No.24:『ニュータウンの青春』in 第16回釜山国際映画祭

海外レポート

日本国内のみならず、海外の映画祭でも上映される機会が多くなったPFFアワード入選作品&PFFスカラシップ作品。このページでは、そんないろいろな映画祭に招待された監督たちにも執筆していただいた体験記を掲載します。

PFFアワード2011入選作品『ニュータウンの青春』in 第16回釜山国際映画祭 (韓国:2011年10月6日~14日)

前回の『ダムライフ』と同じ第16回釜山国際映画祭に出品された『ニュータウンの青春』。その森岡 龍監督にも体験記を綴っていただきました。『ダムライフ』の北川監督とはまた違った目線の釜山国際映画祭レポートとなっています。

会場には、参加監督たちが紹介されている。

成田から約2時間かけて金海国際空港に着くと、空港内に映画祭専用受付があり、そこでリムジンバスを案内してくれる。車で走る事約1時間で海雲台という映画祭のメイン会場となる地域に到着。街中には映画祭のポスターや滞在監督の写真がズラーっと並んでいたり、映画祭ムード一色で俄然テンションが上がってくる。

開会式は釜山シネマセンターという今年から設立された別名《映画の殿堂》で行われた。ここにはいくつかの劇場と巨大な屋外劇場があり、なんと5000人もの観客が一度に映画を観れるニューシネマパラダイスな施設がある。巨匠やスターも多数参加して、花火も上がり、なんとも豪華な雰囲気で釜山国際映画祭は幕を開けた。PFFの荒木さんに「PFFの100倍はデカイ」と言われていたが、確かにでかかった!!同じくPFFから参加していた『ダムライフ』の北川監督と女子高生みたいに写メを撮りまくった。

2日目は映画雑誌の取材を終え、釜山シネマセンターのゲストブースで手続きをして映画祭専用パスを受け取った。このパスがあれば観たい映画のチケットを発行してくれるのだ。諸々の手続きは受付に並んだ若く可愛いらしい女性スタッフたちがやってれる(噂には聞いていたが、釜山のスタッフは本当に美人が多かった!)。受付の横には上映リストが置いてあり、チケットがソールドアウトになると赤い横線が引かれるシステムになっている。が、『ニュータウンの青春』に赤線は引いておらず、お客さんが入るか不安になりながらも上映会場へ向かうと、8~9割はお客さんが入っていたので安心した。この日はティーチインはないのでひっそりと後ろで観ていたが、リアクションが日本よりも大きくて驚いた。上映中に声を出したりするのが当たり前なのか、単純に映画を楽しもうという雰囲気が伝わって来た。とにかく、映画は国境を越えるんだという瞬間を肌に感じて嬉しくなった。

3日目以降はしばらく自作の上映はないため、映画を観たり食を楽しもうと街を散策することに決めた。海雲台地域はリゾート地であるため、夜になると海沿いにギター弾きや呑み屋が並びだし、カジノなんかもあってとにかく楽しげな雰囲気に包まれる。そして、体格の大きいヒップホップ系の人がいるなーと思ったら『東京プレイボーイクラブ』の奥田庸介監督だった。思わずハグしてしまった。一緒に自主映画を作った同級生でもある奥田君と異国の地で再会できたことはとても嬉しいことだった。この日は奥田君の部屋に泊めてもらい、熱い映画談義を交わした。奥田君は別れ際に「龍君、止まんなよ」と僕を鼓舞してきた。僕は「止まるわけねーじゃん!」と返したが、奥田君はキョトンとしていた。

上映終了後の舞台挨拶での1コマ。

開会式での森岡監督。

そして、『ハラがコレなんで』チームの石井裕也監督と石橋凌さんとも遭遇。しばし雑談を交わし、夜には主演の3人をはじめとする『ニュータウンの青春』のスタッフたちとも合流することができた。釜山という近さもあって、皆参加する意思を見せてくれたのだ。釜山に来れた喜びからくる妙なハイテンションでしばらくは皆「ウィー!!」しか言わなかった。気分は完全に修学旅行であった。当然、焼肉屋へ直行しマッコリで乾杯。

そして翌日は(ほぼ毎日だが)二日酔いの身体を起こし、ビーチを散歩。ビーチには映画祭関連企業などがイベントを行っていたり模擬店を出していて賑わっている。で、2度目の『ニュータウンの青春』の上映へ向かうと客席はほぼ満席。Q&Aでは「ナゼこの映画を撮ろうと思ったのか?」「ナゼ友達をキャスティングするのか?」「ホワイトマンというキャラクターを設定した意味は?」「ファーストカットの真意は?」などなどたくさんの質問が飛び交い、盛り上がりをみせた。とにかく韓国人は質疑応答に対して挙手!挙手!挙手!という姿勢。そして、上映後は全員サイン攻めにあうというスター気分を味わった。主演の島村は嵐のマツジュンに間違えられるという奇跡も起きた。この日の夜は調子に乗って韓国の若者が集うクラブへ行って踊り狂った。

翌日は“BEXCO”という大きな施設に赴いた。ここでは釜山映画祭のもう一つの顔である「アジアンフィルムマーケット」という企画や配給など映画の売り買いの場が儲けられており、数多くの会社やFC(フィルム・コミッション)などが海外配給や技術・機材販売、ロケ地の宣伝や紹介をしている。映画祭での上映のみならず、海外での配給や製作を視野に入れた映画作りというものもさほど遠い話ではないような気がした。で、シンセゲというデパートのフードコートで昼食。ここにはアイスリンクが設けられており、子供たちがアイススケートをしているのを観ながらご飯が食べられる。こういう風景も何か新鮮に思えた。韓国には若者が多いらしく、若者向けエンタテインメント産業にとにかく力を入れているようだ。ちなみに映画料金は日本円で約600円。そして、3度目の上映も大盛況の後、終了。「釜山、楽し過ぎるなー」なんて思っていると空にはキレイな飛行機雲が。こんなことでも皆は大はしゃぎ。でも僕は、帰国したらスカラシップの企画考えなきゃなーなんて一人現実に戻された(スカラシップ作品のトレードマークは飛行機雲なのだ)。

最終日の夜はクロージングに参加。上映されたのは原田眞人監督の『わが母の記』。5000人の観客と一緒に観た日本の風景はあまりにも美しかった。そして、お世話になった映画祭スタッフの方々や現地で出会った映画作家たちとマッコリを呑み交わし、別れを惜しんだ。皆、口を揃えて「トマンナヨ」と言っていた。韓国語で「トマンナヨ」は「また合おう」という意味らしい。ふと思い出した。奥田君は僕を鼓舞した訳でもなんでもなく、つまり「止まんなよ」ではなく「トマンナヨ(また会おう)」と言っていたのだ。俺、勘違いしてたなーと急に恥ずかしくなった。けど、まあ、意味は同じか。止まんなければ、映画を続けていれば、またどこかで会えるはずだから。

トマンナヨ

文:『ニュータウンの青春』監督 森岡 龍