日本映画の衰退をうつす海外映画祭で大島渚監督のことを考える

かつては、JALとKLMの直行便からどちらかを選んで行っていたロッテルダム。
アムステルダムのスキポール空港からは、列車で約30分で到着する便利なロッテルダムですので、航路も乗継なしでダイレクトに素早く、と思って直行便を選びます。*欧州便で乗り継ぎがあると、荷物の紛失が多いこともひとつの理由ですが・・・
しかし、JALの再生に伴う国際路線見直しで、自分の乗っていた航路、ロッテルダムとバンクーバーに影響が出ました。寂しい限りです。

そんなわけで、これまで数えるほどしか乗ることのなかったKLMでのロッテルダム参加に変えましたら、予約から搭乗までインターネット大活用でほぼ人間対応がなく、驚くことの連続。ロッテルダム映画祭のシステムもあわせて、「超インターネットシステム導入国オランダ」の印象を強くしています。(いや、ドイツと日本がとても遅れている、という説もありますが・・・)
そのKLMで、昨年、今年と、二年連続で機内で倒れた方に遭遇しました。どちらも、成田からの便でした。
昨年は、私の席の真横を歩いていた日本人の中年男性が、突然血の気を失いばたっ!と倒れ、斜め前に座ってらしたアメリカ人の世界一周中(会話から推定)初老のカップルの奥様のほうが「医者だ」と立ち上がり介抱して、数時間後には完全回復しことなきを得ました。今年は、私からみえない席のご婦人が、オランダ到着数時間前に倒れ、機内放送で医療従事者を探していました。到着するとすぐ救急隊員が到着し、病院に運ばれたのですが、二年連続の遭遇と、「あー、ほんとうに機内アナウンスって、こんな感じなんだなあ~」という感慨に、色々考えてしまいました。

ロッテルダム出発直前に執り行われました大島渚監督のご葬儀。
大島監督は、70年代、80年代と長くPFFの審査員(かつては、賞形式のコンペティションではなく、審査員のベストを推薦するシステムでした)はじめ、多くのことに関わってくださり、丁度私がPFFディレクターに就任した1992年には、PFF15周年を記念して、PFFを始めたエグゼクティブプロデューサーらの願いもあり、久々に最終審査員を務めてくださると同時に、PFFの顧問にもなってくださいました。
しかし、まだこの仕事に就いたばかりの私にとって、大島監督は彼方遠くの大巨匠。伝説の存在。もう、アワアワするばかりで、まともに顔もみられない状態で、ほんとうに困ってしまいました。
当時はまだ8ミリフィルムが主流の時代で、審査員は会場でみてくださったのですが、92年の招待作品部門に集まった、世界各国からの監督たちが、大島監督をみつけると、狂喜乱舞して紹介を乞い、ものすごく緊張して話かける姿をみて「私は話すの無理な気がする」と情けなく思ったことを思い出します。なんといっても、まだ、大島作品を気軽にレンタルできる時代ではなく、未見の作品も多かった・・・
この時以来「監督と会うときにアワアワしてる状態にならないよう完璧に準備せよ」という密かな誓いが私の中に生まれたのでした。

その大島監督も、海外渡航で倒れられたことに、その無念と孤独を改めて想いました。
若松孝二監督は、以来、機内で酒を飲まないと決めたとおっしゃっておられましたが、長距離の移動が気軽にできる時代だからこそ、つい忘れている体への負担です。
実は私の母は事故で脳を損傷し、父が中心となって10年の介護を体験しました。介護されるほうもするほうも、どんなにか悔しくかなしい時間が多かったであろうかと、葬儀の席でおもいました。
最初に大島監督にお目にかかってから20年という歳月が過ぎ、その間に作品も全て拝見することが出来、小さいけれども2009年にPFFで特集企画をつくることができました。
今、改めて、映画を志す人たちは、少なくとも、大島渚とジャン・リュック・ゴダールは全作品みておかねばと言いたいなと、葬儀の席で考えていました。
映画について、多方面から考えてみる、その先達として揺るがない作品群です。
全部みてから、自分の映画を考えると、多分、きっとよく自分の道が見えるのでははと思われます。

海外では、いち早くサンセバスチャン映画祭で大島監督の追悼上映が決定し、他の映画祭も企画が進んでいる様子です。
ロッテルダムでは、トニー・レインズさんが急きょ、欧州の人はみたことのない松竹時代の予告編や、『映画監督ってなんだ』の大島監督、そしてご葬儀の写真などを使って、追悼のレクチャーを行いました。

ところで昨夜、吉田光希監督から香川の「さぬき映画祭」のお知らせをいただきました。
「若手自主映画サミット」が行われるということで、吉田監督も参加です。
中島貞夫監督特集があったり、未公開作品の先行上映があったり、本広克行監督がディレクターとなって展開する本年のラインナップはとても豪華。密かに、「行こうかな。。。」と心で呟いている私です。
映画監督がディレクターを務める映画祭として、奈良の奈良国際映画祭があります。奈良と言えば、河瀬直美監督ですね。
ここでは、奈良映画祭の企画である、河瀬監督がプロデュースする海外の新人監督作品最新作『祈[inori]』が上映されていました。満席だったり、他と重なってみることが出来ずに帰国するのですが、日本では公開の予定だそうです。
製作の条件として「奈良を舞台にした映画」でなくてはならず、これは、「奈良」という街を外国人の眼を通して世界に紹介する、とてもいい手法だなと、感心しました。
すくなくとも、日本に興味のない人にも、その監督が同国人であれば、興味を持たせるきっかけになる。
日本映画=アジア映画と言い換えてもいいかもしれません=への興味が薄れつつある海外の映画祭状況で、この方法は新しい扉を開くかもと感じました。

アジア映画にかわって、欧米の映画のパワーがアップしています。
また、インドも何か起きそうです。
でも、私たちは、やはり日本のつくり手に、パワーある映画を生んでほしい。
そう思いつつ、一旦帰国して、またベルリンで世界状況を知ってきます。