『過ぐる日のやまねこ』万田邦敏監督&鶴岡慧子監督 トークイベントレポート
10月1日(木)、渋谷ユーロスペースに鶴岡慧子監督の立教大学時代の師・万田邦敏監督をお迎えしてトークイベントを開催しました。当日は暴風雨が近づき天気が心配されるなか、たくさんのお客様にお越し頂き、映画の日にふさわしい熱気に満ちた会場で師弟対談がスタート!その一部をご紹介します。
万田監督:この『過ぐる日のやまねこ』はPFFのスカラシップ作品ですね。仕組みがよくわからなかったのですが、立教大学卒業制作の『くじらのまち』がPFFアワードのグランプリを獲りましたよね。グランプリを獲るとそのままスカラシップの権利がもらえるんですか?
鶴岡監督:いえ、ちがうんですよ。PFFアワードに入賞した方がスカラシップに応募する権利がもらえるので、賞の種類はいったん白紙に戻して、企画コンペに新たに参加する形になるんです。『過ぐる日のやまねこ』は『くじらのまち』が受賞した後に、スカラシップ企画として考えた作品です。
万田監督:『過ぐる日のやまねこ』は、PFFアワードで受賞後に藝大で撮った作品『はつ恋』と『あの電燈』と平行して作っていたんですか?
鶴岡監督:そうですね、時系列的には『はつ恋』と『過ぐる日のやまねこ』の脚本を同時に書いていて、『はつ恋』を先に撮り始め、その間に『過ぐる日のやまねこ』を繰り返し書き直して推敲を重ねて。いったんその作業をお休みして『あの電燈』を撮った形になります。
万田監督:『過ぐる日のやまねこ』は監督の故郷・上田が舞台でしたが、上田ありきで撮ったものですか?
鶴岡監督:ありきではなかったですね。『くじらのまち』で福井の映画祭に呼んで頂いた時に、福井にある恐竜博物館に行こうと思って田舎町を歩いていた時に「田舎を舞台にした話を撮りたい」と思ったんです。もともと上田は想定していなかったのですが、『あの電燈』を撮影した時に、地元のフィルムコミッションの方に色々とご協力を頂いて、とても撮りやすかったのと、自分の故郷でもあるので、自然な流れで上田で撮影する事になりましたね。
万田監督:当初の脚本から、出来上がったものというのは変わりましたか?
鶴岡監督:変わりましたね。時子が都会から来て、陽平が田舎の男の子というのは一緒ですが、陽平の年齢が変わっています。
万田監督:最初いくつ位だったんですか?
鶴岡監督:最初は20歳位の設定でしたね。時子はもう少し上でした。
万田監督:陽平と死んだ和茂。この2人の関係は、陽平は和茂を慕っていて、和茂も陽平を弟のように思っているんですよね。『くじらのまち』では、主人公のまちが兄をとても慕っていて、東京で行方のわからなくなった兄を探しに、夏休みを利用して東京に出て行く。『くじらのまち』で言えばまちの、『過ぐる日のやまねこ』で言えば陽平の、いなくなった「兄」への思いがものすごく強いので、死んだ人がふっと現実として現れる。そういう意味での「幽霊」みたいな形で和茂は登場しますが、この2人の関係は、映画の中であまり具体的には示されないですよね。たとえば、この2人の関係を「こんな感じだと思ってくれると、すごく理解の役に立つ」ようなことってありますか?
鶴岡監督:福井の町を歩いている時にふっと思いついた一番最初の出発点が「自分はここに残るから、あなたはどこかへ行っていいですよ」と言ってくれる友人、男同士という設定があったんです。最初の設定ではふたりは同い年でした。
万田監督:なるほどね。同い年など、なんとなく見えてくものがありますね。
―この後も映画の核心に触れるトークが続きますが、ネタバレになってしまうので一部だけ抜粋してお届けしました。
10月7日(水)の19:10の回上映後には、鶴岡監督の東京藝術大学大学院時代の師・黒沢清監督がトークイベントに登壇します。映画とライブトークを楽しみに、ぜひ劇場にお越しください!
『過ぐる日のやまねこ』
渋谷ユーロスペース、長野県・上田映劇にて公開中!
【公式サイト】