音楽とともに1万5千人デモ
映画祭を生業にしている私ですから、全く政治的な人間ではありませんが、人類の危機には無関心ではいられません。これまで、ロンドンでロックフェスと連動した反原発デモ、デモの根付いたベルリンでラブパレードと、無差別爆撃反対デモと、3回参加したことがありますが、日本では昨日初めての体験をしてきました。そして、警官や公安など、警備の多さに驚きました。
高円寺はピースなデモだったのですが、「デモ」というだけで「怖いもの」、「危険なもの」という前提があるのが日本なのかなあと、海外での明るく気楽な雰囲気を思い出しました。
・人の集まる広場をなくす
・大学を郊外に分散させ学生の集会をなくす
という政策が日本では70年代から着々と進められてきたことは聞いていましたが、集会を徹底的に嫌悪する社会が長い年月かけて形成されたのだな~と、昨日改めて納得しました。
デモって、気軽に「こんなこと考えてる人がこんだけいますよ」と示す行動ですので、例えメディアで報道されなくても(この報道のされなさっぷりも凄いですけど・・・)、その場にいた人の記憶や感覚が拡がることが重要だと感じています。「反原発だから、東京電力に抗議しなくては意味が無い」「代替エネルギーを提示できないのに反対してはいけない」という考えも多いそうですが、問題は東電のみならず原発推進の国を支持してきた、今20歳以上の投票権を持ち、様々な方法で考えてを伝えられる私たち全て。そして、エネルギー源としての原発をやめる選択をすることは、ちっとも難しいことではないのですが、様々な不安からこれまでの価値観を変えることの難しい人が多いこと、その不安の排除が難しいことを痛感しています。
と書いていたら、今、また大きな地震が起きました。
福島と茨城です。
福島には、危機的状況の原発があります。素人には手に負えません。
そして、茨城以北には、まだ実態が掴めないほど多くの、不安な暮らしをしている人がいます。
「危険なものを何らかの事故や悲劇の前に取り除く」それは普通に人のとる行動だと思います。
危険なものがすぐそばにある不安。そのことのほうが、これまでの暮らしを変える不安より大きい、と感じている人は、多いと思います。