シンポジウム「世界から見た日本映画の強みと弱み」(vol.2)
トニー・レインズ氏による作品紹介が終わり、対談の時間に入ります。
荒木啓子PFFディレクター(以下、荒木D):映画を通して国を紹介することになる。つくる人間は、どこにいて何処に暮らし、何を語るのか、しっかり考える必要がある、とお話を伺って思いました。
レインズ氏:まさに、自分がどこで生まれ、何を作っているのか、というのは、あらゆるアーティストの持つべき質問であり、そのことに対して自覚的でないアーティストはどこかに閉じ込めてしまえばいいと思います。
ここで、『ナイアガラ』の早川千絵監督が登壇し、自主映画監督を代表し、荒木ディレクターも交えてディッスカッションの時間に入りました。日本のどんな批評家よりも日本映画に詳しい批評家であり、映画作家でもあるトニー・レインズ氏、子供のころからの夢だった映画監督への道を大人になってから歩み出した早川千絵監督、映画祭で人と作品とを広く世に紹介する立場の荒木ディレクターの3人が、それぞれの立場から映画と映画祭について語り合います。まず、早川監督がレインズ氏に直接質問をぶつけました。
早川千絵監督(以下、早川監督):私にとってレインズ氏は北野武監督を世界に紹介した方、という印象が強いのですが、北野監督が映画デビューした際、日本では「どうやら海外で評価されているらしい」という評判によって、はじめて国内での評価が上がっていった印象があります。レインズ氏は、日本の監督を世界に紹介することに、使命感のようなものを感じていらっしゃるのでしょうか?
レインズ氏:使命感を持っているわけではありません。幸いなことに私は、東アジアを旅する仕事に恵まれました。それは、多くの映画を観て、多くの映画づくりをしている人々と出会う仕事です。いわば、私は自分の喜びを他の人と分かち合うことを人生の最大の喜びとしている、ということなのです。何か面白い作品があったら映画祭で上映したい、他の人に伝えたいと思うのはごく自然なことだと思います。それはいいレストランを見つけたら、人に勧めるというような、ごく自然な感覚だと思います。もう一つ付け加えるなら、私はインディペンデント映画を非常に大切に思っています。一方で大切に思っていないのは、日本のメジャー映画です。私の手元には岡本喜八監督からの手紙があります。かつて私は3~4か月かけて岡本喜八の回顧展を企画していましたが、ある時点でそれは不幸にも、岡本監督がメジャーの映画会社で映画制作を続けていた故に不可能だと分かりました。この非常に残念な体験から、インディペンデントな監督たちとの仕事は私にとって大きな喜びなのです。
注:岡本喜八/1924年鳥取県出身。『独立愚連隊』『江分利満氏の優雅な生活』『日本のいちばん長い日』などを監督。細かいカット割りを積み重ねた独特の映像のリズム感で、筒井康隆をはじめ多くのファンに愛される鬼才
荒木D:今のお話を受けて、つまり映画をどういうものとして扱っているのかというところが重要になってくるのだと思いますが。私たちはインディペンデント映画を、商品である、と同時に芸術品である、あるいは人間そのものであるという、あらゆる意味を包括して扱っています。ひとつの理由として、商品として普通に商売するという道が、それほど大きく拓かれているわけではないからです。ですから、少しでもチャンスがあれば海外の映画祭に出したい。ただ、日本では商品としての映画だけで十分だという時代が長く長く続きました。が、私はそれは変わってきていると思います。海外映画祭に出品することの重要性が、ビジネスで映画をやっている方たちにも急速に理解されていている、あるいはその存在に気付いてきたと、私は自分の経験から感じています。近年、PFFも映画会社や映画関連の団体からの支援を受けていますが、それは社会の中で映画のポジションが高まってきているからであると、そういう変化を私は感じています。ですから、岡本監督の企画も、20世紀には駄目だったかもしれませんが、今だったら実現可能かもしれません。今、再び挑戦するのはどうでしょうか?映画祭という価値が理解されない、映画祭というものが映画にとって非常に利用価値が高いということが理解されないというのはどうしてなのか、というのは、私たち映画祭をやっている者にとっては大きな課題だと思います。早川さんは海外映画祭を経験されて、映画祭に対する認識は変わりましたか?
早川監督:映画祭を運営している人たちの熱い思いを感じています。そして監督に対してすごくリスペクトを持って接してくださったことにすごく感動しました。自主映画というのは、誰に頼まれたわけでもなく撮っているもので、「撮って何の意味があるのかな」と迷うこともあるのですが、映画祭は温かく迎え入れてくれて、「また新作を持ってきてみせてくれ」と言ってくださることにすごく勇気をもらいました。映画監督としては、ものすごく有り難い場所ですね。
荒木D:それは映画をつくる目的になり得ますか?
早川監督:なりますね。
レインズ氏:今、荒木さんが分析された国際映画祭の状況というのは、まさにその通りだと思います。もう一つ言わせていただければ、映画祭というのはイデオロギー的に変換の時期を迎えていると言わざるを得ません。ヨーロッパや北米や、日本でもそうかもしれませんが、映画祭というものがますます商業性、メディア中心の存在として見なされてきているんです。いわゆるレッドカーペットですね。スターを中心に置いて、メディアがレポートするような、新聞が映画評でレポートするのではなく、グラビアのようなものが求められるようになってきていると思います。映画祭が力を持っているというのは、一方では、インディペンデント映画のつくり手たちにとって、良いことのようにも思えますけれど、むしろ、スター性を持っている商業的な映画にばかり目を向けさせてしまうので、インディーズにとっては損ではないかと思うのです。ひとつの例として、クリス・藤原さんという、日系アメリカ人の批評家で、ここ3年間、スコットランドのエジンバラ映画祭のディレクターをしてきた方がいます。この映画祭は歴史ある映画祭で、沖縄の高嶺剛監督の作品を1980年代に紹介するなど、非常に重要な仕事をしてきた映画祭なのですが、藤原さんは5年間の契約をしていたにも関わらず、3年で辞めてしまったのです。彼の口から聞いた話では、「もっとメインストリームのものをやらないか。商業的なものをやってほしい」と要請があったときに、彼は「エジンバラ映画祭の強み、そして歴史というものは、オルタナティヴな映画の上映にあるのではないか」と反論したところ、ではお互い上手くいかなそうだからやめましょう。ということになったそうです。世界的な傾向ではないかもしれませんが、商業性に向かっていく映画祭の傾向はあるかと思います。
荒木D:それはすごくありますね。映画祭の話を言えば種が尽きないというか。今、中国が非常に経済的に豊かになっていて、映画祭というものに注目しています。映画祭ディレクターを公募しているのですが、その条件が「ハリウッドとの強いパイプがあること」。ハリウッドスターをイベントに呼べる人であってほしいということがハッキリと打ち出されていて、それは私たちがやっている映画祭とはまったく別のものに感じるのですが、映画祭というものの定義が大きく変わってきているというのは事実だと思います。でも同時に商業映画というものの定義も大きく変わってきているということではないか、と感じております。これからの映画というのはどういうものになってゆくのか、その未来を見据えて映画を作っていくということも必要になってくるのではないかな、と思います。トニーさんはどのようにお考えですか?
レインズ氏:1つ言えるのは、思いや愛情を持っている対象を題材に映画をつくるべきだということです。監督自身が題材に愛情を持っていなければ、観客がそれに愛情を持ってくれるわけがないのです。シニカルにすれば当たるかな、とか、一攫千金を狙ってアイディア本位で映画を作っている監督もいるわけですが、そのような映画は決して後世に残るものにはなりません。先ほど、「誠意」のことをお話しましたが、もう1つ言いたいのは「オリジナリティ」です。他の映画と違うものをつくるべきだ、と私は考えます。私たちのように映画をたくさん観なければならない人間にとって、一番大変なのは、何度も似たような映画に遭遇し、何度も繰り返し観なければならないということです。余りにも多くの似たような映画があります。社会について、人間について、哲学について、恋愛について、つくった本人は自分がオリジナルであると思っているかもしれませんが、実は1万人目の同じ視点なのです。監督だけでなく、小説家や音楽家や演劇をやっている人たち、彼らの仕事の中にも、制作のヒントはあると思います。つまり、歴史を知るということなのです。今日、冒頭で石井裕也監督や池田暁監督の作品をおみせしましたけれど、そこに山田洋次監督や小津安二郎監督への隠喩があるというお話をいたしました。それはとても重要です。過去にあった歴史や文化を引き継いで、自分のクリエイティビティの中に引き込んでいく。するとそこには新しいレイヤーが生まれ、作品を強くしていくのだと思います。そして平林監督の作品については、このような作品は一切他で観たことがないので引用ではないと思うので、果たしてあの作品がどんな起源から出てきたのか見当もつかないのですが、彼は自分のためにオリジナルなものを創作したのだと思います。こういう監督は多くはありませんが、存在します。そして鈴木監督は、おそらく彼のルーツは文学に近いのではないかと思うのですが、映画に対するたくさんのアイディアを持っていて、大変才能のある方だと思います。
荒木D:お話を伺いながら、私は映画祭をやる側というのは常に何をやるのか問いかけられていると感じました。映画をつくることも映画を選ぶことも、基準を落とすことはとても簡単だと思うのですけれど、基準を上げ続ける、何を理想とするのかということを持ち続けるということの大切さ、あらゆる条件の変化の下で、目標を目指し続けるということの重要性をこの時間の中で感じました。早川監督はつくり手としていかがお考えですか?
早川監督:私は、『ナイアガラ』のことは素人くさいなぁと自分で思っていた作品で。監督としても映画学校に1年通って、卒業制作で撮った映画なので、監督と呼ばれるのも恥ずかしい気持ちだったのですが、今年の3月にカンヌから始まって色々な映画祭に参加させていただきまして、だんだん自覚が芽生えてきたというか。自分は映画をつくっていく人だったんだな、監督としてこれからやっていくんだというのが芽生えてきましたね。それは映画祭の影響が大きかったかな、と思います。
レインズ氏:『ナイアガラ』について監督が謝ることは一切ありませんよ。どんな基準で観ても素晴らしい作品だからなのですが、唯一商業的な側面で不足があるとすれば、映画の長さだけです。この作品は長めの短編ですから、配給のシステムに乗りにくかったり、そのせいで批評家に観てもらえなかったり、宣伝作品として取り扱ってもらえないという部分はあります。一般商業的な配給が限られている中でこの作品は、映画祭という、作品の長さに制約のない場所での上映というのがふさわしいのではないかと思います。
荒木D:早川監督は、色々な国で上映を重ねていくに連れ、だんだん自覚が生まれてきたということでしょうか?
早川監督:そうですね。1つ面白いと思ったのが、色々な作品と一緒に上映されるので、他の作品を観るたびに結構落ち込むのです。上手いな~とか、良い映画だな~とか、比べてしまう気持ちもあったのです。でも、韓国の女性映画祭でプログラマーの方とお話をしていたら、「私も上映の前は眠れないの。なぜなら私が自信を持って選んだこの作品をこの順番で上映して良かったのか、考え抜いて決めたけれど、お客さんの反応はどうか、って考えてしまうから」とおっしゃっていたのが印象的で。映画祭の方もそういう意識で映画祭をつくっているということがとても新鮮で驚きました。
荒木D:自分のつくったものを誰かが観てくれている、それも自分より長く生きていて、何万本も映画を観ていて、かつ自分の国の歴史を自分より知っているかもしれない、そんな人たちが選んでいると考えただけで、映画は変わっていくのではないかと思いました。観ている人は自分よりすごい人なんだという意識は映画を変えていくのではないか、それは映画祭の1つの役割なのではないかな、と感じました。トニーさんは映画を選ぶ仕事に就くとは思っていましたか?
レインズ氏:実は映画を選ぶことは学生時代からしていました。私は高校生のときから8mm映画をつくっていました。そして、今のように、学校新聞に映画評を書いていました。そしてシネクラブを運営し、プログラムも組んでいました。自分が観たい映画を自己中心的に選んで、そして上映する活動をしていました。私が住んでいた街の劇場で公開される映画は限られていたので、私はとても観たかったケネス・アンガーのフィルムを借りてきて高校で上映しました。余りにも人気だったのでもう1度上映したところ、校長先生に見つかってしまいまして、大変な目に遭ってしまったのですが…(笑)。とにかく映画をつくること、書くこと、プログラミングすることが、自分にとっては、若いころから続いてきた3つの活動なのです。ティーンエイジャーのころから、社会に悪い影響を及ぼす不良だったということでしょうか。
注:ケネス・アンガー/1927年アメリカ生まれ。アンダーグラウンド映画の系譜において伝説的存在の映像作家。バイオレンスやドラッグ、オカルト的要素に彩られた呪術的作風は、ジャン・コクトー、ミック・ジャガー、デイヴィッド・リンチ、ガス・ヴァン・サントら、多くのクリエイターに敬愛される
荒木D:今も(笑)。
レインズ氏:そうだといいね。
荒木D:でも、悪いことをしている感じってすごく大事ですよね。
レインズ氏:そのとおり。
この後、レインズ氏が最も敬愛する日本の映画監督のひとりである大島渚監督の話になりました