明日はカンヌのラインナップ発表ですね
世界で一番有名な映画祭。それはカンヌ国際映画祭です。
映画関係者の一番行ってみたい映画祭。それもカンヌと言っていいかもしれません。
気候はいい、食事は美味しい(ついこれが先に来る・・・)、リゾート感も抜群、勿論映写状態はいい、観客の感能力が高い、映画多すぎて嬉しい悲鳴、有名監督&スターとの遭遇率も高く、散歩するだけで楽しいし、なんだか全体的な高揚感、お祭り感は類がない。そこにいると、不思議と映画の仕事していることを誇りに思う効果がある。そんなカンヌ。滞在経費は他の映画祭より格段にかかりますからお財布が心配ですけど・・・・
と言いながら私は、もう随分とカンヌに出かけておりません。
しかし、エイプリル・フールのカンヌの「漏れたラインナップ」という嘘は、結構世界を駆け巡ったようです。
http://spooool.com/2012/04/cannes-film-festival-in-competition-line-up-leaked-and-translated-into-english/
それに対して、アーティスティック・ディレクターのティエリー・フレモーが怒っている(当たり前ですが)
http://www.deadline.com/2012/04/exclusive-thierry-fremaux-says-no-leak-at-cannes-film-festival-its-all-lies/
こんな騒ぎが起きるのも、カンヌならではだな~と感心しています。
私も、先日、カンヌの某セクションのプログラマーの一人から(どのセクションも、沢山いるんです。プログラマー)、選ばれた日本映画について耳打ちされましたが、口外しないのが映画祭運営者の常識です。
それにしても、一番小さい「監督週間」でも、PFFの10倍か?という予算でありながら半分以下の映画本数の上映。コンペなどの本体でしたら、多分100倍くらいの予算でしょう。う~すごい~。以前、「スポンサー探しに苦労したことがない」と言われたことがあり、腰が抜けそうになりました。
・・・・・あ、いかん。なんだか僻みっぽくなってきました・・・・
そうなんです。経済的苦労の連続なんです、映画祭運営は。全ての映画祭が同じ悩みを抱える昨今。景気のよい話は、カンヌ、釜山、トライベッカ、ハワイなどで、たまに聞くくらいです。あ、ドバイも。
・・・・なんだか話題がしょぼくなってきましたのでやめます。
大人になっても夢と希望と理想と信念と想像と創作について臆面もなく語る場所が「映画祭」ですので、そこでは、映画や映画監督が、その夢や希望やもろもろの畏敬の対象になります。「人間は素晴らしいものを生むことができる」という前提に立った場所、それが「映画祭」ともいえます。言い換えれば、「人はよきものになっていく」ということを恥ずかしげもなく確認する場所と申しましょうか。う~ん、書いてるとアブナイ感じがしますね・・・
一方、「映画祭」基準で暮らすと、世の中が不思議なものに見えてくるという傾向と申しますか、弊害と申しますか、は、あります。
私自身も、昨今の国内の出来事を目に、耳にすると「狂った世界」としか思えず、困っています。
戦後民主主義教育の成果はなかった・・・・と申しましょうか、世界でも有数の独裁国家に生きているという感を強くすると申しましょうか、江戸時代のまま変化がないことを痛感すると申しましょうか、2012年であることが信じられないと申しましょうか。
国の運営という仕事に携わる人たちの「(実は)何をしていいかわかりません」感、「責任は私にはありません」感、「嘘をつくこと、プロパガンダをすることが仕事です(えっへん)」感、つまるところ「誰か指示してください(強い人についていきたい)」でも「私たちは選ばれた人間で権力行使します(黙って言うことを聞け。いじめるぞ)」感。結局は「自分で考えて仕事したことがないのでよくわからない(所属するものがないと何もできない)」感。
という、混乱した子供な感じ。あ、職場の身近にもいませんか?そんなオソロシイ人。つまり、自分のことしかみてない人。
しかし、想定「将軍」も瓦解し始めている、幕末みたいな21世紀に、まだ「20世紀再び」と視野狭窄になってるというか、自暴自棄になってる為政者と共倒れ、と申しましょうか、その犠牲になるというかは、嫌だなあ・・・・
現実をみたくないなら、せめて現在を活写する映画をみてほしい!と声を大にしたい次第です。
私が多分小学校低学年のとき、年賀状に紛れこんだ、他家宛のあまりにも稚拙な葉書を笑ったところ、明治の末生まれの祖母に「この人は多分、文盲で、これだけ書くのも精一杯だったのだ。昔は読み書きできない人が沢山いたのだ。戦争が終わって、誰でも教育を受けられる、選挙に参加できる、好きな職業につける、病気になっても怖くない、乞食のいない、民主主義の社会になったのは、素晴らしいことなのだ」といったことを、ゆっくりと諭されたときの記憶が甦って驚いています。
「素晴らしい社会」
現在の目指すべき素晴らしい社会とは何なのか。
少なくとも、病人が出ると、親が子を、子が親を殺すという選択に追い込まれる社会、自殺が普通になる社会、老後の心配で頭がいっぱいなり貯金にはげみ、それを狙って詐欺が横行する社会、大人も子供もいじめが大好き、な社会、ではないことは確かではないかと思う次第です。
あれ?何故カンヌの話がこんなところに来たのでしょうか・・・・
映画に限らず、あらゆるエンターテインメント、あらゆる芸、クリエイティブ、表現、芸術、と呼ばれるもの、そしてスポーツや武道などの力が重要だとする仕事に長く従事してきました。同時に、その力によるコミュニケーションを信じています。
これは、川喜多記念映画文化財団のHPにのった最新の映画祭レポートです。
http://www.kawakita-film.or.jp/kokusai_3_2012_dauville.html
日本の様々な表現者が、世界で愛され、評されることが、日々積み重なっていることの一例を、もっと多くの人に知ってもらいたいなあと思ってリンクしました。
う~ん、なんだか、ナショナリストみたいに聞こえますね。
しかし、自分の暮らす場所が、愛と平和と敬意に満ちた場所であってほしいというのは、人類の希求でありましょう。
あら!今度は宗教者みたいになってしまいましたね~
困ったね。
何はともあれ、ちょと長すぎる本日のブログでした。
あ、被災地復興の宝くじの売り上げが1000億円を超えたのに、現地へは100億円ちょっとしか届かないという嘘か本当かわからない記事がありました(あり得るぞ!と思っていますが)。宝くじも集金マシーンのひとつですが、少なくとも購入するときは「夢」を買うマシーン。その夢への投資を、文化芸術芸能にまわす宝くじ発売は、実は私の願いのひとつです。思い出したので書いてみました。その使用におかしなことをなくするのが優先ですけど。
さて、カンヌ発表から数日遅れて、PFFの名古屋と福岡のプログラムを発表する計画です。
名古屋開催は、東京から近いということもあり、多数の監督が参加くださる予定です。是非、今必見の映画を、今ごらんください。
引き続き福岡会場へ移動する私たち。新幹線に乗る計画です。
映画評論家の相田冬二さんによると、現場に参加された『僕達急行A列車で行こう』の撮影に、劇中と同じく、マツケンはほんとに東京から博多まで新幹線で移動したそうです。九州では、あの映画に描かれた、黄色い一両だけの電車に乗って、あの無人駅に降りたいものです。そして、次の列車までの一時間、ぼーと読書。う~ん、7月だと、かなり暑そうですけどね。