ポン・ジュノとジャジャンクーが・・・
うわ、前回からまた一ヶ月経ってしまいました・・・・
そしてもう映画祭の季節、秋。PFFも全国を旅しますが、
東京では、東京国際映画祭と、Tokyo Filmexのラインナップが発表されました。山形国際ドキュメンタリー映画祭の開催は今年はありませんが、近年の作品上映が行われています。行けないままに、ポルトガル映画祭は終わってしまいました。
そして、PFFからも作品を3本出品しているバンクーバー国際映画祭が始まります。今年も一足先にカタログが送られてきましたので読み始めましたら、コンペの審査員に、ジャジャンクーとポンジュノが!本年のPFFアワード入選作品から『世界グッドモーニング!!』と『白昼のイカロス』がコンペに選ばれたのですが、彼等に作品を観てもらえるのは、何と素晴らしいプレゼントでしょう!2007年以来バンクーバーには出かけていませんが、しみじみ懐かしくなりました。
また、アピチャッポンの短編プログラムが、「アピチャッポンと平林勇」と題して、本年のPFFで招待作品としてご紹介した平林勇監督とふたりの特集になっているのにも感動。
一方で、近年海外映画祭への参加がめっきり減っている自分を改めて痛感しました。それは、ラインナップにかつてなく未見の作品を多く感じたからです・・・・
少なくとも、年間6~8箇所の海外の映画祭への参加が普通だった日々は遠く、ふと気付くと本年はまだ3箇所のみ。更に、そのまま増えずに終わる予感がします。
特に、今年は釜山国際映画祭のディレクター、キム・ドンホ氏がいよいよその役を去る年。世界中から映画祭関係者が集まると予測しますが、その釜山に行く予定もありません。なんということでしょうか!我ながらびっくりです。
で、色々考えてみました。
多分、大きな原因は、その「居心地の悪さ」かなと思いました。
私自身の、他の映画祭への参加ポジションがいささか複雑になりがちなこともあり、海外の映画祭との付き合い方に困難を感じることがあります。
海外の映画祭に参加する際に、私の立場は、映画を観る場合は映画祭のディレクター&プログラマー、 作品を提供する際は映画プロデューサー、となります。というのも、PFFという映画祭を運営していると同時に、PFFアワード作品や、PFFスカラシップ作品を中心に、作品を映画祭に出品するという、他の映画祭にはない活動をしているからです。
また、PFFは、日本の自主映画がコンペティション応募の9割以上を占めるため(「3名以上が応募作品を最後まで必ず観る」という審査のプロセスを考えると、応募本数の多さを競うことは不可能なため、長く海外への積極的な公募を行っていないので当然なのですが)、日本語での上映をメインとし、英語字幕をつけることを国内上映では優先していません。
さて、世界の映画祭での交流とは、「作品を招く」「人を招く」という交渉が大きな割合を占めますが、PFFの場合、簡単に言えば、私が招かれて、それに対して招き返すということを設定するのが非常に困難です。PFFのコンペの審査員は、日本人優先。招待作品部門は、年によって企画を変え、明確に定期的な招待枠を設定していない。上映は日本語中心。海外のジャーナリストや映画祭関係者の招待枠はない・・・・と挙げていて、改めて、ありゃりゃ~と頭を抱えました。
おおざっぱに言えば、映画祭予算は優先的にPFFアワード作品とPFFスカラシップ作品の上映のために注ぎ、人的国際交流が優先されない現状では、「招かれたら招きかえす」という基本的な交流が、日に日に重荷になって足が遠のくというのがある、という現実を噛み締めました。
映画祭は映画関係者にとっての社交場。そしてもうひとつ、ビジネスや政治の世界と同じく、欧米人の価値観で構築された場。そこでの交流にエネルギーを使うことを、再度考えなくてはと考えながら、他にも色々考えなくてはならないことが多すぎて、考える時間をつくることにしました。
映画祭開催期間の変更は、PFFではこれまで1989年と1998年とに2度行ってきましたが、色々な環境の変化に伴う業務のスムース化をはかる為にも、2011年、第33回も、多少会期の変更を計画しています。発表は11月下旬を予定。あわせて「PFFアワード2011」の公募期間も締め切りが先になります。
さて、この一ヶ月は、PFF全国展開のプログラミング、チラシ製作、宣伝準備などに忙殺されていましたが、間もなく一段落します。HPもアップし、各地でチラシ配布も始まりました。来春の所沢でのイベント「世界が注目する日本映画たち」の企画始めました。来年は、3/18,19,20日の開催で、3/18(金)は初めての試み"前夜祭"として、異色の企画をすすめています。TSUTAYA企画10/25更新回始めました。映画専門大学院大学で、市山尚三さん、高橋洋さんとシンポジウムに参加しました。映画祭は"特別"な仕事ではなく、"普通"に仕事なのだと伝わるといいなと思いました。キネマ旬報のインタビューを受けました。変化し続けるキネマ旬報を感じました。こうして時々人と話すことで、自分の仕事が整理されることを痛感したふたつの体験でした。無料上映でカンパだけで成立するということに興味をひかれ「911映画祭」に参加してみました。911の朝トロント映画祭からの帰国ができなくなった体験があるからかもしれません。11の演劇や音楽や芸能の舞台を鑑賞しました。いくつかの舞台で"技術"は表現を高みに上げることを痛感しました。そして10月。京都のPFFです。Twitterやらなくちゃ駄目だよと言われてます・・・・