No.14:『不灯港』in 第10回全州国際映画祭

海外レポート

日本国内のみならず、海外の映画祭でも上映される機会が多くなったPFFアワード入選作品&PFFスカラシップ作品。このページでは、そんないろいろな映画祭に招待された監督たちにも執筆していただいた体験記を掲載します。

第18回PFFスカラシップ作品『不灯港』in 第10回全州国際映画祭 (韓国:2009年5月4日~8日)

海外映画祭レポート特別編として、『不灯港』と内藤隆嗣監督のワールドツアーの模様を4回に分けてお送りします。
第2弾は、『不灯港』の日本での劇場公開を控えた頃に開催された韓国の全州映画祭の模様です。

5月初旬。ロッテルダムから戻って3ヶ月。日本では2ヵ月後に公開が迫っていた頃、私は韓国の全州国際映画祭へ行ってきた。

ソウルからバスに揺られながらだだっ広い田園風景をひた走ること5時間。やって来たのは全州市、人口50万人。李王朝の本貫地とされ古い街並みが広がっていてとても静か。こんなのどかな街で本当に映画祭なんてあるのか?と眉をひそめていると、「どうしました?困った顔して」と映画祭のボランティアスタッフに声をかけられ、「あ、アニョンハセヨ。ビビンバはどこですか?」ととっさの一言。そう、ここ全州はビビンバの発祥の地らしい。
ついでだが、全州映画祭のボランティアスタッフは非常に優秀だった。彼らはほとんどが学生で韓国全土から5倍もの厳しい倍率を勝ち抜いて集められた精鋭たちだ。この経験がそのまま大学での単位になるらしく、皆意欲的。語学に堪能で身のこなしも洗練されている。私は「エクスキューズミー?」と言った記憶がない。何故なら彼らに目が合えばすぐに「メイアイヘルプユー?」が飛んでくるからだ。一人でやってきた私なんかでも全く不自由を感じることはないきめ細かなホスピタリティーには本当に敬服せざるを得なかった。

町の中に忽然と姿を現す、シネマストリートと呼ばれる1本の長い通りがメイン会場だ。その通り沿いには手作りの立て看板、チャップリンやジョージ・ルーカスの巨大な似顔絵、そしてありとあらゆるストリートパフォーマーが立ち並んでいて異様なくらい映画一色で染められていた。いかにも「映画祭やってます」といった大きなのれんが掛けられていそうな、街に通りに映画祭の放つエネルギーが溢れていた。

全州映画祭は全州デジタルプロジェクトと題し、毎年3本の短編映画を製作しており、今年の3本のうちの1本は河瀬監督によるものだった。また、他の部門では韓国人監督による元従軍慰安婦と称する人々へのインタビューを綴ったドキュメンタリーも出品されており「私は日本政府を動かしたい想いでこれを撮った」と、ドキリとする監督のコメントも。

『不灯港』は、メイン会場から少し離れた所にある全北大学の大講堂にて上映された。収容人数は1700人と全会場中最も大きく、スタッフが「不灯港はたくさんの人に見てもらいたかったからここを選んだんだ」と教えてくれた。

お客の入りは半分程だったが、若いカップルから老人までと客層は幅広かった。近くて遠い国と呼ばれるこの地で、一体どんな反応が生まれるのか見当が付かなかったが、これまたロッテルダムに引き続き会場が何度も大きな笑いに包まれて、ひとまずホッと胸を撫でおろす。
上映後のQ&Aも活発に手が挙がり、「なぜあんなに食事のシーンが多いのか?分かりやすく説明しろ」、「映画の最初と最後のカットには両方とも人物が登場しない。これは何か狙いがあるのか?」などなど細部まで観てくれていると分かる質問もありこちらも背筋が伸びる。映画の予算や、その調達はどうしたか、などのどういう背景でこの映画が作られたのかについても聞かれ、日本の自主映画祭に選ばれ、トータルでバックアップしてくれたことを話すと、「お前はラッキーボーイだ」といった表情を一気に集める。同じ作り手なら、いかにして映画が作られたのかというハード面への関心の高さはどこの国も同じなのだろう。ロッテルダムの時と比べて観客の反応には笑いが起きる箇所などの微妙な違いはあったが、最後まで席を立たず前のめりになって能動的に観てくれた韓国人観客のアツさを感じ、もっと彼らのハートを掴んでみたいという欲求が早くも芽生え始めていた。

会場を出ると人生初の出待ち(?)に出くわし、思いがけないサイン攻めにあった。「しまった、もうちょっとポマード塗ってくればよかった」と思い、パサついた髪をかき上げながら、毎回微妙に違うサインを書きまくった。

遠くに忘れていた視線を手元に戻し、チヂミの最後の一口を放り込むと、踵を返してホテルへ。途中エスカレーター脇のコーヒーショップに立ち寄る。
部屋に戻って窓の外を見渡しながら一口。強めの香りからしてイタリアンローストだろうか。目の前には遥か真っ直ぐネイザンロードが伸びていて人通りが絶えることはない。思い返せば5年前、この通りの3駅先にある無数の安宿が入ったチョンキンマンション(重慶大厦)という雑居ビルに長期間沈没していたことがある。一泊1,000円のただ寝るだけのスペースと水シャワーのみの窓の無い空間。気が滅入りそうだったがこの地の空気がどことなく心地よくて、特に何かするわけでもなくだらだらと一日一日を過ごしていた。カビ臭い寝袋にくるまりながら、となりの旅行者に「今日何すんだい?」、「飯でも食ってうろうろさ。お前さんは?」、「俺はうろうろした後飯でも食うかな」、「どっかですれ違ったら声でもかけてくれ」、「ああ、そうするよ」…そんな毎日だった。
今となってはこういう旅行をして久しい。だが、映画祭にてこれと似たような滞在ができるとは誰が予想できただろうか?私は先日参加したミラノ映画祭(イタリア)の様子を思い出していた…。

文:『不灯港』監督 内藤隆嗣

まだまだ、つづく