特別インタビュー「黒沢清監督が語る大島渚の3作品」

映画祭ニュース

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「第7回大島渚賞」の開催にあわせ、審査員長の黒沢清監督にインタビュー取材を実施しました。

今回、黒沢監督自選の3作品『日本の夜と霧』『日本春歌考』『儀式』を通じて、大島監督の魅力を語っていただきました。
黒沢清監督は、常に先鋭的な表現を追求し続けた、大島渚監督をどう見つめているのか。ぜひご覧ください。


聞き手は、大島渚監督に関する著書も持つ、吉田伊知郎さんです。


★大島渚プロダクションのホームページに、樋口尚文さん(映画評論家/映画監督)による全作品の解説と背景がまとめられています。ぜひ併せてご参照ください。



黒沢清監督が語る大島渚の3作品

 最初から言い訳めくのですが、僕は『愛のコリーダ』(1976)あたりからは同時代的に大島渚を観ていますが、それ以前の作品は後から観たものですから、製作当時の日本の社会状況もよく知らぬまま観ています。大島渚を同じ世代として観てこられた方とは、おそらく大分違う感想になるでしょうし、僕の言うことを真に受けない方がいいかもしれません(笑)。

 大島渚は難しいですね。例えば小津安二郎のように、ある時期からスタイルとか、一貫したテーマのようなものが浮かび上がってくるような作家ですと、それを元に、時代と少し切り離して語ったりすることが出来なくもないんですが、大島渚は時代と切り離して語ることが、なかなか難しいと実感しています。


『日本の夜と霧』(1960)

 大島渚の作品の中でも、『日本春歌考』(1967)と並んでトップクラスで大好きだということから『日本の夜と霧』を挙げました。この作品は1960年に撮影されていて、共産党から新左翼が分かれていった政治的な時代背景があるのですが、それを知らなくても、人が大勢集まった中で、何かものすごい対立が起きているというのが手に取るように伝わってきます。

20260319-01.jpg『日本の夜と霧』©1960 松竹株式会社

 後で挙げる『日本春歌考』の方がより顕著なんですが、『日本の夜と霧』も対立の構図を歌でやるんですね。歌合戦形式になる。「そんなことを言わずに、まず歌おうよ」と、歌うことによってある集団ができてしまう。そこから個人がぽつんと取り残される、あるいは全く逆の歌を歌い始める。または歌なんか歌っている場合じゃないと反発する。歌を歌うということを、大島渚は大きなドラマを形作る手法として、積極的に取り入れているわけです。

 この作品には、よく言われるように、強引な長回しがあるのですが、強引といっても、当時の松竹撮影所の底力があるので、照明もカメラも俳優の動きも見事に設計されています。外はいつも霧になっていて、室内と外を実に巧みに使っている。最後に津川雅彦がいきなり刑事に捕まる瞬間とか凄いです。これが可能なのはセットだからですね。ロケだと、天候とか、そんなに夜遅くまでは撮影できないとか、カメラを自由な位置に置けないとか、いろいろな制約が出てくるんですが、セットで全部できたというところが贅沢ですよね。大島渚も、どこかでジレンマに陥ったかもしれません。「俺は思い切り松竹の力を借りているな」というね(笑)。そこから抜け出して、もっと大胆なことをやるんだということで、この後の作品に繋がっていったんだと思います。

 『日本の夜と霧』の長回しは、即興的にドキュメンタリーのように回したわけではない。明らかにテストをしていて、次にこの人がしゃべるであろうというところへ先行してカメラが動いていく。劇映画としては当たり前なんですが、後々、カメラが軽くなって16ミリとかを使うことで、誰かがしゃべりだしたら、遅れてそちらにカメラを向けるというような撮り方が主流になった中で見ると、本当に古典的だという気がしました。

20260319-02.jpg台本など当時の貴重な資料。吉田さんの私物をお持ちいただきました

 今は長回しをやるにしても、デジタルでいくらでも回せてしまうのですが、フィルムで撮影すると、使えるフィルムに限りがあるので精密なテストなくしてはカメラを回すことができません。僕もフイルムで相当な長回しをやりましたが、当時はそれしかないので、ダメになるかもしれないけど、回すんだということで、躊躇せず、でも念入りに計算してやりました。もちろん相米慎二もやっているし、テオ・アンゲロプロスもエドワード・ヤンもごく当たり前のように周到な長い1カットを撮っていました。

 デジタルになると、テストもなく、ものすごく長く回す人がいっぱいいるみたいですね。フィルムがなくなるということを気にしないやり方で育った人は、何台かのカメラで素材として延々と撮るということが一つのやり方になっているようです。ただ、そうやって撮った長いカットをそのまま使うという発想ではないようです。僕はそれが出来ないんですよ。長回しは長回しとして使うという前提で撮るので、その中のいいところを一瞬だけ使おうというような贅沢ができないですね。たとえ途中で失敗しても、それをそのまま使うか、ダメなら全部ダメという発想になってしまうんですが、今はどうも違うようです。

20260319-03.jpg『日本の夜と霧』©1960 松竹株式会社

 『日本の夜と霧』に話をもどすと、ものすごくセリフのやり取りが多く、かつ小難しいことを結構言っているんですけど、すごく聞き取りやすい。それがある種のリアリティーを持って迫ってくるのは、俳優の力だと思います。小山明子はもちろんですけれども、戸浦六宏とか、渡辺文雄とか、佐藤慶とか、後に創造社(※大島渚を中心にして1961年に設立された独立プロダクション)で常連となる人たちの芝居が、めちゃくちゃ良いんですよね。その他の人たちも、みんな芝居に安定感があって、すごく見やすい。

 津川雅彦や吉沢京夫がしゃべるところでは、つっかえたりしているのですが、当時のああいった人たちを直接は知りませんが、僕より一世代上の人たちが観念的なことをしゃべりだすと、論理的にしゃべろうとするあまり、どこか追いついてなくて、「えーと」って、つっかえるんですよ。その理屈立てて言おうとしている一生懸命さのリアリティが、逆につっかえることで出ていたという気がしますね。後々、大島渚は安定感のある芝居というのを、どこかで破壊したくなって、主人公を全くの素人にしたり、おぼつかないセリフとか、そういうものを好んで取り入れるようになりますね。『日本の夜と霧』はまだそうなっていない。それによって、過激な内容ながら、古き良き撮影所時代の古典のようにも見えるのでしょう。

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『日本春歌考』(1967)

 「日本映画三大歌合戦もの」というのがありまして。僕が勝手に言っているんですが(笑)、『鴛鴦歌合戦』(1939)、『たそがれ酒場』(1955)、それから『日本春歌考』です。

20260319-04.jpg『日本春歌考』©1967 松竹株式会社

 『日本春歌考』は、かつての紀元節が建国記念の日となって制定された時期を背景に作られていますが、映画の冒頭で雪が降っているんですね。これには驚かされました。前半はシーンが変わっても雪が降っているんですが、東京で雪がガンガン降ることはそうない。荒木一郎たち受験生が学校を出るところから始まって、街を歩いて来てデモに合流して、今度は橋の上になってデモ隊とすれ違うように伊丹十三と小山明子が向こうへ歩いていく。これ全部、雪が降っているんですよ。たった1日の昼間だけで全てのシーンを撮ったんでしょうか。恐ろしい早撮りです。

 それにしても、雪が異様な緊張と興奮を呼びますね。最初に荒木一郎たち4人の学生が、グラウンドを歩いているのですが、これは何かすごいものを見ているかもしれないと思わせるんです。一面が雪におおわれたグラウンドを、ただブラブラ歩く大ロングなんですが、こんな映像は見たことがない。これから何が始まるのか、彼らがどこへ向かっているのかも皆目わからない。ものすごい出だしだなといつも思います。

 この時期の大島渚は、松竹の伝統からも抜け出して作っているはずなんですが、大島渚だけじゃなく、スタッフ、俳優たちの価値観も、映画だから当然撮るべきものはちゃんと撮らないと、という一種の倫理というと大げさですけど、撮影所の価値観がまだ残っていたんでしょうね。地下鉄から出てきた伊丹十三と小山明子が入っていくビルは、毎日新聞が入っているパレスサイドビルですか。すごく面白いビルですよね。ああいう構造物を安定したカメラで的確に撮っていて美しい。

 それから上野駅か新宿駅で、列車で女生徒たちが帰っていく。その後、荒木一郎たちが地下道を歩くんですが、カメラがゆっくりトラックアップしたりするんですね。あの当時ですから、たぶんレールを敷いたんだろうと思うんですが、本物の駅や地下道にレールを敷くって、なかなか大変な作業なんですけれども、時間のない中で、即興的に撮影しつつ、ちゃんとレールを敷いているというところが感動するんですね。レールを敷く時間を惜しまない。羨ましいです。もう少し経つと、もう16ミリカメラの手持ちでどんどん撮っちゃうんでしょうけど。実際、『日本春歌考』の後に撮った『新宿泥棒日記』(1969)は16ミリの手持ちでやってますね。

20260319-05.jpg『新宿泥棒日記』©大島渚プロダクション

 余談ですけど、『新宿泥棒日記』は学生の時に最初に観て――もちろん同時代ではありませんが――衝撃を受けました。こんなやり方もあるんだと、たいそう驚き、あの頃はこれが最高傑作なんじゃないのかと思っていました。それがだいぶ経ってから見直すと、これはいくらなんでも……(笑)。こっちも商業映画を作ることの大変さみたいなものがわかってきたのか、『日本春歌考』の方がよっぽど念入りに作られていて、その丁寧さにワクワクするというふうに、つい歳を取ると感じてしまいますね。

 『日本春歌考』の後半に、荒木一郎と小山明子が高速道路を歩く長い横移動があります。東京のどこかの高速道路ということはわかるのですが、東京タワーが見えるわけでもなく、夕暮れどきのちょうどいい時間帯もあって抽象化された東京に見えますね。冒頭の雪のグラウンドじゃないですけれども、生々しいはずの東京の街を抽象化して見せてしまう。これは雪と同じで狙いというより、ある種の偶然性でそうなったのかもしれませんが、最初から狙っていたものを大きく超えるいろいろなことが偶然重なって出来た、本当に奇跡のような映画だなと思います。

20260319-06.jpg『日本春歌考』©1967 松竹株式会社

 それにしても、最後の歌合戦状態になる池のような場所はどこなんだろう? 奥に家が建っていて、手前では火が燃えていて、真ん中が小島のようになっている。ここで、アメリカの星条旗が出てきたと思うと、アメリカのフォークソングを歌うんですよね。朝鮮について歌った春歌で吉田日出子がアメリカに抵抗しても、最終的にアメリカナイズされてしまう。わかりやすいといえば、わかりやすいけれども、そんな政治的状況を、この場所と国旗と歌合戦で示すのが圧巻です。テオ・アンゲロプロスは確実にこれに影響を受けているでしょう。

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『儀式』(1971)

 今回の大島渚賞で上映するということもあって、『儀式』は入れておかねばと思ったんですが、初めて観たのは大学生の頃ですから、公開当時ではありません。そのときは、サッパリわからなかったというのが正直なところでした。今回、本当に久しぶりに見直しましたが――やっぱり、ほとんどわからなかったですね。この歳になっても、これは難しい映画だなと思いました。

20260319-07.jpg『儀式』©大島渚プロダクション

 『日本の夜と霧』や『日本春歌考』あたりの主人公を取り巻く状況は、経験としては知らなくても、なんとなくわかる。ただ、『儀式』で河原崎建三が演じる主人公を取り巻く状況は、正直よくわからないんです。佐藤慶を頂点とするこの家に、納まっている人と、はみ出している人がいるわけですね。小松方正とか、渡辺文雄の役がそうなんですが、どの人がはみ出ているのか、一見さんにはわかりづらい。どっちなんだろうと。教養として、あるいは自分の経験として知っている方にとっては周知のことなんでしょうけど、僕はその両方が欠落しているんですよね。根源的な日本の歴史の何かなんだよな、ということはわかるんですが。ですから、『儀式』は僕にとっては特殊で、外国の映画みたいな感じがします。日本映画にしては本当に難しい、手強い題材だなというのが正直な感想でした。

 『儀式』は『日本の夜と霧』と同じく、ちゃんとしたお芝居で何かを表現できる俳優が集まっているので、その分、余計わかりづらかった気がしますね。荒木一郎みたいな人がひとりいれば、あるいは河原崎建三さんが荒木一郎風に、どうでもいいよ的に振る舞ってくれていたら、まだ良かったんですけど、その中心で、どっぷり悩んでいらっしゃる。この人、何に悩んでいるんだろう? というのが、なかなかつかみづらかったですね。そういう意味では、いろいろ教養を積んだりして、もっともっと見直さないと本当に深い理解には至らないという気がしました。大島作品の中では相当高度なものだと思いますし、その分、見るたびに違ったものが見えてくるんだろうと思います。

20260319-08.jpg『儀式』©大島渚プロダクション

 『儀式』は1971年の映画ですが、60年代的な何かが空しく終わっていく時期だったのでしょう――聞きかじって言っているんですよ。その頃の僕は中学生で全然よくわからなかったので。

それでも、1972年の連合赤軍事件は衝撃でした。特にリンチ事件ですね。仲間割れして仲間を殺すんだというのが、やっぱり衝撃でした。この事件で、左翼的な熱みたいなのが世間的には一気に冷めていったわけですが、その少し前につくられた『儀式』で、大島渚が60年代にやってきたことの集大成を、と考えたかどうかは知りませんけど、一回区切りをつけたいと思っても不思議はない。その後に『夏の妹』(1972)を撮って、70年代を全然別な気分で行きたいという気持ちはわかるような気がします。

20260319-09.jpg『夏の妹』©大島渚プロダクション

 『儀式』をはじめとする大島渚の作品に脚本を書いていた田村孟さんとは、僕は長谷川和彦さんが『連合赤軍』という映画を企画していたときに、一緒に裁判を傍聴したり、映画にするためにどうする、こうするという会議を何度もやりました。

 田村さんは気さくでいい方でした。お酒を飲むと、長谷川さんも含めて、ちょっと荒れた感じになるというのは、あの頃の方たちの決まり事だったので驚かなかったですけど、普段は穏やかな方でした。それは大島さんもそうなんですよ。僕は何度かお会いしたことがありますが――といっても、個人的に会ったというより、何人かいる中で大島さんがいたというぐらいなので、深い話は何もしてないんですが。テレビだと何かにつけて議論を吹っ掛けるような猛々しいキャラクターでありましたが。僕が会ったときは、いたって穏やかな、気遣いをする方という印象でしたね。

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 さすがの田村さんも、連合赤軍を脚本にするのは手こずっていたようです。歌合戦というわけにもいかないだろうし。ただ、うろ覚えなのですが、こんなアイデアが出た記憶があります。当時若者に人気だった吉田拓郎が、それまではどちらかと言うとプロテスト・ソングが多かったのですが、72年に連合赤軍のメンバーのひとりが久しぶりに山岳アジトから街に下りてくると、そこに拓郎の新曲『結婚しようよ』が流れていて衝撃を受ける。つまり、時代ががらりと変わってしまったということが歌で示されるわけです。なかなかいいですよね。

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大島渚と対立の構造

 今回選ばせていただいた3本は、対立の構造が非常に映画的な高鳴りとして迫ってくる感じが強いかなと思います。『日本の夜と霧』では、露骨に対立があるんですけど、どこかに向かおうとする集団と、そうではない人たちが対立して泥沼化する。気持ちいいぐらい泥沼化して終わるというのが、この時代の特徴でもあるんでしょうが、『日本春歌考』になると、泥沼から個人が抜け出ようとしてニヒルにもなっていくんですね。どうでもいいやと、どっちにも加担しない人が出てくるんです。『日本の夜と霧』では、どちらにも加担しないニヒルな人は出てこないですよね。みんなどっちかに加担して、どっちも行き詰まるという。『儀式』はその集大成で、ニヒルの先にはもう死ぬしかないというね。

20260319-11.jpg『愛のコリーダ』©大島渚プロダクション
20260319-12.jpg『戦場のメリークリスマス』©大島渚プロダクション

 だから、『儀式』の後に『夏の妹』があって、その次に『愛のコリーダ』へ行くのは非常に劇的な大進化だという気がします。『愛のコリーダ』の藤竜也は、時代の中でニヒリスティックでしか自分の立場が見つけられなかったわけですが、松田暎子が演じた阿部定という人は、時代的な対立とか泥沼から完全に抜け出している。定を描くことで、やっとそれが見つかったという感じが大島さんにはあったのではないでしょうか。『戦場のメリークリスマス』(1983)のデヴィッド・ボウイも、明らかにどの対立にも入らず、ニヒリズムにもならず、完全に抜け出した自由人ですね。これは、『儀式』を経たから、定やボウイの自由に行くことができたんだなという気がします。

(取材・文:吉田伊知郎/撮影:井上勝也)

20260319-13.jpg聞き手を務めていただいた、吉田伊知郎さんと


「第7回大島渚賞」
受賞者:早川千絵(『ルノワール』)

3月22日(日):記念上映会
3月23日(月):授賞式
会場:丸ビルホール

【「大島渚賞」公式サイト】