No.43:香港アジア映画投資フォーラム(2/3)

海外レポート

香港アジア映画投資フォーラム
Hong Kong - Asia Film Financing Forum(HAF)

文:北川 仁(PFFアワード2010『ポスト・ガール』、2011『ダムライフ』監督)

ミーティングの場と言葉の問題

実際のミーティングの場においては、上記のように、様々な業種の方が、様々な目的をもって来られますので、その内容はこういったもの、とは一概には言えないのですが、そこに臨む準備としましては、まずはやはり、僕は言葉の問題に関して、大きな障害を感じました。

たしかに、このような場には、プロデューサーの方が同席することがほとんどですので、企画のおおまかな説明等はその方が行ってくれるとは思います。が、監督が無言で横に座っていると、ミーティング中、相手の方にちらちら見られるといいますか、「こいつなんで微動だにせず横に座ってるんだ、地蔵なのか?」みたいな空気になるといいますか、とにかく、まず単純に、英語が話せないと、ものすごく気まずいのです。もちろん、映画は監督だけのものではありませんし、それは相手の方も重々承知のことだとは思いますので、企画の内容さえ伝わればそれで十分なのだ、と自分を納得させることは可能なのですが、相手の方に出資などをしていただくために必要な最後の一手、相手の心を後押しし決断させる決め手となるもの、それは、「こいつは信頼できそうだな」という信用の部分にあるようにも思うのです。

そうはいっても、こちらは、有名なわけでも、腐るほど金を持っているわけでもありませんから、相手に信用してもらうために使えそうな武器は、練り込み上げた企画、その企画にかける情熱、そして、誠実さ、この三つくらいしか持ち合わせてはおりません。映画の作風というものの裁量が、監督にそれなりの部分を任されている以上、監督が英語を話せませんと、上記の三つの武器のうち、企画にかける情熱、誠実さ、この二点に関しては、相当に弱まるといいますか、とにかくかなり説得力の欠けるものとなってしまいます。そういった意味では、監督にも、最低でも企画に対する情熱を伝えられる英語力、これが必要なのではないかと、僕は感じました。
ここで求められる英語力は、実際のところは、なんとなくこちらの言っていることが相手にわかるレベルで十分なのだとは思いますが、英語ができればできるほど、伝える内容は説得力を増していきますし、パーティーなどの様々な場で、他の監督やミーティングに来てくださった方々と仲良くなることもできます。ですので、とにかくもう、英語はできればできるだけいいのだと、僕は思いました。

他の監督が、「君の企画を読んだよ!」と話しかけてきてくれた時に、“Thank you.”とだけ返し、あとは鳩のように首を前後に突き出し、ヘラヘラと笑い続ける不気味な男になってしまった自分、そんな僕を見て、悲しそうに去っていった、その監督の後ろ姿。精神の状態が芳しくない時には、今でもふっとその光景が頭をよぎり、突然道端で叫び出しそうになってしまいます。
ぜひ、どのレベルまでなどと言わず、きっちり海外の方とコミュニケーションがとれるレベルまで英語力を鍛えることを、皆さんにはおすすめしたいと強く感じました。

期間中、朝から夕方までミーティングが続きます。休憩中の北川監督(左)とプロデューサーの湯川暁子さん。
会場に貼り出されているミーティングのスケジュール表。空欄は、次々と埋まっていくのだそうです。
ミーティングに臨むための準備

また、ミーティングに臨むための、その他の準備としましては、僕の場合は30分でしたが、ミーティングの時間は限られているのが通常であります。従って、その時間の中で、自分の企画の趣旨や魅力などを効率的に提示できる準備、これも欠かすことができないと、僕は思いました。
今回、僕らの企画では、ポスターをつくってイメージを湧かしやすくし、Power Pointを用いて内容を素早く紹介、そして、作成したトレイラーを見てもらうなど、できる限り視聴覚に訴えながら、効率的に作品の諸々をわかってもらうよう努めました。やはり、過去の監督作品も含め、実際の映像のイメージが伝わりますと、諸々の話が非常に早いところがありますので、これは非常に重要であります。事実、周囲のほとんどの企画が、映像を用いてのミーティングを行っておりました。

参加する上で必要な準備というのは、おもだって以上のようなものかなと、僕は思っております。

どのような企画がよいのか?

次に、参加してから、実際にどのような企画が多くの関係者を訴求するものとなるのか、ということになりますが、これに関しても、上記のように、来てくださる方々は、その立場も、趣向も、本当に千差万別でありますので、一概にこうとは言えないところが、正直にいってあります。
しかし、とりあえずなにより強く感じましたのは、海外というのは、評価が非常にフラットであるなあということであります。つまり、僕のようなよくわからない人間も、海を越えれば、日本で多少有名な方とほとんど変わりがない、もっと言ってしまえば、海外の方からしたら、どっちのこともよく知らねえよ、ということであります。
従って、若干上で述べたことと矛盾するようではありますが、問われるのは完全に企画の善し悪し、それは、売れるのか・売れないのか、ということや、日本独自の表現があるかなど、様々な要因が関わってくる問題だとは思いますが、なにより決定的であるのは、普遍的であるか否か、この点であると僕は思いました。
企画マーケットでは、様々な考えを持つ人たちに出資や協力をお願いするわけですから、中途半端に策を講じてみたところで、それに合致するような考えの方と出会える確率は非常に低いですし、なにより、相手も完全なプロの方々ですから、一瞬でその適当さを見破られ、論破され、ほとんどの時間押し黙って過ごしちゃいました、みたいな事態にも陥りかねません。僕も実際、様々な方々とミーティングする中で、「こういうのがウケるんでしょ?」などと浅はかに考えていた、日本のオリエンタルな魅力を何の背景もなく取り入れた部分などは、ほとんど響いてもらえず、なんだったら「あー、よくあるあれね」みたいな感じでバッサリいかれ、動揺してしまい、とりあえずニタニタと不可解な笑顔を浮かべ、「僕もそう思ってたんですよー」などといった感じで、なぜか相手と同じ考えを表明する、人格の多重化を疑われる行動をとってしまった瞬間も、けっこうな回数でありました。それよりはむしろ、自身が寺の息子であるという背景をもって取り入れた、人の生き死にの問題や、そこにまつわる悟りというものを描こうとした部分、または、男子高出身であり、全くもってモテない僕自身という背景をもって取り入れた、愛の問題の部分、そういった、僕自身の問題から、ある種の普遍性というものを目指し、また、そういった普遍性に表現が転化された部分こそが、相手の方々に、ほめていただいたり、気に入っていただいたりした部分であったように、僕は感じました。もしかしたら、今回、この部門に選出していただけたのも、ここに拠るところがかなり大きいんじゃないか、という気もしております。