあるし、「なんで大人ってああなっちゃうんだろう」というのに気をつけなくちゃいけない年齢に、だいぶ前からなってるわけ。もちろん彼らのことを思って言っているわけですが……。
でも、せっかく自分の意志を公表できる作品を作る立場にいるんだから、自分の作品で世直しをしたい。巨大ロボットものでどんなメッセージを送ったって世直しの提言までできるわけない、とは思っていますが、その中に今後起こり得る問題を掲げておいたら、それを見た子たちがいつか解答を出してくれるかもしれない。そういう期待はしています。
だから子供たちには、この映画(「Gのレコンギスタ」)を見ながら、巨大ロボットや宇宙エレベーターが動いていることにも「おかしいぞ」と疑ってほしい。「あんな宇宙エレベータは絶対できないぞ」と気づいてもらいたい。この映画は、いまの科学技術信仰を持っている人たちに対して「このレベルのことも考えられなければ宇宙エレベータなんて開発しちゃいけないんだよ」と知らせるための、嫌がらせなんです。
宇宙エレベータは理論的には優れているし卓抜なアイデアなんだけど、それがすぐ実用化できると思えるのは何なんだろうか。最近ある若手実業家が「月に行く」なんて言ってますけど(会場笑)、ああいう発想をしている人たちはファンタジーで物事を考えてるんじゃないか。宇宙はそんなに甘いものじゃないし、そんなものに金使ってるなら(台風で被害を受けた)千葉県の電線を地下に埋設しろよと言いたい。
それから(この映画で描かれている)モビルスーツのパイロットシートの下にトイレがあることも笑う奴がいるわけ。でも、現在の戦闘機もトイレがないのはご存知ですよね。どうしてもしたくなったら何してるか知ってますか?そういうのを無視してモビルスーツが宇宙で戦闘できるわけがない……という(科学技術に対する)嫌がらせで作っています(笑)
うぬぼれがないと作るところに行けない
いまの現実に対して異議申し立てをしているのが「Gのレコンギスタ」だという意識は間違いなくあります。「かわいくないキャラクターもいるじゃないか」と言われたら「それでなぜ悪い?」と言い切ります。物語そのものが持っている広がりを意識していただきたい。現代の科学技術に関して言いたいことがたくさんあるんだけど、僕もその解決策が見えないので、「こうなっちゃったらやばいんじゃないの?」という物語を作っています。とくに4部から5部にかけて、フォトンバッテリーの意味がわかってきたときに、もう少し真剣にエネルギーの問題を考えてほしい。でも面倒くさいことはいっさい口にしないで物語は進むようにもなっていますので、安心してください。エンディングはテレビと同じですから(会場笑)。
作品の心張り棒を見抜いてくれる人たちが少しでも出てくれれば、「Gのレコンギスタ」は「ガンダム」という例と照らし合わせても40、50年は保つんじゃないかという、うぬぼれは持っています。このうぬぼれを持たないと、作るところに行けないんですよ。「富野はめでたいよね、70過ぎても巨大ロボットものをやってられるんだからさ」と言うのは構いません。「そうですよ、本気でやってますよ」と言えるし、手抜きなくやっています。
でも「見ていただきたい」という言い方はあまりしたくありません。新海監督作品は新海さん自身が「見てくれ」と言わなくても100億超えるわけですから、僕にはそういう力はありません。それは作品が持っている力が示すことであるし、50年後の結果を見ていただきたいという、それだけのことです。
(5部作完結は)希望としては来年か、再来年ぐらいまでにしたい。僕の余命の問題があります(会場笑)。明後日死んでもおかしくない年齢になってきていますから、なんとか目の黒いうちに次期作まで行きたい。あらためてこの場に呼んでいただきまして、本当にありがとうございました(会場拍手)
下記、未掲載部分の観客との質疑応答です。
(質問)物語を作るときにどこから出発しますか?「まずキャラクターありき」と言う人たちが多いことに疑問を感じています。
いまの時代、(専門学校に)アニメ学科やキャラクター科まであることは知っています。そこではそういう(キャラクターありきという)教え方をしているとも聞きましたので、正直呆れています。そういう方法論を突き詰めていっても、所詮はワンパターンにしかならないと思っていますから、本当にやめていただきたい。
キャラクターというのはひとつの「人格」なわけです。その人物が素敵なのか素敵じゃないのか、かわいいのか憎たらしいのか、どうしてこういう悪人や変態ができあがるんだろうか。そういう問題まで考えた上でキャラクターを造形せざるを得ない。もちろん、長い物語を作っていくときには何十人もの人間を配置しないといけないので、そのポジションに見合う人を都合よく設定することは僕もやります。その上でステレオタイプにならないようにチャームポイントを作っていく意識はあるんだけど、いつもうまくいくとは限りません。
実際の作業としては、キャラクターデザイナーにラフを描いてもらって、その上で「こういうキャラクターならこうしましょう」という肉付けを、ストーリーラインを決めていく段階でしていきます。この場合の肉付けというのは、おっぱいが大きいか小さいかではありませんよ(会場笑)。(そのキャラクターに)かわいげがあるか、ないかを演出で見せるのはかなり難しいことで、人間関係のなかのリアクションで決まってくるもの。けっして絵柄ではないと断定できます。まず絵柄でと思っているとみんな識別のつかないキャラクターが出来上がる、それだけの話です。
(質問)いまは作品を作るうえで、PCの画面やスマホでの視聴を考慮しなければいけない時代だと思います。そんな中、あえて「映画」という言葉を使うこだわりと、Blu-ray Discや配信など映画館以外で映画を見ることに対する考えを教えてください。
本来は「動画」という言い方が適切だと思っています。ですが、動画でカットを積み重ねてお話を伝えていくという瞬間に、それは全部「映画」的なものだと思っています。動画をつなげるだけでなぜ映画になるかというと、その瞬間に(物理的につながっているだけではない)物語が生まれるからです。映画的な面白さというのは、実写もアニメも関係なく、まさにカットを自在につなげられる点にあると思う。演劇と違って省略と飛躍があって、スローモーションやコマ送りのように速さを変えることもできる。だから物語を伝える上で一番、自由自在な媒体です。じゃあ「トランスフォーマー」のようにひたすら動いてれば面白いかというと、そうではない。それは物語を伝える上での起承転結を意識してないからで「動いていればバカな客がついてくるだろう」と思っている制作者が多いということです。
それからデジタル環境の話をすると、その影響で、今とても不幸なことが起こっていると思っています。つまり、ひとつの作品の予算が膨れ上がって、たくさんの人たちを食わせるために大ヒットさせなくちゃいけなくなった。そのため、過剰な動画を積み重ねた作品が次々作られている気がします。スピルバーグが指揮をとっていても酷い映画が出来上がる。
表現媒体としての映画は、本来とても自在で便利なものです。政治的なプロパガンダを担っていた時期もあって、大衆に向けての訴求力は間違いなく持っています。ですから制作者はつねに公共に向けて作品を投下している意味を理解しておいてほしいと思います。
ただ商業作品である以上、予算は回収しなければいけない。それは必須条件です。だから儲け主義を否定はしません。でも「金儲けが映画なのか」といえば、それは疑問です。本当に金儲けをしたいなら、中国あたりの桁が違うマーケットに向けた作品を作ればいいだけのことと思っています。
(質問)著書の『映像の原則』に絵コンテの重要性が書かれていますが、新海誠監督がVコンテ(ビデオコンテ)を取り入れていることについてどうお考えですか?また新海誠作品についての印象も気になっています。
たとえ実写映画であってもアニメレベルのコンテがあるほうが撮影効率がいいんじゃないかな、というのは持論としてあります。ただ、実写の場合は、撮影場所と役者の顔つきとで、必ずしもコンテに準じないことが有効なケースもあります。モノクロ時代の映画を見ていると、状況に合わせて現場優先で撮っています。一番典型的なのは、気象条件を生かした撮影です。以前ある映画で、成瀬(巳喜男)監督作品だったかな?タイトルは忘れちゃいましたけど、どうみても本物の夕立のなかで5、6カット撮っていたんです。おそらく20、30分程度の豪雨のなかでパパッと撮ったんだと思います。そのカットの並びは本当に凄い。ですから、完全にコンテ第一主義というのも考えものです。
その一方で、新海監督のやり方は僕には到底できなくて、デジタルの機材も使えないし、(監督自身がビデオコンテに)セリフを吹き込んでみせるのもやる気にならない。でも皆さん、「天気の子」は四角四面な映画に見えました?そうは見えないですよね。すごく柔軟な感じがする。コンテをきっちり立てながら、画面全体の展開をふくめた柔軟さまで計算している新海監督はたいしたものだなと思います。
(子供からの質問)なんで宇宙では水を見ることが薬になるんですか?
宇宙にいると、水を自由に使えないんですよ。だからああいう液体を見ると嬉しいとか、ホッとするんじゃないかなと思って、ああいう場面を作ってみました。これ以上の説明はできません。このおじさんは宇宙に行ったことがないから(会場笑)。
ただ宇宙飛行士の毛利(衛)さんにも伺いました。水じゃないですけど、宇宙ではなぜかボーカルの入った曲を聞くことが多くなるそうなんです。肉声が入った曲のほうが聞きやすいとか、ホッとする感触があると。つまり我々が地球上で当たり前に思っている湿っぽさやジトッとしたものが、宇宙では意外と気持ちいいんじゃないかな。おじさんはあの場面を気に入っています(笑)。
(子供からの質問)『Gのレコンギスタ』のモビルスーツっていままでより丸いイメージがあるんですけどその理由は?
ものすごく簡単です。デザイナーが違ったからです(会場笑)。そのデザイナーはいままでの(直線的なデザインの)ガンダムに飽き足らず、曲線を取り入れることを今回かなり一所懸命やってくれています。自動車のデザインも、流線型のデザインを見すぎてしまうと、今度はその反発として四角くなるでしょう。でも、完全な真四角に戻るわけじゃなくて、角のアール(丸みの半径)の付け方が昔より大きくなって、全体としては丸みを帯びていたりする。つまりプレス機械の性能ひとつとっても進化しているので、以前と似たようでもまったく同じというわけではない。そうやって時代に合わせ改善するということを、大人になったら次々と考えていくわけです。が、反対に「俺の知っているものでなくちゃいけないから30年前のままにしろ!」という大人もいます。どっちに行くかはあなたの才能次第なので、おまかせします(笑)。
▼監督プロフィール
とみの・よしゆき/1941年生まれ、神奈川出身。アニメーション監督、作詞家、小説家。64年、日本大学芸術学部映画学校卒業後、虫プロダクションに入社し、日本初のTVアニメシリーズ『鉄腕アトム』のスタッフとなる。67年に退社後、CMディレクターを経てフリーの演出家に。72年に『海のトリトン』で実質的に初監督。79年に『機動戦士ガンダム』の原作・総監督を務め、ガンダムブームを呼び起こす。以後、『伝説巨神イデオン』、『聖戦士ダンバイン』など、多くのオリジナルTVアニメ作品を手掛け、アニメファンのみならず広い分野に影響を与えている。