鶴岡慧子監督×小川努カメラマン×柳島克己撮影監督「デジタル撮影で手に入れた新しい表現の選択 vol.02」(Vol.3)

インタビュー

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グレーディングによる可能性

小川氏:自主映画で一眼レフ使っている方が多いと思うんですが、最近のカメラの性能の上がり方は、撮った後にどれだけ画を変化をさせる可能性を持たせるのか、という形で進歩してきています。当初、夜のシーンの願望があると聞いて、カラコレで夜にするという案があったので、折角なのでグレーディング前の画を見ていただきたいと思います。


グレーディング前の映像

小川氏:次に擬似的に夜にしてみた画です。


擬似的に夜にした映像

小川氏:本編と比べたら、色も出ていなければコントラストが低くヌメヌメとして光も出ていない。晴れた天候で撮ってここまで落としてもある程度違和感無く見られる。デジタルでこういうことが出来るというあくまで参考例ではありますが。

鶴岡監督:完全に夜にふってしまおうという案もあって1回やってみたんですけれども、あまりにも不気味だったというか(笑)。

小川氏:不気味というか台詞や芝居の感じとかけ離れている気がしたんですよ。今回、下準備は私がやったんですけれどもは撮影所のカラリストの方に1日だけ最終的な作業に入っていただいて。カラリストの方とも相談して、自然に夕方に見えるくらいにしておいたほうが、という話になりました。そうじゃないと映画が持たないのではと感じて、結局完成版の方向性に落ち着きました。

 
完成版の映像

広がった選択肢によって明確になること

小川氏:技術的な選択肢が増えるなかで、ある意味何でもできるという状況になってしまっていることが、逆に、何を選ぶのか、ということを非常に難しくしているなというのをカメラマンが思うくらいですから、監督が選んでいかなければいけない選択肢の数って、ものすごいんだろうなと思ったり。映画のまとめ方というのか、どこに持って行きたいのかの最終的なビジョンへ至るまでの選択肢の分かれ方っていうのは本当にキリがないんじゃないかと。そういうこともあって曖昧な話をしてくれって言うんですけれども(笑)。

柳島氏:僕の場合は選択肢を撮影中に持ち込みたくないので、クランクイン前にカメラテストをしてほとんどルックを決めてしまいますね。例えばRAWとLOGではRAWのほうがデータ量が大きいので動かせる幅があるんですが、僕はLOGでしか撮ったことがない。これまでテストした結果、僕はそこまでデータをいじる必要性を感じていなく、必要以上に複雑にしなくていい、逆にその幅の狭さのその方がいろんな撮影に関したことのアイデアが出ると思っています。たとえば北野さん(※北野武監督)の場合は、カットに関して明確なこと言わないですし、そのシーンが成立していれば次のシーンは多少ずれていてもかまわないと考える人なので、僕らもそれを信用してそれぞれのシーンを成立させていこうと考えていています。北野作品では使用レンズの70~80%をメインとなるレンズ2本で撮っています。その2本のレンズをやり繰りしながら、このカットはこのレンズでアップを撮ろう、ヒキを撮ろうと考えている。北野作品ではなるだけ僕はすごくシンプルに考え、そこからどういう風に、脚本なり監督の意向を聞きつつ映像表現が出来ればと考えますね。そのほうがスクリーンの中でサイズ感や距離感をすごく感じますね。極論を言うと本当なら監督が自分で撮影すれば早い話かもしれないけれど、基本的にはそれは出来ないわけで、それを僕らが代弁するというか。僕は監督がイメージすることを昇華する職人でいようと思っているので。


鶴岡慧子 Keiko Tsuruoka

1988年生まれ。立教大学の卒業制作『くじらのまち』(12年)がPFFアワード2012グランプリ&ジェムストーン賞(日活賞)をW受賞、ベルリン国際映画祭をはじめ世界10カ国以上で上映される。第23回PFFスカラシップ作品『過ぐる日のやまねこ』が4月27日にDVDリリースされた。


小川 努 Tsutomu Ogawa

1989年生まれ。東京藝術大学美術学部卒業後、同大学院映像研究科映画専攻にて柳島克己教授に師事。撮影及び照明技術を学ぶ一方で、舞台作品の演出、脚本を手掛ける。撮影監督として、鶴岡慧子監督作『じじいの家で飯を食う』(12年)、『過ぐる日のやまねこ』(15年)など。


柳島克己 Katsumi Yanagijima

1950年生まれ。東京写真専門学校卒業後、72年に三船プロダクション入社、81年よりフリー。『3-4×10月』(90年)から『龍三と七人の子分たち』(15年)まで、北野武監督のほとんどの作品を手掛けている。そのほか『バトル・ロワイアル』、『GO』、『ディア・ドクター』、『ライク・サムワン・イン・ラブ』など。