山下敦弘監督×深田晃司監督「映画の醍醐味は、ナチュラルと虚構のバランス」(Vol.3)

インタビュー

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PFFとの因縁? 奇縁? 御縁?

荒木D:山下監督には、PFFのオープニング作品『ギ・あいうえおス 他山の石を以って己の玉を磨くべし』の柴田監督からのラブコールで、上映後におふたりでトークに登壇です。

深田監督:それはすごいですね。柴田監督も大阪芸大出身ですよね。

山下監督:大学の同期なので、18歳のときから知っています。

深田監督:大阪芸大はクレイジーな人たちの集まりというイメージですが、なかでも柴田さんは極北ですよね。

山下監督:柴田は、学生時代から武勇伝が多いやつで、ほんとうに大変なことも多かったですよ。だから俺は途中から柴田との距離感を考えるようになりましたが(笑)、後輩たちはみんな目をキラキラさせて彼を見ていましたね。それにまたイライラさせられて、「武勇伝になってるけど、真似しないほうがいいよ」と言っていました。

深田監督:僕、柴田さんはほんとに好きですよ。けっこういるじゃないですか、本人はむちゃくちゃぶっとんでいて面白いのに、映画を撮ると常識的なものになってしまう人。これなら自撮りしてくれてたほうが面白いのにというタイプが多いなかで、あれだけ本人のクレイジーさと作品のクレイジーさが拮抗している人は珍しいと思います(笑)。

荒木D:そもそも、1999年に、山下監督の『どんてん生活』と柴田監督の『NN-891102』をPFFで招待上映したんです。二本立てで。

山下監督:ほんとはPFFに応募するつもりでしたが、大阪のほうで先に上映が決まってしまって、出せなかった。

深田監督:僕は、21歳か22歳のときにPFFに出して、落ちました。それ以来、ぴあ恐怖症です(笑)。大学2年のときに映画美学校に入りましたが、その修了制作に僕の企画は選ばれず、しょうがないから自分で撮った長編がぴあに落ちて、そのあとCO2に出した企画も落ちて、VIPOに出した企画も落ちて、だいたい落ちてますよ(笑)。

荒木D:素晴らしいお話ですね。あきらめなければ花が咲く。

深田監督:VIPOに落ちたとき、受かった4人より先に映画をつくって、こっちの企画のほうが面白いことを証明しようと意気込んで出来上がったのが、『歓待』なんです。

荒木D:そして、『淵に立つ』は、PFFのクロージング上映作品ですね。

深田監督:かつてPFFに落ちた人間が、そんな華々しいところに登場して、すみません(笑)。


橋口山下 Nobuhiro Yamashita

1976年、愛知県生まれ。大阪芸術大学の卒業制作『どんてん生活』(99年)で注目を浴び、『天然コケッコー』(07年)で報知映画賞最優秀監督賞を最年少受賞。そのほかの作品に『リンダ リンダ リンダ』(05年)、『マイ・バック・ページ』(11年)、『苦役列車』(12年)、『もらとりあむタマ子』(13年)、『味園ユニバース』(15年)などがあり、11月には『ぼくのおじさん』の公開も控えている。


晃司山下 Koji Fukada

1980年、東京都生まれ。長・短編3本を自主制作した後、2005年に平田オリザ主宰の劇団「青年団」に演出部として入団。『歓待』(11年)で東京国際映画祭日本映画「ある視点」作品賞などを受賞。『ほとりの朔子』(13年)でナント三大陸映画祭グランプリ&若い審査員賞をダブル受賞。平田オリザ原作の『さようなら』(15年)でマドリード国際映画祭ディアス・デ・シネ最優秀作品賞を受賞。