初夏からのメイル整理をしながら10月を振り返る

メイル整理をしていると、仕事とは、「企画と段取りとお願いと経過連絡と確認と決断と後始末とお礼」で成り立っているなあ・・・としみじみします。
どれが抜けても、うまくいかない、手間暇かかることの絶え間ない繰り返しで、そのうちだんだん「隠居」という言葉が輝いてみえてくるわけですが、「素敵な隠居道」がなかなかみえないのが、現代のかなしさなのかもしれません。
隠居のお手本、いないのが残念。

それはともかく、釜山体験の続きです。
釜山の魅力のひとつは、上映作品の豊かさであり、国際映画祭らしい集う人々の多彩さと多量さであり、その人々と会うことの容易な(パラダイスホテルかノボテルホテルで開催されるものが多いので)パーティーの多さであり、その活気と、そして、釜山の気候の快適さです。
&個人的には、街の気軽なごはんのおいしさも・・・

5年ぶりの釜山国際映画祭は、風格が増してきておりまして、以前に比べると連絡網や仕事の責任分担がスムースになって、ずいぶん楽に過ごせるように感じます。
街では、日本語が聞かれなくなり、表示もハングルがメインになっているので「言葉勉強しなくちゃ!」感が高まるのですが、映画祭は、英語が更に通じる場所になり、インターナショナルな映画祭感が高まります。

ちなみに、PFFは「インターナショナル映画祭ではない」ということで、言語に関する悩みのほうはあまり生じないのですが、パーティーというか、交流については、常に考えます。
PFFで「パーティー」といえば、表彰式後の懇親会です。が、小さい映画祭で、会場がひとつですから、「人が集う場所」としてのパーティーはそれ以外に必然ではありません=会場で会えるから。
しかし、コンペティションの監督たちが、映画祭会場で初対面にならないためにはどうすればいいか?と考え、開催前のオリエンテーションと交流会を行っています。それも、PFFに於ける「パーティー」と言っていいでしょう。
あとは、他の映画祭に作品を紹介することで、参加チャンスを得た監督に、いわゆる「国際映画祭のパーティー」を知ってもらえればと考えています。
正直、国際映画祭の参加者には、パーティーしか回らないというタイプの人もいて、私も昔は驚きました。「映画祭の良し悪しの判断基準はパーティーなの?」と。
人それぞれです。

さて、大きな国際映画祭では、プレスやプログラマーなど、ID登録している人たちに、そのIDナンバーでアクセスして、インターネットで作品をみることができるサービスが急激に増えています。私たちも、出品作品の登録者限定視聴への同意書にサインしています。
ID登録者は、映画祭で見逃した作品も、一定期間追いかけてみることができます。つまり、やろうと思えば、釜山の今年のラインナップの大半を、現地で滞在中のホテルの部屋や、帰国してから、自分の部屋でみ続けることが可能になるわけです。

また、大きな映画祭は、ID登録者が利用できるヴィデオライブラリーを持っています。学校の教室のように、ずらりと並んだ机にヘッドフォーンとモニターが置かれ、各人が予約した作品をみます。(そのために、出品者は必ずプレヴューを一枚提出しています)。映画祭上映のチケットが取れないケースはままありますので、みたい作品を必ずみるための手段です。
最初から、スクリーン上映では一切みずに、滞在中ず~と、ヴィデオライブラリーでみているプログラマーも珍しくなく、「そのほうが効率的でしょ」と言われます。
「効率」
使い方の難しい言葉です。

なんだか、映画祭という場所は、何のための場所なのか、参加者の意識によって、極めてバラバラになってきてるなあ・・・と、今回、しみじみ感じました。
ふと思いだす第一回の釜山国際映画祭のような「一体感」が生まれるのが、だんだん難しくなってるなあ・・・と
そんなことを感じながら、ラブホテル(前回のブログで説明したmotelです)の部屋で仕事の合間に、ずっと気になっていた「家族の勝手でしょ!」を乏しい光で読みました。
アトランダムに選ばれた家族に、一週間の食事を使い捨てカメラで記録してもらい、日本の食生活を記録し続けているシリーズで、以前から一冊は読んでおきたいと思っていましたら、成田の書店で最新刊のこれに遭遇しました。

いや~~~~~驚きました。
「人それぞれ」が、強烈に迫る!
「"自分が一番大事"な人の寄り集まりが"家族"なのか・・・」と既成概念を打ち破られ、世界感変わりそうな本でした。
「"自分が一番大事"ねえ・・・」と、考えながら映画祭会場に行く釜山の朝は続く。一気読みできる時間も光量もないからちびちび読むのです。

自分が大事、というより、家族間で誰が得していて誰が損してるかと常にカウントしながら生きてる感じを受けたのです。
家でそうなら、もちろん外でも?
それじゃあ、疲れますよね、単純に。

そんなときに、『ドキュメンタリー 百万回生きたねこ』を観ました。作家、佐野洋子さんをめぐるドキュメンタリーです。
心からほっとしました。
この作品では、生前の佐野洋子さんと交流のあった、日本を代表する男前な女優のひとり、渡辺真起子さんが重要なパートを担っておられます。
渡辺さんは、このドキュメンタリーと、フィクション『おだやかな日常』と、2つの出演作品のために釜山にお越しで、舞台挨拶などやはり見事に男前で、ほれぼれしました。

『おだやかな日常』今月末から始まる東京フィルメックスで上映されますね。(本日、既にホン・サンスとキム・ギドクは売り切れでした!すごい~)
東京フィルメックスの市山さんとも、久しぶりに釜山で会いました。現在公開中の『フタバから遠く離れて』の船橋淳監督もご一緒だったのですが、市山さんにとっての初めて恋愛映画プロデュースで、『無能の人』以来の日本での撮影作品とおっしゃる、船橋さんの最新作品『桜並木の満開の下に』。釜山ワールドプレミアを拝見していないので、こういうとき、とっても話がしにくいのですが、船橋さんの旧作『echoes』につながる、みずみずしい恋愛映画かなあ、と勝手に想像しています。

そういえば、双葉町の井戸川町長が、先日ジュネーブで福島の現状、政府の無策を訴えたというニュース、あまり報道されていませんね。2月のベルリンでの『フタバから遠く離れて』の上映では、上映に立ち会うことのできない井戸川町長からのメッセージビデオが冒頭に流されました。
海外に声を届ける活動をなさっている人の、国内での報道がない国日本だと感じています。あら?国内の声も、あまり報道されていないかな・・・・報道そのものが、非常に少ない国に住んでいるなあと、実感します。たまに「海外で"アピールしなくてはならない"映画祭という場所」に行くことが、ちょっとした自国の発見につながるのかなと、今思いました。

一番話題になっていた日本の監督は(いえ、近年の世界の映画祭で、と言い換えてもいいかもしれませんが)園子温監督と、若松孝二監督です。
多くの人に強烈な印象を残して帰国なさっていました。
 
その若松監督の訃報を聞いたのが、帰国後間もなくです。
2004年の最終審査員をお願いしたご縁で、海外からのメッセージのアップと(こちらは近日日本語にして、若松プロダクションのオフィシャルサイトに転載をという計画です)、ご葬儀のお手伝いをさせていただきました。
お通夜、告別式とも青山斎場で行われました。雨のお通夜から一転、天候のよくなった告別式は、ぼんやり斎場の緑と空をみてしまう時間も多く、いまだに実感のつかめない、信じられない感覚です。

『旅芸人の記録』の闘士オレステスが、静かな拍手のなかで埋葬される、"拍手の別れ"とでもいったシーンに、ものすごく感動された若松監督は、常々そんな最後を望んでおられたということで、皆で拍手でお車をお送りしました。
斎場の高い空に昇っていく拍手と、そよぐ木々が今も甦ります。

数々の修羅場を超えて、真の自主監督として走り続けてきた若松監督。
映画で生きていくために、あらゆる実践体験が可能だった時代を生きた監督だった、と思うと同時に、現在、これだけ学校教育で映画が扱われ、映画祭が溢れ、劇場公開も視野に入れる覚悟を迫られる状況は、映画監督というキャリアの想定も、全くかつてと違うものになったなと、そのことをずっと考えています。

既存の想定ではもう通用しない「映画」や「映画監督」
まるで、日本の縮図でしょうか?
あらゆることが、これまでの価値観では語れないのに、そのままで押し切ろうとしていびつさが増している。

そういえば、10年くらい前には、まだ「なぜ学生映画という呼称を使わないのだ」と、海外で指摘され、「映画は志。学生も社会人も所属するものは関係ない」というような会話をしていたことを思い出しました。
今、そんな会話はない。
このことが気になり始めています。
同時に、来年は35回となるPFFが、これからどんな映画を紹介していくのか、いよいよターニングポイントを迎えた何かを感じています。
その何か、とは何なのか、早急に掴みたいと思っています。

長いのに曖昧な終わり方でけしからんですね。
11月は思索の月にできるといいなあと夢想中です。