No.22:『家族X』in 第12回全州国際映画祭(後編)

海外レポート

日本国内のみならず、海外の映画祭でも上映される機会が多くなったPFFアワード入選作品&PFFスカラシップ作品。このページでは、そんないろいろな映画祭に招待された監督たちにも執筆していただいた体験記を掲載します。

第20回PFFスカラシップ作品『家族X』in 第12回全州国際映画祭 (韓国:2011年4月28日~5月6日)

『家族X』の吉田光希監督が参加した3つの海外映画祭の体験記を、全6回に渡って連載していくシリーズ企画もついに最終回。
前回に引き続き、韓国・全州映画祭のレポートです。いくつかの映画祭を通して、吉田監督が感じた思いとは?

映画館通り。右にある建物が『家族X』を上映したシネコンJeonju Cinema Town。

Jeonju Cinema TownでのQ&Aの模様。中央でマイクを握り話しをしているのが吉田監督。

もう人通りの少なくなった夜のチョンジュをホテルに向かって歩いていると、熊切和嘉監督から電話がかかってきた。冨永昌敬監督、松永大司監督と一緒にいて、ヤン・イクチュン監督と共にお酒を飲んでいるという!嬉しいお誘いを受け、急いで映画館通りまで向かった。そういえば今まで参加した映画祭は、映画を観ることばかりに躍起になっていて、他の監督との交流は非常に少なかったことを思い出す。映画祭まで行ってお勉強ばかりしようとしていたのだ。イクチュンともすぐに打ち解け、その夜はとにかく楽しい時間になった。彼は、『息もできない』以降の取材で、「次回作はしばらく撮らないかもしれない。」という話をしていたけれど、チョンジュには短編の新作を持って参加していた。その上映に立ち会えたことも嬉しい。この夜に決めたことは、‘この映画祭では誰かとの交流を一番大切にしよう’ということ。
映画祭の出発以前、恩師である諏訪敦彦監督からこんな言葉を貰っていた「無理やり話して友を作るんだ。」
それからは滞在最終日までイクチュンと毎晩一緒に過ごすことになる。

翌日からのスケジュールは、昼頃起床→午後の映画を観る→夜にはイクチュンと、日本人監督で唯一後半まで滞在していた松永大司監督と3人で集まりお酒を飲む…というサイクルを繰り返していた。

チョンジュでの上映2回目は、Jeonju Cinema Town という少し古いシネコン。
2回目の上映も完売となり劇場は満席となる。
この上映にはイクチュンが来てくれていた。彼の『家族X』の感想は非常に印象的なもので、まず、大きなストレスを感じながらも沈黙を続ける主婦・路子を見て、韓国の母との違いを教えてくれた。韓国の母親は内に溜めるのではなく、外に向かって激しい怒りとして発散する場合が多い。ヒステリックに激高する事もある。反対に、家族に対していつも食事を提供することで関係を保とうとする行為は、非常に韓国と似ていると言う。食料を得ることが困難だった時代を経験しているので、食という行為を非常に大切にしているそうだ。

(上)クロージングセレモニーの会場。
(下)レッドカーペット上からの風景。

そして、自分は俳優でもあるので、‘役者としてどう撮られたいか’という話をしてくれた。「『家族X』では俳優の芝居よりもキャメラの感情が強く感じた箇所があった。役者として、キャメラに自分以上の芝居をしてほしくない。」
キャメラも演技をする…。このことを忘れていた。
現場では、とにかく芝居をありのままに捉えることが最良の事と信じて手持ち撮影を多く使用した。確かにフィックスしたフレームでも俳優が芝居をする熱は捉えることができる。俳優とどう向かい合えばよいのかを改めて考えさせられ、次なる課題を彼は与えてくれたのだ。

2度目の上映を終えた翌日がクロージングセレモニーで映画祭最終日。
チョンジュにはセレモニー会場入口にレッドカーペットがあって、生まれて初めてのカーペット歩きを体験できた。国際コンペの中で特に印象深い作品だったのが『The Dream of Eleuteria』というフィリピンの作品。村の娘が借金の返済のため会ったことのないドイツ人に嫁ぐことになり、出発の日、村を出ていくまでの90分がワンカットで描かれる。村全体が芝居場になっているみたいで、手法に引っ張られることなくエピソードが連鎖していく映画だった(この作品は審査員特別賞を受賞)。『家族X』は残念ながら受賞には至らず、映画祭の全日程を終了する。

チョンジュでの滞在は、他の国での映画祭経験とは別の意味を発見出来たと思う。
連載最初のベルリンレポートでは、「未発表作のスクリーナーを持参して売り込むくらいの勢いで映画祭に参加できたら、広がりももっと大きくなるのだろうと思う」と締めくくった。映画祭は、そうして自分の作品を広めて行くことが出来るし、受賞をすれば注目してくれる人の数もずっと多くなる。発信する者としてそうした意識は大切なことだけれど、そこにこだわりすぎて目の前にいる人たちとの関わりを見失ってしまうのはとても寂しい。海外に友が出来ることの喜びをチョンジュは気がつかせてくれたのだ。再び彼らと次なる映画祭で再会したいと思うことも、映画を続ける理由のひとつに加わった。

文:『家族X』監督 吉田光希