食い倒れが趣味です
無趣味な人間だと自分を思うのですが、もし"趣味"というのが「どんなに時間やお金をかけても惜しいと思わないこと」だとしたら、食べることが一番"趣味"に近いかな?とふと思うときがあります。
すごく健康に悪いですが、「食い倒れツアー」とか組んでしまって、国内外で「地元の人より詳しい!」という驚嘆の言葉をいただくことも度々あります。外食の機会には、つい店を選ぶ役を引き受けることが多いです。身を以て申し上げることができますが、健康にはよくない趣味です。バランスをとろうとか考えてしまい、自炊はとっても健康的なものをつくるんですが、まあ、根本的に食べ過ぎ飲み過ぎで、役にたちゃしません。
そんな私ですから、住むところ、旅するところには、美味しいものがあってほしいと願うので、美味しいもの率の高いアジアの映画祭に行くチャンスには、心が弾みます。一方、映画祭のメッカ、ヨーロッパは、あまり食指の動かない街が多いのが正直なところです。
しかし、流石にパリは美味しい店の多いこと多いこと。その期待でフランスの他の都市に行くと、美味しい店の少ないこと少ないこと。が、フランスと言えばやはり映画祭はカンヌ。「毎年PFF作品の出る映画祭がパリにあれば、少しは行く機会もあるのにな~」と、ちょっと残念であったりします。が、既に思い出になってしまったパリの美味しかった店の数々を思い出させた店が、人形町にありました。美味しい店の多い人形町(住もうと思っていたこともあります)ですが、その店は、フランス人のおかみさんがいるカフェで、おかみさんのご両親がパリで経営していたカフェの雰囲気をそのまま日本で再現したかったのだそうです。素朴でいながら繊細で温かい料理や、お店の人の人柄に触れると、食いしんぼうなら必ず通過している池波正太郎氏のエッセイに登場する、思い出のジャンの店は、こんな感じだったのではないか?とひとり想像したりします。
・・・美味しい、とか、思う、とかだらけの文章になってしまいました・・・・とほほ。
フランスのことを考えてしまったのも、まだカンヌのことを考えているからだと思います。特に、ラース・フォン・トリアーの記者会見をみて、映画監督の質疑応答について考えていました。
「質疑応答に答えることは、誰にでもうまくできるということではない」というのが、私がこの20年の映画祭生活で学んだことです。今回のトリアーに対する質問が聞けていないので、あの質疑応答について把握できているとは言えないのですが、映画祭運営の立場から言えば、「質疑応答が下手すぎる」監督です。
質疑応答はうまいほうがいい。なぜなら、素晴らしい話は作品をより一層輝かせるだけに留まらず、広く、映画監督や、映画というものへの敬意を生む、からです。
そもそも「監督は映画の完成責任者である」と「映画祭世界」では定義されています。プロデューサーではなく。
そして、監督の話を、その作品を観た上で更に聞くのは何故か?と言えば、映画監督という人は、その映画に現れた世界を更に超える、豊潤なもの持つ人であるとの期待があるからです。歴史、哲学、美学のみならず、今この世界への感応力や、ある種のシックスセンスも期待されていると言ってもいいかと思います。
映画監督、大変です。
企画から完成まで血を吐くような思いをした数か月のあと、更に、宣伝で、映画祭で、質問責めの数か月がある。
けれども、質疑応答の経験は、映画監督にとって、客観的に自分の作品を再把握できる、稀有なチャンスでもあると、映画祭は考えています。