No.18:『家族X』in 第61回ベルリン国際映画祭(後編)

海外レポート

日本国内のみならず、海外の映画祭でも上映される機会が多くなったPFFアワード入選作品&PFFスカラシップ作品。このページでは、そんないろいろな映画祭に招待された監督たちにも執筆していただいた体験記を掲載します。

第20回PFFスカラシップ作品『家族X』in 第61回ベルリン国際映画祭 (ドイツ:2011年2月10日~20日)

『家族X』の吉田光希監督が参加した3つの海外映画祭の体験記を、全6回に渡って連載していくシリーズ企画第2弾。
今回は、ベルリン国際映画祭(前編)で、初めての経験をたくさんした吉田監督が、経験を積み、ドイツの地を去るまでをお届します。

住宅街にある映画館Colosseum。

『家族X』3度目の上映は映画祭のメイン会場から少し離れた高級住宅街に位置するColosseum(コロッセウム)という劇場で行われた。
この回では本当にたくさんの質問を頂き、自分の答えに対して拍手を頂いたりと反応も良い。(住宅街に住む人達という客層だったので、映画の扱う問題がリアルだったのかもしれない。)

「どの程度シナリオに準じた演技なのか?それとも即興的な芝居によって作られたものなのか?」という質問へは、「脚本段階から既にダイアローグは少なく、準じるかたちで作られているが、実際に演じてみて、疑問が生じたときは別の台詞や動きを俳優と作っていく。そのような関係を現場で築いていくことが映画を作るということだと信じている。」と答える。

既に2回の上映を経験していたので、作品に対する思いもいろいろと定まってきていて、割と否定的だった感想にも、即座に自分の考えを伝える事が出来た。質問への答えが明確になってきている事を実感出来たQ&Aだった。

4度目となる最後の上映の頃には、日本から参加している関係者は皆帰国してしまって孤独な最終日となる。
この日はCineStar(シネスター)というシネコンの劇場。土曜という曜日も良かったのか、観客も満席に近い入りだった。手持ちを多用したカメラワークの意図を聞かれることも多く、これについては「カメラのこちら側にも登場人物の世界は続いているので、三脚を置くことでカメラの後ろには来られなくなるような、俳優の動きを限定してしまう事をやりたくなかった。ハンディカメラで追いかけることで演技の自由度を増やしたかった。」と答える。

4回目にもなると似たような質問も多く、すんなりと答えられるようになっていく。『家族X』と自分の関係も確かなものになってきていた。ベルリン最後の上映なので、質問後にお礼の言葉も言わせてもらい、出来る限り深いお辞儀をして、この映画を見てくれた皆さんに感謝をした。

コンペティション部門の表彰式。

映画祭の最終日には、特別にコンペティション部門の表彰式に出席できることになりメイン会場へと向かう。
映画祭の主役はやはりコンペ部門という思いがあって、受賞の瞬間には是非立ち会いたいと思っていた。

各賞が発表され、皆が壇上で喜びのスピーチをしていく中、銀熊賞を受賞したタル・ベーラ監督は、トロフィーを受け取ると振り向きもせずに無言のまま舞台袖へと消えていったのだった…。巨匠の貫禄を見たような気がした。
華やかなアワードに感動し、自分もいつの日かコンペ部門でこの場所へ来たい!と、強く思える貴重な体験が出来た。

ベルリンでの滞在は、「Q&Aでの自分の答えは正しかったのだろうか?」と自問する時間も多く、映画と自分の関係を育む期間でもあった。

“映画祭に参加すること”の意味を考える機会も多い。
ベルリン映画祭はやはり巨大で、参加すると毎日多くのパーティーもあり、各国の有名映画祭関係者と話せる場が沢山ある。そこで経験したことは、いつでも次回作の事について聞かれるということ。出来れば既に完成しているくらいのタイミングが理想的なのだと思った。企画段階のシノプシスや脚本などではなく、未発表作のスクリーナーを持参して売り込むくらいの勢いで映画祭に参加できたら、広がりももっと大きくなるのだろうと思う。

ベルリンの街は治安も良く、深夜の地下鉄に乗ることもあったが、特に危険な雰囲気に遭遇することもなく滞在出来た。日本では体感しないような、乾いた寒さも心地よい。映画祭のメイン会場から市内の観光名所は、ほとんどが徒歩で行ける距離にある。

映画祭も終了した滞在最終日には、現地で出会った、サッカー留学に来ているという日本人青年と共にベルリン観光を楽しんだ。
ちなみにこの青年はいつの間にか財布をスられていた…。
(観光地で肩を組んでくる鳥の着ぐるみには気をつけましょう。)

〈次回、『家族X』は南米大陸へ!ブエノスアイレス編につづく〉

文:『家族X』監督 吉田光希