駆け足で、九州、関西、ソウル体験を記してみます

あらま!どしどし旅のレポートをする心積りが、すでに帰国から5日経過・・・
慌てて、九州から記憶を甦らせてみます。

初めてGWに実施した「PFFin福岡」。休日のイベント開催はいいなあと実感です。
遠方から駆けつけてくださったお客様もいらした様子(上映作品の関係者ではないかと推定・・・)だったのですが、お話できず、気楽な雰囲気をつくれていなかったかなあと反省しました。
例年より活気のある会場に、来年もGWの福岡開催が決定しそうです。
嶺監監督と廣原監督が東京から来場され、廣原監督は憧れの青山真治監督が観に来てくださり大感激していました。

福岡での会場「福岡市総合図書館 シネラ」は、いささか博多駅や天神から距離があるのですが、日本でも指折りの装備の整った稀有な場所ですから、上映のクオリティーに自信があります。
来年のGWには、是非九州の旅+PFFを計画して欲しいなあと思うのでした。
福岡からなら、佐賀、長崎、鹿児島、熊本、あっというまの距離ですので、九州旅の拠点としてもばっちりです!

そして、同時期に開催されていた「北九州映画祭」も訪問しました。
『任侠外伝 玄界灘』上映に惹かれて出掛けたのですが、つい、続けて『斬り込み』と『一条さゆり 濡れた欲情』もみてしまいました。
北九州の古い映画館「小倉昭和館」を会場に、地元出身の監督たちに彩られた濃い映画祭です。もしかしたら、湯布院映画祭に似ている?・・・と言っても、私は湯布院映画祭未体験ですので、人からの又聞きですが。

『任侠外伝 玄界灘』の壮絶なラストシーンに「誰か止めて~~~」と心で祈りました。命がけの撮影です。
まだご健在と聞いた安藤昇さんが劇中で詩を呟く、その素晴らしさも忘れ難く、唐十郎さん唯一の映画監督作品として、情念の込め方、尋常ではありません。
プリント状態はかなり劣化しておりましたが、ここでしか観ることの出来ない作品でした。

『斬り込み』は始まってから、吉川潮さん原作の映画化であることに気付き、これまたみたかった作品でした。菅原文太さんが現在ほぼ引退状況なのが残念でなりません。
勿論、『一条さゆり 濡れた欲情』はいつみても大傑作。ちなみに、神代辰巳監督は佐賀出身です。

そして九州から、神戸アートビレッジセンターで開催の「第2回爆音映画祭in関西」へと移動です。今年も東京会場に行くのは難しそうでしたので、神戸と京都で体験です。

かつてとんでもない衝撃を受けた『汚れた血』を再見するのが一番のドキドキだった今回のラインナップ。結論としては、「今観ると更に更によかった!」
こんな複雑な撮影を可能にしている当時の技術と予算の大きさをしみじみと感じたのは、自分が映画の仕事をするようになったからでしょうか。
これ、大作ですよ。今みると。

未見作品では、『湖畔の2年間』と『ブルース・ピックフォード作品集』がとんでもなかった。是非みてほしい・・・と書きながら、すいません。東京の爆音終了してましたので別のチャンスに是非是非!
そして、みるたびに新たな発見と感動の『ディア・ハンター』。
モブシーン右に出るものなしのマイケル・チミノ!としみじみしたと同時に、クリストファー・ウォーケンしか記憶に残らなかった初体験から、今回は、ロバート・デニーロの凄さを心から認識するまでに成長した我が身。遅いですかね。これからもチャンスの度に観る予感がしますが、爆音上映でこれまで気づかなかった何かが刺激されるのを感じます。

会場のギャラリースペースでは、GOMAさんの画も飾られ、『フラッシュバックメモリーズ』も2D上映ながら大変盛り上がりました。この作品で、松江監督やスタッフの技術の高さに感動したのですが、半月後、フランクフルトのNIPPON CONNECTIONで一緒にお仕事することを、このときはすっかり忘れていました。
余談ですが、後日、松江監督から、立川での上映が自分の立ち会ったなかでは史上最高の音と画だったと聞き、俄かに立川への興味が高まるのでした。

2週間おいて、大雨続きの韓国のソウル国際女性映画祭へと飛びます。初めての参加です。
発起人の中心は大学教授を中心とした女性学を専攻する知識人たちと女性監督たち。プログラマーは、映画専攻の女性たち。という、日本ではなかなか起こらない動きから生まれた映画祭です。

釜山国際映画祭も、そういえば、釜山大学の映画研究会の先輩後輩で構成され、大学で教えてもいましたし、他の韓国の映画祭も、映画研究者からのルートが主流です。いえ、既に、そのルートが確立されている感もあります。
いろんな映画祭の成り立ちがあるなあと、近年感じることが多々あり、もう少し系統立てて整理してみたいものです。

ここには明治学院大学の斎藤綾子先生が毎年通っておられるそうで、めったにない機会にお話させていただいたのですが、日本では女性学が映画と繋がっていないことを少しだけ伺いました。
日本のアカデミックと映画祭と映画産業の分離は、それはそれでアナーキーで面白いのですが、これはつまり映画のポジションのバラバラさを表しているのか、女性映画祭に特化しては、根本的なところで、社会に於ける女性の意識が違うのか、これまた考えてみたい課題満載の刺激的な滞在でした。

今回10年ぶりのソウルへの旅に、私をパネル・ディスカッションのパネラーとして招聘してくださったプログラマーのMiyojo hwangさん(うまく発音できないのでカタカナで書けずすいません)は、非常に情熱的な人で好きな監督の作品を見るためなら、インタビューする為なら、どこにでも飛んでいくようです。
近々では、映画祭が終わったら、すぐ大阪に『リアル』の封切りをみにいくと物凄く楽しみにしていました。

彼女の親友で、映画祭の通訳をしてくれたユミさんの日本語力が素晴らしく、昨年の釜山に続き、韓国の映画祭の日本語通訳レベルのアップに感心です。
彼女は、なんと、大島渚監督への憧れが嵩じて京都大学の院に進んだそうで、大島監督が住んでいたと聞いた学生寮でネズミや虫に大いに悩まされる学生生活を送ったとか・・・(結局それはガセネタで、大島監督は住んだことがなかったそうですが・・)
今は、シンガポールで引き続き学んでおられ、英語もばっちりです。

そんなふたりの情熱に、「私は純粋に、熱く、誰かを追いかけたことがあるだろうか・・」と我が身を振り返ったソウル滞在。
更にソウルでは、つい東京の仕事を部屋で続けたり、上手なマッサージ屋さん情報を聞きつい出かけたり「毎日朝から晩まで劇場で映画三昧」になっていなかったことも、深く深く反省しました。

そして今年の開催は、韓国最大の企業であるサムソンの労働状況を撮影したドキュメンタリー(たくさん生まれているようです)を1本上映する、と決定したこの映画祭から、映画祭最大のスポンサーであるサムソンが手を引く、という直前の大きな経済的打撃があったそうですが、映画祭の存在を世界に広めるべく、各国の女性映画祭ディレクターを招待したり、映画祭会期を、学生が来場しやすい試験後の6月に移動したり、さまざまな試みをやっていました。

韓国では「国際映画祭」という名称を許可され、予算を貰う為には、100本以上の上映作品を持ち、半数以上が外国作品で、海外からの招聘ゲストの数の規定もあるとか。あまり細かくヒアリングしていなかったので曖昧ですが~
ですので、どんな状況でもやることはやらなくてはならず、予算によって内容を変えるのが難しいという現実もあるようです。
・・・という曖昧なことを無責任に言ってるのもいけませんので、今度きちんとレポートしたいと思います。

日本からは、昨年のPFFアワード2012入選の山戸結希監督が、コンペティションに『HerRes~出会いをめぐる三分間の試問3本立て』招待作品に『あの娘海辺で踊ってる』と2作品が招待されて参加。フランスの監督が大層山戸ファンになっていました。
他に、西川美和監督が、Japan Foundationの援助で招待が実現し、皆さん感激していました。
2監督とは、その後、NIPPON CONNECTIONでもお会いすることになります。

ひゃ~!写真もなく(撮るのも撮られるのも習慣がなくてスイマセン)こんな長い文章になって、読む人いなさそうですので、ここまでに致しまして、次は記憶のあるうちに、先週訪れたNIPPON CONNECTIONを綴ってみます。

NIPPON CONNECTIONには、審査員として参加しましたので、勿論朝から晩まで映画三昧で、一年間で一番気候のいい、素晴らしい6月のヨーロッパを体験できずちょっと悲しかっった。ソウルのように雨ならよかったな~とか、罰当たりなことを思ったのでした。
そこでは、山のような日本研究者が集合し、さながらヨーロッパの日本語堪能映画大好きな人のメッカと化しておりました。面白いバックグラウンドを持つ人も多く、10年ぶりのソウルに続き、これまた10年ぶりのNIPPON CONNECTION。驚き満載でした。