ベルリン国際映画祭で語られていたこと

第60回ベルリン国際映画祭終了から10日ほど経ちました。
寺島しのぶさんの主演女優賞受賞や山田洋次監督の特別功労賞、そして『パレード』の国際批評家連盟賞という大きなニュースとともに終了して、とても嬉しく思いました。
今年は、映画祭60歳のバースデイと銘打たれ、過去の話題作受賞作を上映するプログラムが展開され、同時に恒例の「レトロスペクティブ」部門や「オマージュ」部門もあり、新旧作品が大量に上映される映画祭となりました。
60回を機に、映画祭全体の有機的な連動を図ろうと、チケットシステムも改変し、これまではチケット入手の難しかったフォーラム部門が運営する会員制の映画館「ARSENAL1&2」の上映も入場が出来るようになったり、そこでマーケット上映がされるようになったり、"大きな映画祭"という印象が更に強まる今年のベルリンでした。

今回『川の底からこんにちは』が上映された「フォーラム」部門でも、島津保次郎の3作品や、『愛のコリーダ』はじめ歴史を彩る作品が上映されました。

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もともと、フォーラム部門は、40年以上前、自主上映活動を展開していたウールリッチ&エリカ・グレゴール夫妻(右写真)が中心となって、権威主義的なベルリン映画祭に対抗する、自由で革命的な映画のための上映場所として立ち上げたセクションで、「コンペティション」部門や「パノラマ」部門と、極端に言ってしまえば"敵対"するポジションに、長い間ありました。
しかし、グレゴール夫妻がフォーラムのディレクターを退いた10年前あたりは、映画祭の社会的ポジションも、映画そのもののポジションも変化を始め、運営する人々も様変わりして、現在のベルリン国際映画祭は、ベルリン市の収入を支える、世界で最も大きな映画祭として、運営されています。

グレゴールご夫妻は、誰も知らなかった日本のインディペンデント監督を世界に紹介した最初の数人のひとり(というかふたり)で、若松孝二、小川紳介、山本政志、園子温、橋口亮輔監督など、ここから世界に旅立ったと言えるかと思います。その膨大な知識と映画への情熱には、PFFの試写室にお越しになる度に驚かされていました。現在も東京フィルメックスには毎年お越しになっておられますが、お会いできる機会がなく、ベルリンで久しぶりにお話しました。

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そこで大島渚監督の話が出て、かつて『愛のコリーダ』がベルリン映画祭史上初の警察介入の上映中止騒ぎになったことは聞いていましたが、実際、グレゴール氏に裁判で3ヶ月の拘留が決まりそうだという状況になり、「そんなに静かな時間が持てるなら、映画の本を一冊書けるわ」とご夫婦で励ましあったというお話をはじめて伺いました。
そういえば、いつもはフォーラムでの上映が多いPFFの作品が、珍しくパノラマで上映された時には、会場の外で救急車を待機させておかれて、驚いたことを思い出しました。
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その作品は『鬼畜大宴会』ですが。
この体験を通して、ベルリンの各部門のカラーの違いを身をもって学んだのですが、それも今は昔です。当時のディレクターは、もういません。

さて、今年のベルリンで一番気になった言葉。映画関係者からも、一般の映画ファンからも漏れ聞いた言葉。それは、「昔の映画のほうが面白い」「昔の映画のほうが新しい」「昔の映画のほうが刺激的」です。
これは、映画に関わる人間にとって、ものすごく重い言葉です。
ずっとそのことを考えています。
ベルリンでは、先述した会員制の劇場「ARSENAL」(通常は、名作の上映や、監督の特集、そしてフォーラムで上映された作品のドイツ語字幕版を収蔵して定期的に上映する)の活動や、映画祭の「ジェネレーション」部門での、17歳までの子供たちの学校動員や、子供審査員システム、子供だけによる質疑応答タイム(その様子がすごくかわいい)など、映画を観ることを体験させる活動や、映画ファンを育て育むための環境の充実にも力を入れています。

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この写真は、映画祭事務局の近くにあるチケットブースでの行列ですが、夜になると、徹夜で翌朝の販売開始を待つ人がいます。外は吹雪なのに・・・・また、今回『川の底からこんにちは』は、地元の学生さんたちに、上映の記録をお願いしたのですが、彼らの入手できる「学生パス」は、60ユーロでいくらでも映画を観ることができますが、条件は、朝8時半に学生パス専用のチケットブースに来てチケットをとること。それでも朝から長蛇の列です。
泣けます。

こんなに映画に情熱を持つ観客のためにも、映画を提供する側は、「昔のほうが」と言われない作品を生み出したいと、改めて現在の映画について考えさせられた今年のベルリンです。

え~念の為ですが、『川の底からこんにちは』は、大変な人気でした。