やりきれない訃報の多い12月

森田芳光監督のご逝去について、整理がうまくできません。ごく身近な方にとっても、全く予期せぬ出来事だったと聞き、一層考えてしまいます。
かなしいことですが、多くの尊敬する、憧れの、お仕事をお願いしたことのある映画監督の訃報を聞いてきました。が、森田監督の場合、「自主映画の歴史上の人物がこんなに早くいなくなるわけがない・・・」という気持ちがぬぐえないのです。
「審査員という依頼は絶対に受けないことにしているけど、ほかのことだったら何でも言ってよ」とおっしゃって、かつて入選したPFFのことを気にしてくださっていました。最新作、『僕達急行 A列車で行こう』は、私が個人的に森田監督の得意技であると考える、おたくを描くことで、すごい傑作になってるのではないかと、公開を心待ちにしていた作品でした。森田監督が初めて8ミリカメラを手にしたころ「とにかく何か撮る!」と都内を様々な電車が走る姿を追いかけ、繋いだ『水蒸気急行』という、人の出ない映画をつくられています。「映画って、リズムなんだな~」と思わされる作品です。2006年、マクセルの協力で、自主映画界伝説の『ライブ・イン・茅ケ崎』と一緒に、この『水蒸気急行』を8mmフィルムからデジタル化して上映する特別プログラムをPFFで設け、上映後、監督に当時のお話などを伺いました。変わらず走っている方、という印象でした。
商業映画デヴュー作品『の・ようなもの』は、個人的に、まさに「落語家」がそこに生きている傑作だと思っています。「落語を映画化する」ということでは、現在、日活100周年記念として、デジタルリマスター版が公開中の『幕末太陽伝』の右に出るものはないかと思いますが、「落語家生活を映画化する」という点において、『の・ようなもの』は、他の追随を許さないのではなかろうか、と。独自の世界を持っている人たち、自分の好きで好きでたまらないもののある人たち、を映画にするときの森田作品を心待ちにしている私でした。偏ってますね・・・すいません。
ご自身のプロデューサーとしての活躍、そして、一緒に事務所を運営する和子夫人のプロデューサーとしての卓越した貢献、など、次代に伝えていただきたいことも沢山ある森田監督の突然の訃報は、70年代から大きく変化を始めた自主映画の歴史が、21世紀の現在、すでに充分に長い、ということを改めて私に突きつけるのでした。