No.13:『不灯港』in第38回ロッテルダム国際映画祭

海外レポート

日本国内のみならず、海外の映画祭でも上映される機会が多くなったPFFアワード入選作品&PFFスカラシップ作品。このページでは、そんないろいろな映画祭に招待された監督たちにも執筆していただいた体験記を掲載します。

 第18回PFFスカラシップ作品『不灯港』in 第38回ロッテルダム映画祭 (オランダ:2009年1月27日~2月2日)

海外映画祭レポート特別編として、『不灯港』と内藤隆嗣監督のワールドツアーの模様を4回に分けてお送りします。
今回はその第1弾。内藤監督が初めて経験した海外の映画祭、オランダ・ロッテルダム映画祭を中心としたレポートです。

10月29日、香港はモンコックに建つとあるホテルの一室。30階。部屋には程よく並べられたラグジュアリーの数々。
流石にこの高さからか、下界から香港独特の“アジアな雑音”は聞こえてこない。聞こえてくるのはエアコンが静かに鳴らす送風音とさっきまで横になっていたベッドの凹みが元に戻るパリパリとした乾いた音ぐらいだ。
窓から見える、この地を象徴する乱立したコマーシャルビル群の風景とは不釣り合いな静寂の中、私はこの原稿の冒頭を書いている。
今年1年間で駆け巡った海外映画祭をまとめて報告するレポートだ。

PFFしか映画祭体験が無かった私のもとへ、初長編作であるスカラシップ作品『不灯港』がいよいよ海を渡るという知らせが舞い込んだのが丁度1年前。プロデューサーからロッテルダム国際映画祭のコンペティション部門への出品が決まったと告げられた。
それ以後幸運にも数々の映画祭への出品が相次ぎ、その中のいくつかに私も参加することとなったのだが、これを書いている今も香港アジア映画祭への参加中である。数時間後に私の作品の上映が控えており、スタッフが迎えに来るまでの間、この1年間で参加したいくつかの映画祭で私が見て体験して感じたことを自分なりに振り返ってみようと思う。

私にとっての初めての海外映画祭体験は今年1月に開催されたロッテルダム映画祭(オランダ)だ。初めてということで当時を思い出し詳述してみる。

そもそも映画祭に参加するとは一体どういうことだ?私はそこからだった。現地に行って何をするのだ?終始監督っぽく小難しい顔をしていなければならないのか?それとも祭りならできるだけ沢山笑顔を振りまいた方がいいのか?さっぱり分からない。おい、フィルムは機内持ち込み可か?などなど出発前に様々な疑問と心配事が噴き出してしまった(フィルムはDHLかなんかで予め現地へ送っている)。
着て行く服もよくわからず、現場で着替えればいいと、何パターンか用意しボストンバッグに詰め込んだ。パンパンになったカバンの膨れ具合に、ロッテルダムでの海外プレミアへの意気込みが現れてしまった。

ロッテルダム映画祭は実にマンモス映画祭だった。
上映本数は短編、長編合せて700本を超え、その紹介が載っている映画祭公式カタログは厚さ5センチと国公立の赤本並。開催中の来場客数は34万人以上(因みにロッテルダムの人口約58万人)と、全てにおいて自分が思い描いていたスケールと1ケタずつ違っていた。そして私の作品はメーンエキシビジョンのVIROタイガーアワードと呼ばれる新人監督作品のコンペ部門にて上映され、他13作品で競われることとなった。
今“競う”という言葉を使ったが、コンペティションというだけあって差し支えないだろう。私は競うことは嫌いではない。今まで生きてきて何度かの転機を迎えてきたがそこには必ず“競い”があった。大学受験、PFF入選、そしてスカラシップ権の獲得…。しかし、こと映画祭に於いては受験やスポーツといったライブリーな競技とは違って、既に出来上がっている手のつけられないものの持つ力、技能が比べられるので、当人がどう足掻いてじたばたしても仕方が無い。だがいずれにせよ競いの場に立たされたのならば、その結果の行方を見守るのは競技者としての当然あるべき姿である。つまり正々堂々としていれば良いのだ。生れて此の方戦いとは無縁の歴史の中で育ってきた島国根性などかなぐり捨て、背筋を伸ばして胸を張れば良い。これに尽きる。そうやって私はフンドシをきつく締め直し、いよいよ始まる『不灯港』の上映会場へ肩で風を切りながら入る。

だが、そうするや否や私の顔は引きつり下半身が早速震え出した。それも仕方は無い。目の前にしたのは1000人近くいる観客。満席。髭を蓄える者はそれをいじりながら、眼鏡をかける者はそのフレームをいじりながら皆思い思いの姿勢で、

「へぇ~、あんたの映画観てやろうじゃないの」

と言わんばかりに一斉にこっちを見ているではないか。思わず後ろを振り向くと、これがまた化け物のように巨大なスクリーンで、「おい、こっちもか!」と思った頃には、自分はどこか月面に降り立ったかのような異空間に立たされていることを思い知らされていた。それくらいバカでかい映画館だった。私にとって非日常以外の何物でもなかった。

一通り上映前の挨拶を終えると灯りが消え、ついに映画が始まった。
すると客の反応もこれまた予想外のスケールだった!しかも嬉しいことに私の中でいくつかある“ここは絶対に笑ってほしい箇所”では大きな笑いが生まれた。笑いで次のセリフがかき消されて全く聞こえないところもあった程。これ以上嬉しいことがあるだろうか?上映終了まで私の高鳴った鼓動が静まることはなかった。

上映後の観客との質疑応答では、「ラストシーンのお前のつもりを聞かせろ」にはじまり、「お前が学んだ数学が映画を作る上で役に立ったと思うか?」や、「影響を受けたと思う監督は誰だ?」等々多岐に渡った。不慣れから自分以上に通訳を困らせてしまうこともあったが、観客から質問があがるのはそれだけ映画を自分のものにしようとしている姿勢の表れだと思うと嬉しくなった。この後さらに上映は3回あり、どれもすこぶる反応が良かった。だが、手放しで喜ぶのは危険だ。お客の反応というのは往々にして悪い反応よりも良いそれの方が目に見えて目立つ分、作り手には届きやすい。祭りだけに神輿の下の担ぎ手とはそういうものである。

ロッテルダムの街は寒かった。道路脇の水路は凍っている。熱気に溢れた映画館から一歩外に出れば吐く息は白い。そのどちらが現実なのか判らぬまま、否、判りたくないまま一張羅のこれ見よがしブラックスーツに着替えた私は表彰式が行われる会場へ向かった。

マスコミや関係者で埋め尽くされた会場にはスポットライトの当たったステージがあり、コンペの監督等がそこを取り囲むようにして座った。
結果、私の名前が呼ばれることは無かった。賞を決めるのは観客ではなく審査員の仕事だ。いくら観客が良い反応を示そうがそこにはそれが賞を獲るという保証は一切ない。ロッテルダムは、その事実を強く胸元に突き付けられた映画祭だった。
表彰式の会場を後にするとき、入口に掲げられた大きなトラの顔を見る。今年からデザインが変わった映画祭のシンボル。見れば見るほど腹が立つこの間抜けなトラの顔は、見る者を突き放すとも手招いているともとれる、非常に計算された幾何学模様である。これが、人の感じ方は紙一重であるというとても意義深いなテーマを暗示しているかに思え、落ちた肩が少し元に戻った。

ふと、我に返り時計に目をやると、スタッフが呼びに来るまでまだ時間がある。小腹が空いた私は下へ降りて路地裏の屋台街へ。強烈に臭いを発する臭豆腐屋の前を通り過ぎ、ひっそりと構えるチヂミ屋の前で立ち止まった。このソウルフルな甘辛い匂いから私が韓国での全州映画祭を思うまでにそう時間はかからなかった…。

文:『不灯港』監督 内藤隆嗣

つづく