夏目漱石とカンヌ
春になると、海外の映画人とのやりとりに、「カンヌで会いましょう!」「カンヌにはいつ行くの?」「カンヌの前後に〇〇まで来ませんか?」という言葉がついてきます。「行くよね?カンヌ。」という空気が、濃厚に迫りくるのです。
でも、行かないんですよ!PFF準備佳境ですし。
でも、そう聞かれるたびに、あの空気、あの高揚感を思い出し、ザワ、ザワ、ザワと心が波立つんです。
人口7万人のリゾート地に、膨大な収入を落としてくれる大イベント「カンヌ映画祭」。
一体業界人(映画祭やマーケットの各種バッジ申請者)は何人集まるのだろうとデータを探してみたけれども把握できず。東西南北世界中の監督、俳優、映画製作者、配給会社、エージェント、ライター、ジャーナリスト、研究者、あれやらこれやら、が一挙に集うわけですから、もしかしたらカンヌの人口超えちゃう数かもしれないですね。だって、カンヌ開催期間+その後の一週間くらい(カンヌ後休暇をプラスする人多し)は、作品交渉したくても、映画機関は人がいなくて機能停止なんですよ‥‥毎年真っ青
なんたって、ロケーションが、そして季節が素晴らしいですからカンヌ。そこ、極寒のベルリンと違ってリピートしたくなります。映画祭の開催時期、大切ですね。(ベルリンもかつては5月だったのですが、映画祭のプレミア重視の競争開始に伴い、時期を変えたと聞きました。今や「闇雲なプレミア合戦が行き過ぎでは?」とため息の出る映画祭世界ですが)
また、こじんまりした街での開催も映画祭の魅力を高めますね。例えば日本では山形国際ドキュメンタリー映画祭。10月が楽しみでたまりません。
日本で理想的な映画祭開催地はどこなのでしょう?
大きすぎない街。映画上映施設が揃う街(カンヌの映画上映クオリティは、映画祭上映もマーケット上映も、いずれの会場も大変に素晴らしい。ベルリンもトロントもですが。)。歩いているだけで気持ちいい街。海外からの参加者にも人気のある街。
んーん、外国人人気で言えば広島?伝統ある国際アニメーション映画祭がありますね。直島?京都界隈?軽井沢?能登?温泉?どこを開催地にするにせよ、「映画上映施設」というところが課題になりそうです。あらゆる上映フォーマットに対応できる施設が欲しいところです。
先日タクシーの運転手さんから「外国人観光客はまず100パーセント、渋谷のスクランブル交差点に行ってくれと言う」と聞き、そこ観光名所として残さなくちゃならないのでは?映画祭あそこの付近で開催すると人気になるのでは?と想像しました。急ピッチで進む渋谷駅周辺の開発。なんだか巨大怪獣の群れのような異形を現し始め、恐怖です。完成すれば一種の迷宮ですね。運営管理組織大変そう・・・まさに、空のみえない、ブレードランナーな渋谷駅界隈になります。ん?ちょっと古い都市計画かも?
「漱石がこの渋谷駅をみたらどう感じるかなあ」とぼんやり考えました。夏目漱石生誕150年、没後100年ということで、関連書籍の復刻など、いろいろと漱石ファンにはうれしいことが起こっている昨今。渋谷は漱石にとって馴染みのない場所でしたから想像するのは難しいのですが、世の中のことを考えるとき、どうもますます私の中に「漱石」という「基準」ができてしまっているのです。ただ、惜しむらくは漱石の生活に映画(活動写真)は入っていなかったこと。荒正人氏の労作「漱石研究年表」でも、馴染みの街浅草に生まれた映画館「電気館」(1903年開館)で活動写真をみた記録を見つけられません(「子供たち活動写真見に行く」という記述はありますがそっけない)。生涯を通して頻繁に訪れた寄席などと違い、没年の1916年(「イントレランス」の制作年でもあります)でもまだ映画は黎明期だったのだなあとしみじみと実感されます。
学校を中退し15歳、1920年に小道具などの係として撮影所に入った成瀬巳喜男。その2歳年上の小津安二郎。漱石とは40歳ほどの年齢差がありますが、映画という新しい産業に丁稚のように飛び込んだ世代。その世代が映画を新たな表現物として、芸術として、娯楽として確立していき、次に、もんのすごく大雑把に言えば、彼らより20~30歳若い世代が助監督としてスタジオシステムの中で訓練された後、高度成長期に映画を量産。テレビの登場で産業が変わり、遂に自主映画の時代がやってきて、いま、21世紀には映像産業は果てしなく拡がり変容しつつ現在に至る訳です。
映画黎明期の東京はどんなだったのかなあというと、明治43年1910年夏の夜に漱石が入院中の長與胃腸病院を抜け出し烏森、愛宕町あたりを散歩した際の記録にこうあります。
「夏の暑い晩だから家のうちが大概見える。ある家は簾をかけて奥の軒に岐阜提灯をつけて虫を鳴かしてゐた。ある米屋では二階で謡をうたってる下に涼台を往来に出して三四人腰をかけて、其一人が尺八を吹いてゐた。ある家では裸の男が二人できやりをうたっていた。ある車やの張場では是も裸が五六人一室に思ひ思ひの態度で話をしてゐた中に倶利伽羅の男が床几のようなものに腰をかけて、一同より少し高く腰を据えてゐたのが目に立った。ある家では主人と客と相談して謡をうたってゐた。ふしも分からないし、字も読めないらしかった。始め其声が耳に入ったときは又此処でもキヤリを遣ってゐるなと思った。ある家は五六組の柔術使ひが汗を流してゐた。」
107年前の東京の夏の夜は、虫の声、ひとの声、謡、木遣り、柔術、尺八の音、そして多分都電や汽車の音も。このくだりを最初に読んだときの「謡や木遣りは日常的にうたわれていたのだなあ~~~」というしみじみとした感動と、すがすがしさが忘れられません。
この約30年後に映画祭、つまり映画の芸術性、実験性を守っていこうという人々の集う場所がヨーロッパで生まれはじめ、そしていま、17日からは第70回のカンヌ映画祭が開幕です。
カンヌは、基本的に業界人のための映画祭ですが、思い立ってふらりと出かけることも可能です。航空券は取りやすいのです。ただし、宿泊が問題。便利なホテルはとれないし、とれても会期中全日程滞在必須で物凄く高価になっておりますのでお勧めしません。
でも、こんな体験記を見つけましたよ。