ロッテルダム受賞3作品は似ているかもしれない
ちょっと情報として古くなってしまいましたが、ロッテルダムのコンペ、「タイガーアワード」の長編グランプリ受賞3作品(各賞約150万円の賞金)について折々考えていました。
今回、3作品とも女性監督作品だったこと、いずれも少女の視点の物語であること、親世代とのコミュニケーションがとれないこと、など、共通点の非常に多い、乱暴に申しますと「似ている」3作だったなあと思い返しています。
歌舞伎をみていると、「何故登場人物(男)はこんなにも肝心のことを話さず、思い込みで行動するのか?」と茫然とすることがあるのですが、それはそこ、お芝居。無茶なことを役者の力と、音楽、美術で強引にねじ伏せる醍醐味が歌舞伎。その思い込み&早合点の行動が、他者をどんどん巻き込んでドラマを高めて行くのが(歌舞伎も含む)「芝居」というものですが、映画の場合、お芝居とは違い、なまなましい。そして今回の、肝心のことを話さない、いえ、話せない、に近い3人のローティーンの行動は、自分自身を傷つける度合いが高い。この生き辛さは、同時に、「女の子が生きやすい世界への道のり」はまだ困難なのか、という現実を写し出してもいたのでした。
具体的に3作品を紹介しますと、ロッテルダム映画祭の映画製作支援システム「ヒューバート・バルス・ファンド」(サードワールド対象ですので日本作品は受けられません)を得て製作されたチリ作品『Thursday Till Sunday』by Dominga Sotomayorは、両親と姉、弟という4人家族のロードムービーで、さりげない描写の連続でありながら見事にサスペンスフルに構築された、地味ながら3作品の中で頭一つ達者で唸らせられる才能です。少女は、もうひとつの受賞作、中国の『Egg & Stone』by Huang Ji の主人公と同じ年頃と思われます。両作品の少女とも、透明感の高い、素晴らしいキャスティング。細いうなじ、持て余す細長い手足、言葉にできず伏せるまつげの揺れる様、目で見る前に、感じる空気に反応する体。『Egg&Stone』では、養父が彼女を妊娠させる、その事実を言わない、言えない少女とその世界が、観客に問われる作品です。そして、しみじみと悲しく「家庭内性的虐待が世界共通の問題」であることを再認識させられます。監督のパートナーであり本作の撮影監督である大塚竜治さんの名前に記憶がありましたら、08年に『LING LING's GARDEN』という中編映画でPFFアワードの一次通過をなさった方でした。大変議論された作品なのでよく覚えています。こちらも見事な撮影でした。これからの活躍の期待高まる才気溢れる北京在住のカップルです。セルビアの作品『Clip』by Maja Milosは、前記2作より数歳年上の少女が主人公で、セックスを過大評価するのが痛ましい姿としてこれでもかと迫ります。常に自分の姿をiPhoneで撮影し、セクシーショットのお手本はFacebookから。ローティーンなのにセックス+ドラッグ+酒の毎日。親はコミュニティの破壊し尽くされたセルビアで真面目に暮らしをたてていくのが精一杯で、行き場のない苛立ちをぶつけ親を傷つける子供に対峙する余裕に恵まれず、そのギャップは開くばかり。この作品は同時に、オランダ批評家賞を受賞(賞金としてオランダ語字幕をつけてオランダ配給のチャンスにつなげる)しています。インパクト大。好きな男の子にまとわりつき、いきなりフェラチオ(それも学校のトイレ)で歓心を買う。犬のように扱われ、でも最後は、『愛』へと至るハッピーエンド。今回の受賞作で唯一、賛否両論、蛇蝎のごとく嫌う人もいた作品でした。「安いポルノ映画」と吐き捨てる人、「近年のローティーンの苛立ちを描いた作品の中でもひどい出来」という人(秀作例は『Everyone Dies But Me』露2008『Fish Tank』英2009など)、「ハッピーエンドから逆算してつくられた陳腐な作品」という人、それはそれは大変。確かに、骨格は古い恋愛映画です。が、あらゆる国の人にそんなに反感を買う作品、ちょっとみたくなりませんか?
*余談ですが、コンペ作品で、性器がやたらに出てきたのは、2作品でした。1つはこれ。さあもうひとつはどの作品でしょう?・・・とか下らないことを言ってる場合ではないですね。
と3作品のことを考えていたら、岡崎京子さんの『へルター・スケルター』映画化進行中というニュースが!ざっくり言って、上に羅列した映画の世界をいち早く描いた岡崎京子。その世界が蜷川監督の手でどんな映画になるのか、あまりにも楽しみです。実は1996年、岡崎さんが事故にあわれる一週間ほど前にPFFアワード審査員のお願いをした私。「数日考える時間を」というお答えに、そろそろお返事を伺おうと考えていた矢先の仰天の出来事。それからずっと何らかの新刊が出るたびに胸が痛んできたものですが、岡崎ワールドを映画化、演劇化したいという情熱は、各地で益々高まっているのではないかと感じます。例えば劇団「口字ック」。昨年PFFを手伝ってくださった山田佳奈さんが主宰する劇団。それがご縁で遅ればせながら拝見した舞台は女子満開!満開女子をこれでもかとぶつけてどんどんあがるテンションは、爽やかさまでに達していきます。(是非一度体験を!)
女子世界が女子によって描かれることが増え続けて行くことが、世界が面白くなることに繋がる予感がするという意味において、今回のロッテルダムの結果、大したものかも思う一方、無邪気な男子映画の減少に繋がるのもちと寂しいとも思うのでした。色々な映画を観たい欲張りな場所、それが「映画祭」でもあるのでした。
・・・・うわ~、ブログにあるまじき長さになってますね・・・
ロッテルダムに戻ります。短編グランプリ3本の1本に日本の作品が選ばれたのも話題でした。牧野貴監督の『Generator』。私は残念ながら未見ですが、こちらは、PFFの名古屋会場でもある愛知芸術文化センターが「身体」をテーマに毎年製作する作品の最新作です。企画が選ばれれば、監督が予算を貰って自由に完成させるという方法で、以下のように多彩な監督による、多彩な作品があります。
http://www.aac.pref.aichi.jp/frame.html?bunjyo/original/index.html
*PFF名古屋開催は、5月を予定しています。
しかし、男女問わず、「伝えたいことを言葉にして話すという技術」の獲得って難しい。よく喋る人は、考えを隠すため、騙すために喋る場合が多々あり、疑われやすいですし、言葉は誠に厄介。昔、審査員をお願いした桃井かおりさんが、少女時代にイギリス留学から戻って日本の暮らしに馴染めず、何をどう話せばコミュニケーションできるのかわからなくなり、途方に暮れて話し方教室に通った結果、とにかく自分の考えていることを全部相手に伝えるという方法を用い始めたとおっしゃっておられましたが、帰国子女には、その方法を用いる人が少なからずいる印象があります。「あらゆる人と対等に向き合う」ということが、言葉を伝えるための第一歩では、と個人的には考えていますが、対等に向き合いたくない人も多いですし、こちらも厄介。
あ、老人の繰り言みたいになっちゃいました。