鶴岡慧子監督×小川努カメラマン×柳島克己撮影監督「デジタル撮影で手に入れた新しい表現の選択 vol.01」(vol.3)

インタビュー

top_photo.jpg

監督の想像を超える代弁者

荒木D:お話を伺っていると、監督がある程度小川さんに委ねた現場だったかと思います。監督によってキチキチと決められる方や撮影に委ねられる方、色々なタイプがいらっしゃると思いますが、柳島さんの体験の中で印象的なエピソードはございますか?

柳島氏:撮影担当にも色々な方がいると思いますが、僕の考え方としては、映像で監督の代弁者になろうと思っているんですね。監督は芝居の演出に熱中すると思うので、その代わりに自分が映像の代弁者として撮るというスタンスで僕はやっています。最近一番多くやっている北野 武監督とは、その部分では殆ど具体的な会話なくやっていますね。撮る映像のニュアンスのキャッチボールでやる人もいますし、細かい部分まで具体的に指示される方もいらっしゃいますし。色んな映画が出来て良いんじゃないかな、と僕は思います。

荒木D:鶴岡監督は撮影の方にどのような期待を抱いていらっしゃいますか?

鶴岡監督:私の場合、自主映画のときから自分でカメラを回した経験がほぼゼロなので、自分のイメージが固定されているわけではなくて。ある人に託す、他の人と組むことによって、自分の予想を超えることが起こる。そこが映画の一番面白いところだと思います。撮影だけでなくすべての領域におけることですけれど。自分1人でつくるのではなく、全員が私の予想を良い意味で裏切ってくれるときが、手ごたえのある瞬間だったりしますね。

小川氏:PFFスカラシップは半分商業映画のような製作の体制で、あらかじめ決められた上映の日程に合わせたスケジュールや、プロの役者を拘束できる時間の制限、ロケ地使用に関する時間の制限がありました。商業映画の方は予算がある代わりにこうした制約が当然あって、かつ予算がそこまで潤沢でないのだとしたら、友達に出演してもらって時間だけはいくらでもかけられるような自主映画の方が自由が利く状況というのもあるんだと思います。何日で撮り切らなければいけないとか、この期間で仕上げなければならないという時間の制限があるとき、その制限を受け入れる態度がないとやっていけない。大人数でやって、自分の思い通りにいかないことを楽しむ態度が大事というか。そうじゃないと映画が面白くならないし、つくっている側も面白くないし、つくられた物も大したものにはならないのではと思います。

※次回のPICK UPでは、このメンバーが再び集結した【第28回東京国際映画祭 PFF映画製作特別セミナー supported by CINEMA EOS SYSTEM】の模様をお届けします。こちらからご覧ください。


鶴岡慧子 Keiko Tsuruoka

1988年生まれ。立教大学の卒業制作『くじらのまち』(12年)がPFFアワード2012グランプリ&ジェムストーン賞(日活賞)をW受賞、ベルリン国際映画祭をはじめ世界10カ国以上で上映される。第23回PFFスカラシップ作品『過ぐる日のやまねこ』が4月27日にDVDリリースされた。


小川 努 Tsutomu Ogawa

1989年生まれ。東京藝術大学美術学部卒業後、同大学院映像研究科映画専攻にて柳島克己教授に師事。撮影及び照明技術を学ぶ一方で、舞台作品の演出、脚本を手掛ける。撮影監督として、鶴岡慧子監督作『じじいの家で飯を食う』(12年)、『過ぐる日のやまねこ』(15年)など。


柳島克己 Katsumi Yanagijima

1950年生まれ。東京写真専門学校卒業後、72年に三船プロダクション入社、81年よりフリー。『3-4×10月』(90年)から『龍三と七人の子分たち』(15年)まで、北野武監督のほとんどの作品を手掛けている。そのほか『バトル・ロワイアル』、『GO』、『ディア・ドクター』、『ライク・サムワン・イン・ラブ』など。