「第1回大島渚賞」記念上映会 トークレポート

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20200420-01.jpg 「第1回大島渚賞」記念上映会 トークレポート 2020年3月20日(金・祝)、会場:丸ビルホール
登壇者:受賞者・小田 香(映画監督)、審査員長・坂本龍一(音楽家)、審査員・黒沢 清(映画監督)
司会:審査員・荒木啓子(PFFディレクター)

司会:第1回目の大島渚賞を、坂本龍一さんと黒沢 清さん、そしてわたくしとの審査会議を経て、小田 香さんに決定いたしました。本日は、小田さんの未来を期待する人が集まる時間になっております。
まずは、小田さん、昨日授賞式がありましたが、一晩経って、また新たな感慨もわいてきたと思うのですが、一言いただければ?

小田 香(以下、小田):最初にお話をいただいたときは、自分が大島さんの名のついた賞をいただくとは恐れ多いといいますか。そんなことあっていいのかと思っていたのですが、いまは、これから一層、自分の人生をかけて映画に従事しようと、気持ちが固まりました。いまは、昨日、ご一緒にご登壇いただいた坂本さんをはじめとするみなさん、師匠であるタル・ベーラなど、ほんとうに多くの方に私は支えられ、背中を押していただいているんだなということを実感しています。

司会:では、ここからは、鼎談ということで『セノーテ』について、坂本さんも黒沢さんも小田さんに直接訊きたいことがあると思いますので、お話しを早速していただければと。

坂本龍一(以下、坂本):僕からいいですか。現地にはどれぐらいの期間行っていたんですか?

小田:2年間の間に3~4週間、3回ほど現地を訪れて撮影しました。ですから、合わせるとだいたい3カ月ぐらいになります。

坂本:そもそもマヤの文明や神話、この地域の歴史を含め、興味をもっていた?

小田:神話は昔から好きで興味はあったんですけど、セノーテ(メキシコのユカタン半島北部に点在する洞窟内の泉)を撮るきっかけは、タル・ベーラのサラエボの学校で一緒に学んだメキシコ人の知人のひと言です。『鉱 ARAGANE』を撮ったあと、彼女に聞かれたんです。「次は何を撮りたいの」と。それで、「水中の撮影をしてみたい」といったら、セノーテのことを教えてくれたんです。それで、セノーテについて調べていったら、マヤの文明や歴史などに突き当たりました。

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坂本:『鉱 ARAGANE』は炭鉱の地下でしたけど、また潜りたかった(笑)?

小田:意識してふだんから地下に行っているわけではないんですが(苦笑)、結果的に今までそうなっています。

坂本:空には向かっていかないの?

小田:宇宙を撮ってみたい気持ちはあります。

坂本:それは宇宙から地球を撮る?

小田:そうです。地球を撮ってみたい。

坂本:気球ってけっこうな高度までいけるじゃないですか、そこにカメラとかiPhoneとかつけて飛ばすのじゃダメなんでしょ?

小田:自分で撮影しないとダメですね。撮影するのが好きなので。

坂本:『セノーテ』の水中も、自分で撮影しているんですよね?

小田:全ショット自分でカメラを回しています。

坂本:そのためにダイビングを習ったんですか?

小田:一応、オープンウォーターという初級のライセンスだけはとりました。ただ、セノーテに潜る際は、ケーヴ(洞窟)なのでケーブ・ダイバーのライセンスが必要なんですけど、それをとるには30~40回潜らないといけないので、それはちょっと省略させてもらいました。

坂本:それは、見つかるとまずいということ?

小田:いや、何かあったときは、自己責任ということになると思います(笑)

坂本:スポーツ少女だったんですよね。じゃあ、体力には自信がある?

小田:どうなんでしょう。わたし機敏ではないんですけど、身体で考えるのは好きです。

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黒沢 清(以下、黒沢):じゃあ次は僕からききたいんですけど、まず先に感想を言わせてください。すごい映画だと思いました。最初は、水中がなんだかキラキラしていてきれいだなと思うんですね。それが、だんだん、ここでいっぱい人が死んでいるという情報が入ってくる。すると、今度は怖くなってくるんですよね。「これ死体かなんか映るんじゃないか」と。水の底になんかいくと、ますます怖くなってくるんですけど、最終的に、マヤ文明が西洋の侵略によって滅ぼされた、でも、自分たちは生き続けているといったナレーションが入ってきたり、暗い水の底でも魚たちが生きていたりして、生と死をみごとに結びつけている。

それから、音がすごいですよね。水中で聞こえてきそうな、コポコポといった音がしてるかと思うと、突然人の叫び声のような音が入ってくる。1番印象的だったのは、後半に、たくさんの人が亡くなっているほの暗い場所にカメラが入っていく。するとカメラが今度は180度動き、むこう側に人が泳いでいるのがみえる。と思ったら、人の叫び声のような音が入ってきて、ぞっとするんですけど、少しするとパンと映像が切り替わって、墓場のようなところで人が骨を洗っているショットになる。そこはあからさまな死のイメージなんですけど、そこに陽気な現地の管楽器の演奏が聴こえてくる。あきらかな死のイメージと、そこにもある生が映像と音で、ある種の恐怖とともに表現されていることに大変驚きました。

それでお聞きしたいのですが、サウンドデザインも小田さんがされていますけど、どれぐらい手間をかけて、水中の音を撮ったのか、なにか付け加えたのか含め教えてください。

小田:水中は、iPhoneで撮っていたので、その同録の音です。タンクをつけて潜っているときには、ハウスみたいなものにいれていたので、カバーされた音になります。それプラス、現地のアシスタントをしてくれた人がTASCAMのようなレコーダーで、現地の環境音を録音してくれていました。そこからいくつか(音を)ピックアップして、わたしの作業としてはコラージュのように音を組み合わせて作っていきました。

黒沢:基本的に現地で生で録った音をいろいろ組み合わせている。

小田:そうですね。叫び声のような音は、熱帯雨林の保護区があったんですけど、そこにホエザルがいて。

黒沢:あれ、人間の声じゃないんですね。

小田:ホエザルの声を真似ている人間の声も入っています。ホエザルを呼ぶためにやってくださって。ホエザルいますけど、みますかというので、お願いしたんです。

坂本:あの、マヤの神話とか歴史の語りも、現地で録ったわけですね?

小田:現地で録ったインタビューをいくつか私が書き起こして、書いたセンテンスもあるのですが、基本的には、昔のマヤの詩や、滞在した村でマヤの演劇をやっていて、文化や伝統を伝えるものなんですけど、そこのセリフを引用させていただいています。

坂本:そのナレーションもすばらしいですよね。『セノーテ』も、前作の『鉱 ARAGANE』もほかのショートフィルムも音がいいんですよね。光と影の映像が最初にぱっと印象としては入ってきますけど、音に対する感覚もひじょうに鋭い。すべてが備わっている人ってなかなかいないなと。

司会:隅々までなにひとつ妥協しない、という姿勢がすべての作品に表れていますよね。

坂本:音に対する挑戦みたいなことは考えているんですか?デビュー作もそうなんだけど。

司会:『ノイズが言うには』ですね。6月から『セノーテ』が公開されますがとのとき、上映されるんですか?

小田:小さいですけど特集が組まれて上映していただける予定です。まだ詳細は決まっていないのですが。

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(C)Oda Kaori

黒沢:すいません、野暮な質問かもしれないんですけど、小田さんが撮られている作品はカテゴリーでいうとドキュメンタリーでいいんですか?

小田:例えば山形(国際ドキュメンタリー映画祭)の場合、規約は作家が(その作品を)ドキュメンタリーと思っているかどうかで。私はじぶんの作品のことを「映画」だと思っていますが、ドキュメンタリーかどうか問われた際には、ドキュメンタリーだと言っています。『セノーテ』のように実験的な形であっても、自分の感じたことに忠実というか。自分の体験に添って作るという意味で、ドキュメンタリーだと思っています。

黒沢:僕自身がドキュメンタリーを撮ったことがないので、よくわからないんですけど、ドキュメンタリーの撮影というのは、どうやったら終われるんでしょうか?フィクションの場合、脚本があって、最後までいったら、終わりになる。俳優のスケジュールなど、否応なく終わらざる得ない状況のときもあるんですけど、どこで終わりの判断をつけるのですか?

小田:撮らせていただく対象にもよるのですが、自分の場合は1本の作品になるかな、という気持ちになったときまで撮影する感じです。

黒沢:『セノーテ』は、ほぼ毎日潜ってらっしゃった?

小田:セノーテには、毎日行くんですけど、毎日潜るわけではなく、だいたいはライフジャケットをつけて水面をさまよっているだけでした。

黒沢:その中で、もうこれで十分、画は撮れたと思ったときは?

小田:今回の場合は、作品後半に暗い水中を魚が円を描くように泳いでいるショットが撮れた時と、そのショットににかぶせている男の人のナレーションがありますけど、彼の声を録音したところでできるかなと思いました。

坂本:ちなみに前作の『鉱 ARAGANE』はどれぐらい潜っていたんですか?

小田:半年の間に10回です。

坂本:うゎぁ、すごいな。1日どれぐらい地下にいたんですか?

小田:炭鉱夫のみなさんは8時間シフトで働いているんですけど、自分の場合は、ガードといいますか案内人の方がいて、だいたい1回4時間で坑道をまわって帰ってくる感じでした。

黒沢:半年間、定期的に地下に?

小田:自分としては毎日行きたいんですけど、働かれている方々にとって私は邪魔なので、嫌な顔をされない程度に、ということでそれぐらいになりました。

坂本:炭鉱夫さんたちがあまりカメラを意識していないですよね?カメラを意識しなくていいと伝えていたの?

小田:最初のころ、案内人の方がいってくださっていました。「カメラは気にしなくていい」と。ただ、彼らも仕事のノルマがあるので、仕事をこなさなければならない。なので、わたしにかまっている暇はなかったです。

坂本:ずっと地底の暗い世界が続いて、最後にバッと雪の世界になるじゃないですか。半年いたというのは、夏ぐらいから冬ぐらいに撮影して、ああいうショットを狙った?

小田:いや、まったく考えていなかったです。

坂本:実は2年前、ニューヨークで『鉱 ARAGANE』を上映したときに、はじめてお会いしたんですけど、映写機が壊れて雪のシーンまでいかなかった。暗いところまでで終わっちゃった。僕らは初めて観るので、何が起こったのかわからなかった。そうしたら、映写機が壊れていた(笑)。自分でも、びっくりしたでしょ。

小田:ちょっと悔しかったですけど、壊れたかどうかわからない気持ちもわかります。

黒沢:お客さんは映写機の故障とわからなかったんですか?

坂本:そういうものなのかなと。それにしても長いなぁみたいな。無音で、そういうものかと思うじゃないですか。すごいな、実験的だなと。

司会:勇気ある作家という感じで。

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黒沢:そうですか。それで、単純なことでお伺いしたかったことがもうひとつあります。『セノーテ』には、潜っていないパート、現地の人々の顔や生活の様子を記録している場面がある。あれはフィルムで撮られているんですか?

小田:スーパー8とシングル8を自社で作られているところがあって、それを使っています。

黒沢:フィルムの質感、しかも8ミリっぽくて、単純に言うと古びた映像の印象になる。となると、ついつい、この人たち死んじゃったのか。もうこの世にいない人のような印象を持ってしまうんですけど、どうしてそのようなものにしようと?

小田:時制で遊びたかったところはあります。現在と過去が混在するような。

黒沢:撮影時にリアルタイムで撮ったものだけれども、印象としては過去かもしれないと受けるよう狙ったわけですね。昔のドキュメンタリーフィルムをもってきたのかなとも思ったんです。

坂本:男性の語りや、子どもの歌声もアーカイブからもってきたのかと思うような、少し粗い感じの音ですよね。いまどきのハイファイな音じゃない。あれはなにで録っているの?

小田:TASCAMだと思います。死者の日、お祈りを捧げている家族と、教会がたくさんあるんですけど、そこでの歌声を録音させていただきました。

司会:ということは、事前のリサーチをそうとう時間をかけられたのですか?

小田:行く前はそんなでもないですね。アシスタントの人がユカタン半島のメリダ州出身で、その人が現地の案内人をみつけてくれ、その案内人がまたセノーテや現地の人を紹介してくれるというスタイルで撮りました。

坂本:現地の人たちは英語は話せるの?

小田:話せないですね。ある一定の年齢以上の人たちはマヤ語しか話されないので、2~3回のトランスレーションが入って、自分のところにきて、また返すみたいなやりとりでした。

黒沢:マヤ語を話されているんですね。マヤ語がまだ話されていることをいま知りました。

小田:絶えつつあります。学校でももうマヤ語を教えなくなっていると伺いました。どこにでもある問題だと思いますけど、たとえばマヤ語を話していると就職が厳しかったり、差別されたりとかいうことがあるそうです。

坂本:かつてのアイヌ語や琉球語みたいですね。いまだにそういう現実がある。

小田:そうですね。だから子どもたちはスペイン語で、マヤ語は少しだけわかる。

坂本:現地の若い子たちはスマホをもっているんですか?

小田:ほんとうに原始的な暮らしをされている人たちはもっていないです。上下水道もないぐらいなので。ある程度の町にいったら、テレビはないけどスマホはあるといった感じでした。

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司会:ここからは大島さんの話をしましょう。小田さんは受賞が決まってから、大島作品をすべて見直したそうですが。

小田:3~4本、アクセスできなかった作品はあったのですが。ほかは全部みました。

司会:お二人におききしたいことがあると思うのですが?

小田:まず、先に作品の感想を言っておくと、賞をいただく前の私の中での大島さんのイメージはテレビに出ている人。岡本太郎さんとかと一緒で、作品よりもテレビに出ている人という印象が強かったです。

今回、大島作品を観て思ったのは、日本の戦中や戦後の大きな問題に対して、怒りもあるんですけど、国民ひとりひとりに返ってくるような作品だなと。国の間違いだけど、でも、君もその中のひとりだと返ってくるような作品だと思いました。直接、なにか自分に問われている気がしました。

それで質問なのですが、やはり『戦場のメリークリスマス』の音楽はどうやって生まれたのかを坂本さんにお伺いしたいです。

坂本:その前に大島作品をみていくと、『戦場のメリークリスマス』だけ浮いていない?僕は、そういうふうに思えてしょうがないんだけど。出ている人も(ビート)たけしさんとか、(デヴィッド・)ボウイとかほかと違う。

まあ、それはいいとして、『戦場のメリークリスマス』は、僕が初めて手掛けた映画音楽でした。それも、最初、大島さんは僕に出演してほしいとオフィスにきてくださったんですけどね。そのときに、「もちろん喜んで」というつもりだったんですが、なにを間違ったか、「音楽を僕にやらせてください」といってしまったんですね。まったく経験ないのに。すると、その場で、大島さんは「お願いします」と。ずぶの素人にその場で快諾するというのも、ずいぶん勇気のあることで、なかなかできないですよね、黒沢さん。

黒沢:坂本さんだったら。いや、たぶん大島さんだったらいかにもという感じですね。それはいい売りになりそうだ、話題になる!と思ったんじゃないかなと。

坂本:もしかしたら、坂本とデヴィッド・ボウイがコラボして、歌がヒットするかもしれないと。

黒沢:かなりそれ期待していたかもしれないですよ。それこそ音楽やってくれないかなと手ぐすね引いてたんじゃないかとすら思いますけどね。すいません、勝手な憶測ですけど。

坂本:(舞台の裏をみて)あのへんで怒っているかも(笑)。それで話を戻すと、子どものころから映画も好きで、映画音楽も好きだったんですよ。4~5歳の時に、母と映画を観にいって、作品の印象はほとんど残らなかったんですけど、映画音楽だけはやけに気に入って覚えていて。それが、あとで振り返ると、(フェデリコ・)フェリーニの『道』だったんです。ニーノ・ロータのあの有名な旋律がほんとうに耳に残っていて、覚えていたんですね。

そのように映画音楽も子どものころから大好きだったんですけど、どのように作るのかというのは、まったくわからない。でも、作ることになった。それで、『戦場のメリークリスマス』の撮影が始まった。3カ月ぐらいかかったかな。毎日のように撮影があり、たまにオフもあて、南の島での撮影で、とても気候もよく、穏やかな時間が流れていく。

それで、撮影の合間のふとした瞬間に音楽が思い浮かぶようなこと、例えばたけしさんと大島さんがなにかやっているのを横目でみながら、ふとインスピレーションがわくとか、まったくなかった(笑)。約3カ月、映画の撮影も初めての体験でしたから、それを楽しんじゃって、まったくインスピレーションがわかない。

なので、撮影終了して、東京に帰ってきてからゼロからはじめました。どこから手をつけていいかわからなかったので、粗編集のビデオをもらい、まず自分はどこに音楽をつけたいのかのリストを作って、大島さんのところにもっていきました。そうしたら大島さんもすでにリストがあって、合わせてみたらほとんど同じだった。9割がた。その瞬間、大島さんは「そのままやってくれ」と。あとは、こういう方法でとか、ここはこの楽器でとかなにもない。「好きにやってくれ」と。

なにもわからないままそこからはじめて、2~3カ月かかったんですけど、その間に、ちょうど真ん中ぐらいの時期だったかな、大島さんが1度だけスタジオにきて、そこまでできていた曲を聴いたんですけど、「はい、いいです」とだけいって帰っていった。それでいよいよ完成して、聴いてもらったら、100%、全部使うと。そういうことって珍しいですよね?

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黒沢:大島さんなら十分ありそうな。僕もどちらかというと近いかもしれません。音楽に関しては、僕も好みがはっきりしていて、いろいろ口出したりするんですけど、この人を信頼したとなったら、お任せで、もうなにやってもすべてOKにしちゃいますね。

坂本:いいですねぇ。

司会:それ以来、そういう体験はなさっていないのですか?

坂本:ほぼ2度となかったですね。完全なビギナーズラック。最初がそうだったから、こんなもんだと思うじゃないですか、この調子でやっていけるんだと。それで、次のオファーを受けたら、もう注文だらけで(苦笑)。直しとか、「えー」ですよ。いま、直し続けて40年です。『戦場のメリークリスマス』は1983年公開ですからほぼ40年経つので。

当時は、ひとりでコツコツ作っていました。そのころはもちろんMacはないし、音楽と時間の尺のテンポの関係って数学的で。それをもう手で計算機で計算して、ここからここまでは何十秒だから、ここはこうきてこうと、すべて手作業でやってました。

黒沢:一応、編集されたものの尺に合わせて作っていかれたんですか?

坂本:そうですね。編集で尺がかわったとしても、なんとかなるようには想像して作っていたんですけど、なにせ初めてでどのぐらい変わってしまうのかも、わからなかったんですけどね。ただ、『戦場のメリークリスマス』のに関しては、僕が音楽を制作している最中に編集が大幅に変わることはあまりなかったです。幸いなことに。その後、たいへんな思いはいくつもしていますけど。

例えば数年前に手掛けた『レヴェナント:蘇りし者』ですと、僕が作業していたのがだいたい半年、編集がもっと長くてほぼ1年ぐらいかかっている。最初のラフカットがバージョン1だとしたら、それが1.1、1.2となって最終がバージョン8.4とかですよ。毎週のように再編集されたものが送られてくる。例えば全40曲必要だとして、そのうち20曲を作ってあるとしましょう。でも、新しく編集された段階で直さなければならなくなってしまうので、それだけで時間がとられてしまう。あと作らなければならない20曲にとりかかれない。もうアップアップ、そんな状態です。

司会:余裕をもってやろうとしたら1年はほしい。

坂本:そうですね。とてもひとりじゃ、できないですね。

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黒沢:それを聞くと、大変だとは思うんですけど、当然ひとりのアーティストとして認めているからそういう作業になるんでしょう。うらやましですね。

日本ではどうかというと、ある程度、イメージを伝えて、ある程度作ってもらったら、あとはこっちでやりますと。それで、全部引き取って、その道の専門家がせっかく作ってくれた曲を切り刻んでしまう。いまデジタルだから簡単にできるんですね。そういうことがありますよと、最初に伝えてはいるんですけど、ベースラインだけ別にとったバージョンとか、いろいろなバージョンを作っといてもらって、うまくこちらの編集の意図に合わせて、勝手にこちらがやっちゃうんですよね。作曲家の人たちの意図を無視して。

ほんとうは何度もやりとりできたらいいんですけど、その時間もお金もないのが実情。それは作った方が悲しいことだと思うんです。

坂本:そうですね。たとえば、ドアをあけて歩いていって、ピストル抜いてバンと打つ。
その間、11秒と15フレームあって、音楽をつけるとすると、ピストルを撃つ0.5秒ぐらい前で、音楽を1回とめようかみたいな具合に書いて録音します。でも、持っていったら、「それ8秒4フレになった」とか言われると、もうぜんぜんその曲じゃダメなんですよ。

映画人は、音楽は切れるものだと思っている。つまりフィルムは切ってつなげても成立しますよね。ここちょっと長いから、ちょっとつまんじゃおうと。音楽家の場合は、音楽の文法があって、つまんでつなげちゃうと構造が壊れちゃうんです。つままれてもいいように作る曲もあります。あらかじめどこで絞ってしまってもいいように。ただ、僕らが普通に思っている音楽はテンポがあって、ある小節の3拍目の裏からいきなり切れて、11小節の2拍目につながったりしたら、音楽が壊れちゃう。そのことをどうもおわかりになっていない映画人の方は世界的にけっこう多い(苦笑)。まあ、でも、映画音楽と通常の音楽はやはり違うと思うんです。それに対応していかないといけないとは思うんですけどね。小田さんは、音もサウンドデザインもやられてますけど、そういう苦労は?

小田:いまのところはないですね。

坂本:自分以外の人に音楽だけ頼んだことは?

小田:音を作っていただいたことは短編で1作だけあります。

坂本:望んでいたものがきた?

小田:自分がなにをのぞんでいたのかがわかっていなかった(笑)。なので、いただいたときに、こういうのができるんだと、新鮮でしたね。

司会:このあと、『青春残酷物語』の上映に移るのですが、坂本さんと黒沢さんはリアルタイムでご覧になっていますか?

坂本:僕はリアルタイムじゃないですね。

黒沢:僕もそうですね。

坂本:僕がリアルタイムで大島作品をみはじめたのは、『日本春歌考』です。

司会:『日本春歌考』は坂本さんも黒沢さん、どちらも大島作品のフェバリットにあげられています。今回は第1回大島渚賞ということで大島渚監督が、第1回の監督協会新人賞を受賞された『青春残酷物語』としたのですが、次の機会は『日本春歌考』を上映したいですよね。では、せっかくなので、お二人にとって大島体験の原点ともいえる『日本春歌考』の魅力を少しお聞きしたいのですが?

黒沢:これは大島作品すべてに言えることだと思うんですけど、ものすごく大胆で人がびっくりするような斬新な手法や対象物のとらえ方をする一方で、ほんとうに撮影所のもっていたすばらしい技術といいますか。それをエンターテインメントといっていいかわからないのですが、映画を一般の観客に届ける技法が同時にあるのが大島映画のすごいところだと僕は思っています。

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『日本春歌考』はほんとうに気持ちのいいぐらい、この両方がバランスよく入っているんですね。ものすごく大胆な即興的にやったとしか思えない瞬間がある一方で、確か新宿駅のホームで、カメラがちゃんと三脚の上にのっていてレールにのって、すっと移動して撮っているシーンがある。あの新宿駅の雑踏の中で、ほんとうにレールをしいたのだろうかと驚くんですけど、そういう大胆な手法でありながら、一方でこれは撮影所の伝統的なやり方なわけです。そういうものが同時にあるところが好きですね。

あと、これはむしろ坂本さんにいろいろとお伺いしたいところですけど、映画の中で歌われる歌ですよね。題名からわかるように春歌と、同時に軍歌みたなものも含んでいろいろな歌が歌われる。歌うシーンが次から次へと出てくるんですけど、音に対しても大島渚という人は独特の感覚がある。単に映画音楽をつけるだけじゃない。そういう意味で『セノーテ』にもつながるんですけど、人をびっくりさせる一方で、映画の中で人が歌うことをすごく大切にした映画なのではないかと『日本春歌考』は思います。

坂本:僕はちょうど高校に入ったときだったのかな。すごい衝撃的でした。僕は大島渚体験と、ゴダール体験がほぼリアルタイムで同時期でした。ゴダールは確か『気狂いピエロ』をリアルタイムで見たと思う。中学までは世田谷のほんとうにはずれの田舎の少年だったのが、高校で新宿に出ていったら、いきなりこういうものを浴びてカルチャーショックでゴダールと大島渚にはまってしまったんです。それで(フランソワ・)トリュフォーとかフェリーニ、(ピエル・パオロ・)パゾリーニなどガンガンみるようになった。そのきっかけになった作品として僕は『日本春歌考』を記憶しているんですけど、1番衝撃を受けたのは映像的な記憶で、黒い日の丸ですね。これは衝撃的でした。

あと、僕は当時、高校生だったのですが、『日本春歌考』に登場するのも高校生なんですよね。荒木一郎さん、佐藤博さん、吉田日出子さんとか。それで、荒木さんとは残念ながら知りあう機会なかったんですけど、その後、佐藤博くんとは知り合って、彼はフォーク歌手になりましたけど、それから吉田さんとも知り合ったんですね。いまはあまり交流ないですけど、長く付き合いがありました。なので、個人的にも想い出深い作品ですね。

司会:では『青春残酷物語』はそのあとにみたことになる?

黒沢:そうですね。印象に残っているのは、川津祐介という俳優ですね。当時、僕が大学ぐらいのころですけど、わりとテレビで陽気なナイスガイを演じている印象があったんですよ。ところがある種の暗さとギラギラしたといいますか、1960年の初頭を象徴するような若者、いってしまえば体制に反発する反逆児の代表のような存在を体現する俳優だったんだなと驚きました。川津祐介という俳優の魅力を認識した記憶があります。

坂本:僕は『日本春歌考』をみて、大島作品をさかのぼってみていったんですけど、『青春残酷物語』に関しては古典的な映画だなと思いました。ゴダールは「ここから(『青春残酷物語』)ヌーベルバーグははじまった」と、自分ではなく、大島からだといっているそうですが、そうは思わなかったというのが正直なところで。普通の映画だと思いました。

大島さん初の大ヒット作品ですけど、わりと売れ線を狙ったんじゃないかなと。石原慎太郎の『太陽の季節』のヒットもありましたから、そういうギラギラした若い人たちが映画の主人公にする流行もあったと思うんですよね。

司会:では、最後に、小田さん『青春残酷物語』についてひと言お願いします。

小田:お二人の後に、何を言っていいかわからないんですけど、今パッと浮かんだイメージは「汗」。あの夏の暑さを感じさせる汗が印象に残っています。

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