気づくとカンヌ終了していました

また一か月以上更新していませんでした。
(この科白、多すぎますね・・・)
その間に第64回カンヌ国際映画祭終了しました。
今年は、日本経済新聞の古賀重樹さんのレポートで、行かなくても行った気分になれるという評判です。
カンヌがらみでは、『一命』公開に向けて、現在ごく一部しか入手できない原作者・滝口康彦さんの著作が復刻されることを願っています。

年明けに家族に不幸があり、それに続く311と、歩いて戻った自室のモノのすさまじいでんぐり返りなどで、なんだか薄闇の中にいるような茫漠とした日々が続いていたのですが、このところ、やっと、光の中を歩いている実感が湧いてきました。
幸い、本年のPFFは会期を秋に移行しておりましたので、第33回PFF、9月20日の初日に向け、いよいよ本格的に準備開始です。「PFFアワード2011」も、15名の予備審査員の情熱をもって、遂に審査佳境に入り、7月初旬に入選作品の発表です。

そして、ふと気づけば、昨年『キャタピラー』で前夜祭を飾ってくださった若松孝二監督が、すでに『三島』『ホテル海燕ブルー』の撮影を終わろうとしています。すごいパワーです。
実は、生身の人間のエネルギーに触れたいと、最近は、本多劇場、コクーン、明治座、王子小劇場、草月ホールなど、舞台を巡る時間の多かった我が身をいささか反省しました。

しかし311では、人間の、社会の、組織の、設備の、弱点や隠されていことが、次々と露呈して唖然とすることが多く、だんだん感覚が麻痺しそうで怖くなります。
一方で、核廃棄物の廃棄場所がないことが、一般常識になったことは、よかったなとも思っています。
まさか20世紀型社会に逆送して、困ったことは弱い場所に押し付け自分は安泰、という発想をする40歳以下の人たちがいるとは思わないのでちょっとつぶやくと、各戸にひとつ、厚い鉛の箱を用意して、廃棄物を引き受ける。もちろん企業や役所は、消費電力に応じ、巨大な箱分を引き受ける。あるいは、建物内に廃棄場所設置をする。そんなリアルなことが必要な時代ではないでしょうか。
耳に入ってくるのは、「あれ?中国や東欧の映画に繰り返し語られてきたような、もしかして共産主義的官僚的中央集権国家なのかしら日本?」とのけぞる話の数々。映画をたくさんみる利点は、いろんな社会事情を知って、自分の生活の解釈に引用できることもひとつありますね。