ベルリン・香港来日中

ベルリン国際映画祭のフォーラム部門ディレクター、クリストフ・テルへヒト氏は先月来日しましたが、今月は、パノラマ部門のディレクター、ウィーランド・シュペック氏がコンペ部門や他のセクションの候補作品ピックアップも兼ね来日です。近年、韓国、日本、台湾、中国と、アジアプログラミングの旅に同行する香港国際映画祭のプログラマー、ジェイコブ・ウォン氏も同時に作品を選びます。
PFFはベルリン国際映画祭ではフォーラム部門との縁が深く、パノラマ部門やジェネレーション部門への出品は数度しかありませんが、現在、ベルリン国際映画祭で最も長くディレクター職に就いていることになるこのパノラマ部門のウィーランド氏とは、最も長いおつきあい、と言えるかもしれません。
映画監督への道を探して、俳優としてスタートし、ミュージシャンでもあったといウィーランド氏は、自身が運営するパノラマ部門の「テディアワード」に象徴されるように、セクシャルマイノリティーの映画紹介にも力を入れています。ご本人もゲイで、パートナーと落ち着いた暮らしをしておられます。と書いていたら、10年ほど前まで、映画祭運営に携わる人には、セクシャルマイノリティーな人々が今よりずっと多かったなと、思い出しました。
ディレクターも、プログラマーも、映画祭スタッフも、配給や宣伝の方も、評論家も、マジョリティーがセクシャルマイノリティーで、マイノリティーが、ヘテロという感じですらあったような・・・ちょっとオーバーかなあ・・・いや、ほんとにそんな感じだったのですが、昨今、逆転している気がします。近年、さまざまな職業に就くチャンスが拡がっているのだと理解していますが、どうなのでしょうか。
と、そんなことを考えたのは、本年のPFFアワード入選作品『僕らの未来』の上映が、21日に精神科医の針間さんをお迎えして監督の飯塚さんとの対談つきでアップリンクファクトリーで行われると聞いたからです。
かつて、飯塚さん自身が「性同一性障害」の専門家である針間先生のカウンセリングを受けておられたということですが、今回は、針間先生から飯塚さんが作品の感想を聞く初めての時間になるかもしれないという話も企画者から伺いました。飯塚さんが映画監督としてこれからどんな作品をつくっていくのか、第一作である『僕らの未来』を目撃して、その先も多くの方が見続けてくれるきっかけになるといいなあと思っています。ひとりのつくり手の変化を見続ける人が増えること、が映画祭運営の喜びでもあり、つくり手自身の励みにもなるのではと思うのです。

話は戻りますが、ベルリンと香港のおふたりと話をしていて、劇的に増加したデジタル作品、減少した35ミリフィルム作品の話になりました。
本年は世界的に急速にデジタル化がすすみ、日本でも、待っていた約30本の候補作品中、1本しかフィルム作品がない、と。メジャー系劇場のデジタル化驀進中ですので、それに合わせて世界で一斉に起きていることなのですが、これは同時に、デジタル装備を導入できない(予算がない)アート系小劇場にとっての危機的状況にも繋がっているという話になりました。ドイツでは、既に切実な課題になっているそうです。
そして、話はどんどん飛んで行ったのですが、今、ヨーロッパでは「イタリアの若者と日本の若者が怒りを表明する日」が期待されていると。両国とも同じような経済的苦境に陥り、同じような歴史を持ち、どちらも若者がじっと黙っている。と。60年代&70年代の学生運動が激しかった日本とイタリア。どちらもその時期に公務員(機動隊とか警官とか公安とか)を大幅に雇用拡大し、昨今、その人たちの退職時期が重なりいわゆる"天下り"先創造のために、むちゃくちゃなことが展開されている。つまり「公務員最優先社会の肥大化に伴う未来ある若者への顧慮のなさ」が同じ状況だと。そういえば、イタリアと日本、うつ病患者の多さや、母親依存の高さも共通と言えないこともないか・・・など、思わずイタリアについて考えた、ドイツ・香港・日本の会話でした。
もうひとつ話が飛びますが、今回、311関係のドキュメンタリーが、少なくとも12作品完成しているということです。まだ制作中の作品もあるでしょうし、テレビ作品もあるでしょうから、きっと膨大な数生まれているのです。これらの作品を一挙上映というだけでも、1週間でも足りない企画になるのだあなあと、つい映画祭モードでカウントして驚いたのでした。