No.40:『HOMESICK』in 第18回釜山国際映画祭

海外レポート

日本国内のみならず、海外の映画祭でも上映される機会が多くなったPFFアワード入選作品&PFFスカラシップ作品。このページでは、そんないろいろな映画祭に招待された監督たちにも執筆していただいた体験記を掲載します。

第22回PFFスカラシップ作品『HOMESICK』in 第18回釜山国際映画祭 (開催:2013年10月3日~12日)

メイン会場にある野外スクリーン。夜は映画が上映され賑わう。

釜山映画祭滞在記

文:『HOMESICK』監督 廣原 暁

釜山国際映画祭は、いつか行きたいと思っていた映画祭のひとつだった。それは日本からの近さもさることながら、アジア映画を世界中に発信する場所として、とても重要な映画祭だと理解していたからだ。今回は、撮影の下川、美術の飯森、それと眞田(映画『しんしんしん』の監督である)が一緒に参加することに。皆、東京芸大の同期である。

飛行機に乗れば、着くのはあっという間。ホテルにチェックインした後、街をウロウロしてみる。どこもかしこも映画祭一色。いろんなところに映画のポスターが貼られている。定期的にシャトルバスも走っているし、大きな看板が海沿いをずっと並んでいる。すれ違う人は、みんな首から映画祭のパスをぶら下げているし、なんだかそれだけで楽しくなってきてしまう。こういった映画祭の雰囲気は、日本ではなかなか味わえない。そんな気分に興奮してか、初日からかなり酒を飲み過ぎてしまった。

到着した翌日に『HOMESICK』の上映。英語も韓国語も喋れない4人の若者が、ふらふらとスタッフについていき上映会場へ向かう。場内は満席とまではいかないが、8割くらいだろうか。後で聞いた話によると、チケットはsold outだったらしい。

映画祭の会場やホテルは、ビーチのすぐそばにある。

メイン会場にて。釜山映画祭にはたくさんのスポンサーがついている。

久々に大勢の人前に出て、上映後の挨拶はちょっと緊張してしまった。
Q&Aではたくさん質問が出た。
自転車の二人乗りで、子供が後ろ向きに座るのは、過去と未来を表しているのか?というような質問が出て、とても戸惑った。映画的に良いだろうっていうだけでやったことだが、一生懸命そのことを説明しようとして、逆にややこしくしてしまった。自分の映画について自分で説明することほど、虚しい事はない。何も説明する事なんてないし、誰も説明なんて求めてはいないのに、不安に駆られるとすぐ説明してしまう。今思えば、ただ、子供の視線を大人の背中で遮りたくなかっただけなのかもしれない。

一番嬉しかったのは、最前列で見ていた13歳くらいの子供が、「ずっと家にいるのになんで『HOMESICK』というタイトルなのか分からない」と言ってくれたことだった。僕が答えると、深くうなずいてくれて、理解してくれたようで嬉しかった。

Q&Aが終わったあとも、会場の外で大勢の人から握手やサインを求められ、日本語を喋れる人には質問もされた。僕の目の前にちょっとした人の列が出来上がり、自分の映画が受け入れられたんだという感慨がふと湧いてきた。

上映後は、釜山のフィルムマーケットを覗いてみた。話に聞いていた通り、とても広くて賑わっていたが、一番興味深かったのは、映画の売り買いだけではなくて、企画マーケットのブースがあることだった。企画ごとにいくつものブースがあって、そこに行けば監督やプロデューサーと話が出来る。出資者やプロデューサーが見つかれば、映画が大きく前進する。上映だけではなく、映画を作り出す場としての映画祭の重要な役割を再認識させられた。僕も次回は企画マーケットに応募してみようと思う。

僕が映画祭で最も楽しみにしているイベントのひとつが、一日の終わりの呑み会である。日本ではなかなか会えない方とも、異国の地だと気軽に会話ができ、時間を気にせずぐでんぐでんになるまで呑む事ができる。こんな幸せは、海外映画祭でしか味わえない。

今回は、青山真治監督と熊切和嘉監督と再会することができて、最高に嬉しかった。映画祭で僕の映画を初めて認めてくれたのは熊切監督だったし、青山真治監督とは福岡で初めてお会いし、『HOMESICK』を見て、たくさんの嬉しい言葉をくれた。
釜山では、酔っぱらいすぎてか何を喋ったのかはほとんど覚えてないけれど、よく笑ったことだけは覚えている。お酒に弱いはずの僕も、この日はたくさんの酒を呑み、いつまでも興奮して眠くならなかった。美術の飯森が、迂闊に店の電球を割ってしまったことを除けば、何一つ文句のない、素敵な夜だった。(後日、彼が同じ電球を探し出して買ってきたので、お店の人は笑顔で許してくれました)

青山さんとは次も呑む機会があり、その時はたくさん映画の話をしたので覚えている、小津やウェス・アンダーソンの話をして楽しかった。『HOMESICK』についてもたくさん語ってくれた。

廣原監督が飲みに行ったという屋台。地元の人と観光客で賑わっていたそうです。

今回の釜山国際映画祭で、何よりも一番嬉しかったのは、新人部門や学生部門といった括りではなく、青山監督や熊切監督と同じ部門で、僕の映画が上映されたということだった。

そんなこんなで釜山映画祭では、毎日毎日呑んでばかり。呑み会が終わったあともホテルで朝まで呑んだりしていたので、起きるのはいつも昼過ぎで、映画も碌に見なかった。その代わりに、たくさん美味しいものを食べたし、地元の人と楽しく喋ったりした。釜山の人は皆親切で、道を聞いてもとても丁寧に教えてくれる。言葉は通じなくても、表情や感覚が近いせいか、とても多くのものが通じ合うような気がした。飯を食い、人と触れ合って、初めてこの国の良さを理解できた気がする。こんなに面白い場所がすぐ近くにあるのだなと、僕らは感動し、また釜山に来る事を誓い合った。

いろいろと楽しいことづくしの映画祭だったが、とても残念だった事がひとつ。『HOMESICK』の上映環境がとても悪かったことだ。
明らかに映像が暗かった。夜のシーンはほとんどつぶれていたし、昼間でも影になると顔が見えなかった。おまけに韓国語字幕が投射されると、その部分だけ白っちゃける。

最近の映画の上映素材はDCPが主流だが、『HOMESICK』の釜山での上映素材はHD-CAMだった。本来なら、綿密に上映チェックをして、プロジェクターやスクリーンに合わせて調整する必要があるのだろう。しかし、シネコンのような場所では、上映環境をDCPに合わせてまとめているので、そのような調整をするのはとても難しいらしい。ましてや釜山映画祭となると、一日に多くの映画を上映しなきゃいけないわけだから、会場ごとに映像を調整するのは不可能に近い。映画館によって映像の質が多少変わってしまうのは、仕方がない事だとずっと思っていたが、今回の事を受けてそれじゃまずいと自覚した。

ある、映写技師の人の言葉を思い出した。
「僕らがいなくても、映画の上映が始まると思っている人達がいる」
映写技師という重要な存在について、僕らはもっとよく考える必要がある。

そして、映画作りというものが、企画から始まり、宣伝配給はもちろん映写まで含めた、ひとつの運動として捉えなければいけないのだと、強く思った。プロフェッショナルという存在が失われつつある時代、全て自分たちの力で直接やっていくしかない。そういう意味でも、今回、『HOMESICK』のスタッフで釜山に行けた事は、大変有意義だった。新たな運動を始める為に、僕たちがやるべきことを、これからも続けて行こうと思う。