塚本晋也監督×橋口亮輔監督「つくりたい映画を追求する力、それが自主映画」(vol.3)

インタビュー

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絶望してもつくり続ける

荒木D:『恋人たち』の印刷物などに出ている橋口監督の言葉「飲みこめない想いを飲みこみながら生きている人」という言葉がすごく新鮮でした。「飲みこめない想い」という言葉は、いつごろから橋口監督のなかで出てきたんでしょうか。

橋口監督:ずっと思ってるよ。だって、福島の人たち、どうするの? 家と土地を奪われるのって、人生を奪われるのと一緒でしょう。それでも、飲みこめない想いを飲みこんでいくしかない。『恋人たち』のなかで、ふえるワカメちゃんの話が出てきますが、あれは実話です。『野火』の兵士たちほどではないですが、僕も餓死寸前になったことがあるんです。ひもじいって、こんなに辛いものなのかと思いました。そのときは、餓死するのも面白いかもなんて思ったりしていたんですが、あるとき思ったんです。腹いっぱい食べて、寝て、嘘でもいいから笑っていたら、どうにかなるんじゃないか、って。問題は解決しなくても、一日一日、今日はお腹いっぱい食べられた、お風呂にも入れた、布団で寝られたって、そうやって繋いでいくうちに、何かが見つかっていく。ひとつでも笑えることがあれば、その日一日は生き延びられることに気がつきました。

荒木D:日々、戦場ですね。

橋口監督:僕はこの7年間、ずっと怒っています。毎日1回は「人を殺す」という感情について考えています。映画をつくることで、関わってくださった人たち、出演してくださった俳優たちのことを考えて、その気持ちをコントロールしている。映画をつくることによって、抑止している感情がある。

荒木D:やっぱりつくり続けていただかないと。橋口監督には。

『監督失格』

橋口監督:「伝える」ことに絶望していた時期もありましたが、自分の体験や感情を「伝える」ことで美しいものが見える瞬間があるんだと、今は思っています。どんなにきつくても、つくっていくしかないと思ったのは、PFF入選監督でもある平野勝之(*注9)の『監督失格』(11年)がきっかけです。かつて長いこと不倫関係だったAV女優が突然亡くなった、そのことを映画にした作品です。本当に好きだった人が亡くなって絶望のどん底だったろうに、それでも平野は撮るんだな、作品にするんだなと。俺もいつまでも足踏みしてられない。撮らなきゃダメだと思いました。

荒木D:映画監督の業、であり美であり、原点なのかもしれないですね。塚本監督は、『野火』のようにどうしてもつくりたい作品は他にありますか。

塚本監督:つくりたいものはまだありますが、『野火』のように絶対に、というのはあと少し。なかなか思ったような状況で好きなものをつくるのは難しくなってきましたが、映画をつくっていると、水野晴郎さんじゃないですが「いやー映画ってほんとーに面白いっですね!」と、ふと口から出る瞬間があるんです。

(執筆・片岡真由美 撮影:久保貴弘)


塚本晋也 Shinya Tsukamoto

1960年、東京都生まれ。88年に『電柱小僧の冒険』でPFFアワードのグランプリ受賞。劇場映画デビュー作『鉄男 TETSUO』(89年)がローマ国際ファンタスティック映画祭グランプリを受賞。『六月の蛇』(02年)、『KOTOKO』(11年)など常に話題作を発表する世界的カリスマ監督。俳優としても映画、テレビで活躍。


橋口亮輔 Ryosuke Hashiguchi

1962年、長崎県生まれ。92年に初の劇場公開映画『二十才の微熱』が大ヒットを記録。以後、『渚のシンドバッド』(95年)、『ハッシュ!』(02年)、『ぐるりのこと。』(08年)を発表。数々の賞に輝く。また2013年には若手俳優のためのワークショップをもとに撮影した中編『ゼンタイ』もロングランヒットに。



*注9:平野勝之 (ひらの・かつゆき)
1964年生まれ。静岡県出身。代表作に、『由美香』(97年)、『流れ者図鑑』(98年)、『白 THE WHITE』(99年)など。最新作は『監督失格』(11年)。