No.30:『くじらのまち』in 第17回釜山国際映画祭

海外レポート

日本国内のみならず、海外の映画祭でも上映される機会が多くなったPFFアワード入選作品&PFFスカラシップ作品。このページでは、そんないろいろな映画祭に招待された監督たちにも執筆していただいた体験記を掲載します。

PFFアワード2012 グランプリ受賞『くじらのまち』in第17回釜山国際映画祭(韓国:2012年10月4日~13日)

鶴岡監督。上映会場にて。

胸を躍らす出会が続いた1週間

文:『くじらのまち』監督 鶴岡慧子

今年(2012年)10月4日~13日に開催された、釜山国際映画祭2012のニューカレンツ部門に『くじらのまち』をお招きいただきました。私は8日から14日までの一週間、釜山に滞在しました。滞在中はPFFディレクターの荒木さんに同行して頂き(むしろ、海外不慣れで右も左も分からぬ自分が荒木さんにくっついて回る感じでしたが)、初めての海外映画祭、とても貴重な体験が出来たので、かいつまんでレポートさせて頂きます(グルメレポートにならないように気をつけなくちゃ)。

滞在中のスケジュールとしては、8日のニューカレンツ部門記者発表、10日の上映、13日のクロージング、この3つが私の出番で、ではあとの日程は釜山観光と映画鑑賞だなぁ、なんとありがたい遅い夏休みを頂けたぞ、などと出発前は呑気に構えておりましたので、これから盛りだくさんの日々が待っているとは想像もしていませんでした。

まず8日に釜山へ到着してすぐ、記者発表の会場へ向かうことになっていました。空港では映画祭のボランティアスタッフの方が出迎えてくれました。「Ms. Keiko Tsuruoka」と書かれたボードを持ったスタッフジャケットのお姉さんに、「アイム、ケイコ」と顔を真っ赤にし細々した声で話しかけると、お姉さんはとても優しい笑顔で歓迎してくれたので、それまでの緊張がすっかり解けました。それからBIFFのロゴが付いたピカピカの車に乗せてもらい、釜山の旧市街を通り抜けながら、記者発表会場の新世界デパートまで送ってもらいました。旧市街の独特な風景を車窓から眺めながら、あぁ外国へやってきたんだなぁとしみじみ実感しました。

各上映会場に貼ってある参加監督たちのポスター。鶴岡監督の写真ももちろん掲載されています。

舞台挨拶される鶴岡監督(写真中央)。

新世界デパート内のカルチャーホールで荒木さんと合流し、そのまま他のニューカレンツ部門出品監督の皆さんが待つ楽屋へ通されました。そこで、記者発表と10日の上映でお世話になる通訳さんと初対面し、軽く挨拶を交わした後、記者発表の会場へと入りました。通訳の延さんは日本在住の方で、私より遥かに美しい日本語を操るとても素敵な方でした。記者発表の間も、韓国語と英語を全て耳元で日本語通訳してくださったので、このお上りさんもしっかりと状況を理解した上で挨拶し質問に答えることができました。記者発表では、「『くじらのまち』はスタッフもキャストも全員大学生ということだが、プロではないメンバーでの現場は、苦労はなかったか?」という質問を受けました。自主映画をつくる上ではそれが当たり前だと思ってきた自分にとっては意外な質問だったので、「アマチュアでも才能のある友人達と作品をつくれたことは、ある意味では今しかできないことだし、貴重な体験だった」と回答しました。各国から集まった若手の監督達からも、それぞれの映画づくりについての話を聞くことが出来ました。制作費を支援するシステムを利用したという話や、撮影中に、低予算だったためクルー達に道ばたで安い弁当を食べさせたという苦労話や、脚本を考える上で自分自身のアイデンティティと向き合った話など、この記者発表の場だけでも、彼らがどのように映画づくりに取り組んでいるのかを知ることができて、大変興味深かったです。

記者発表が終わると、私が一週間滞在するヘウンデ・グランドホテルへ向かいました。チェックインして部屋へ入ると、なんと広くて美しいこと!16階のオーシャンビュー。この部屋を1週間も使ってよいのかと思うと、こんな高待遇良いのかしらとちょっと戸惑ったお上りさんでした。

鶴岡監督が滞在したホテル。窓の外にはオーシャンビューが広がる。

初日の夜は、荒木さんと「しじみスープ」の美味しいお店へ行きました。辛いスープとあっさり味のスープ、キムチやら和え物やら揚げ魚やら色とりどりのおつまみ、それからビールも頂いて、一気に韓国・食の旅への期待が高まったのでありました。(おっといけない、グルメレポートになってしまう。)

滞在3日目となる10月10日は、いよいよ『くじらのまち』の上映でした。上映開始の1時間ほど前に、会場であるロッテシネマを訪れると、とてもきれいなシネコンで驚きました。様々な大作映画がかかっているスクリーンで、自分たちがつくった作品がかかるのかと思うと、感慨深かったです。

上映は滞りなく済みました。上映後のティーチインでは、韓国の観客の方からたくさんの質問を受けました。
「映画で音楽を使わなかったのはなぜ?」
「くじらにはどういった象徴としての意味が?」
「主人公の母親の姿が登場しなかったのには理由が?」
「映画全体にノスタルジックな雰囲気があるのはなぜ?」
「映画を通して感じる喪失感は、2011年の東日本大震災に起因しているのか?」
など、大変刺激的で鋭い質問意見が飛び出しました。特に、若い世代のお客さんが積極的に手を挙げて質問・意見を出してくれて感動しました。時間いっぱいまでティーチインは続き、終わった後も、たくさんのお客さんが挨拶をしに来てくださいました。「Welcome to Korea!」とプレゼントをくれるお客さんまでいて、韓国の観客の皆さんはとにかく暖かったです。

もう一つ嬉しかったのは、司会の方から、作品の感想として、「とても懐かしい感じがしました」と言われたことです。国は違えど、自分の青春時代と重ね合わせて観てくれたのだとしたら、厚かましい言い方かもしれませんが、国境を越えて作品を届けることが出来たような気がしました。

この日の夜は、韓国のお刺身を頂きました。野菜と甘辛のタレに和えてある生魚は、日本では食べられない食べ方で、これまた大変美味でした(すっかりグルメレポートと化している)。

これがカンジャンケジャンだ!

写真左から、ヤンコプチャンのお店の店員さん、鶴岡監督、そして"韓国のお母さん"。

上映が終わってほっとしてから、クロージングまでの2日間は、映画を観に行ったり(映画祭のパスを用意してもらっていたので、全て無料で観ることができたのです!)、少し旧市街の方に散策へ行ってみたり、釜山国際映画祭の前委員長であるキム・ドンホ氏主催のディナーへお招きいただいたり(同席にジャ・ジャンクー監督が!)、相変わらず荒木さんに美味しいお店へ連れて行って頂いたり、釜山滞在を満喫しました。宿泊しているグランドホテルから近い古い商店街で食べたジャガイモの鍋が美味しかったです。そして、なんといっても、カンジャンケジャン。醤油につけ込んである蟹を、一匹まるまる頂くのですが、身を全て食べた後、残った蟹味噌と甘タレにご飯を混ぜてシメるという、思い出しただけでもヨダレが出る絶品料理に出会いました。また、滞在中にパーティーでお会いした行定勲監督に教えて頂いたヤンコプチャンのお店では、気さくで日本語がぺらぺらな女将さんとすっかり意気投合し、「韓国のお母さん」と呼んでとても美味しい料理の数々でもてなして頂きました(ご飯の話ばかりで、本当にすみません…)。「韓国のお母さん」は、また来年釜山に来てね、次に来たときは私の家に泊めてあげる、と約束してくれました。

映画祭が閉幕に近づくと、釜山の街は少しずつ片付けられて行き、どことなく寂しい感じがしました。

映画祭最終日の13日は、他のニューカレンツ出品監督たちと共に、バスでクロージング会場へ向かいました。荒木さんと私はバスを降りてすぐさま会場に入ったのですが、あとあと、カーペットを歩きそびれたことに気がつきました。これは、次回の目標にとっておきます。

受賞は逃しましたが、個人的には、映画祭ハイライトの映像の中に『くじらのまち』の断片が使われていたことに感激しました。この華々しいアジア最大の映画祭の一部分として、私たちがつくった作品を受け入れてもらえたことを改めて実感し、言葉にならないほど嬉しかったです。あっという間にクロージングは終わり、私の初海外映画祭は幕を閉じました。

祭りの後の余韻に浸る間もなく、翌日日本に帰ってから再び慌ただしい日々に追われていましたが、今こうやって改めて思い出すと、韓国の映画ファンたちの熱気、ことに若者たちの熱気が、すごかったなぁと思います。そして、映画祭一色になった街で、毎日世界中の様々な映画が流れ、皆が新しい映画との出会いに胸を躍らせている様子を目の当たりにし、映画はまだまだ人々に愛されている、ということを改めて実感したのでありました。またいつか、釜山の街に、新しい映画と一緒に戻ってきたいと、心から思いました。「映画」との出会いを楽しみにしている人たちのために、「出会えてよかった」と思ってもらえるような映画をつくれるように、また日々頑張って行こうと決意を新たにしました。この貴重な経験をサポートしてくださった全ての皆さんに、心から感謝を述べたいと思います。ありがとうございました。