No.35:『くじらのまち』in 第63回ベルリン国際映画祭

海外レポート

日本国内のみならず、海外の映画祭でも上映される機会が多くなったPFFアワード入選作品&PFFスカラシップ作品。このページでは、そんないろいろな映画祭に招待された監督たちにも執筆していただいた体験記を掲載します。

PFFアワード2012 グランプリ&ジェムストーン賞受賞『くじらのまち』in第63回ベルリン国際映画祭(開催:2013年2月7日~17日)

映画祭会場近くのデパート。赤い映画祭マークの旗が垂れ下がってます。中央、帽子をかぶっているのが鶴岡監督。

ベルリンの街の紋章にも描かれる熊のオブジェが至るところに。鶴岡監督も思わず熊と同じポーズ!

『くじらのまち』ベルリンへ行く

文:『くじらのまち』監督 鶴岡慧子

2013年2月7日~17日まで、ベルリンで開催された第63回ベルリン国際映画祭のフォーラム部門に、『くじらのまち』をお招き頂きました。ベルリン映画祭への出品を知ったのは父からの「ベルリン行くの?」というメールで、始めは「そうなの?」というすっとぼけた反応しか出来なかったのですが、じわりじわりと、あぁ世界三大映画祭のひとつに行くんだ、という夢のようなことが実現へ動き出していることに興奮し始めました。しかし一方で、大学院の実習作品の撮影期間と映画祭期間がもろかぶりしている、という事実が浮上してきました。呑気な私は「どうにかなるだろう」と、撮影も映画祭も、と欲張りな選択をしたがために、後々たくさんの方々にご迷惑をおかけすることになりました。この場をお借りしてお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした…。

しかし、撮影の仲間達が「せっかくの機会なんだし行かない手はない」と、背中を押してくれたので、私はベルリンへ旅立つことができました。ベルリン行きの便は2月8日の夜に成田発でしたが、その日は撮影現場にスーツケースを持っていき、夕方まで撮影をし、撮影の後片付けを友人達に任せ、そのまま成田へ向かう、というめちゃくちゃなスケジュールでした。本当に、撮影仲間たちには感謝感謝です。ありがとう。

『くじらのまち』の上映があったシネコン。

今回の旅は、私の実姉がひょっこりついてきました。9日にベルリン到着後は、ホテルにてPFFの荒木さんと合流し、さっそく街へ繰り出し、ビールとソーセージを頂き(これが大変美味。さすが。)、フォーラム部門の事務局へ訪れ、手続きを済ませました。フォーラム事務局では、とてもフレンドリーな若いスタッフの方々や通訳でお世話になる梶村さんにお会いしました。何か困ったことや不明なことがあったらこの事務局へくれば良いということが分かり、下調べゼロで来てしまった私はとりあえず安心しました。その日は一般上映はなく、プレス用の上映を少し覗きましたが、たくさんの方が観に来てくださっていて嬉しかったです。

観客の方々とパチリ、の鶴岡監督。

翌日から一般上映が始まりました。『くじらのまち』の一般上映は全部で4回行われ、私は10日、11日、13日に行われた3回に立ち会いました。初回の10日の上映では舞台挨拶が行われ、荒木さんの勧めで、挨拶後に観客の皆さんと一緒に写真を撮りました。姉は写真をやっているので、姉に撮ってもらいましたが、司会者の方も会場を盛り上げてくれて、非常に思い出深い1枚が撮れました。上映後のティーチインでは、やはり「中盤から登場してくるニューハーフの人物にはどういった意図が」という質問が出ました。ヨーロッパの観客は、ジェンダー絡みの問題に敏感なので、こういったキャラクターを扱う意図を、明確に自分の中で持っておく必要があるな、と改めて思いました。

13日の、3回目の上映には、前日からベルリンへやって来た、キャストの飛田さん、山口さん、助監督の竹内さんにも参加してもらいました。飛田さんと山口さんには一緒に登壇してもらい、撮影の裏話など披露してもらいました。撮影当時はまさか一緒に海を渡るとは思っていなかったので、今思い返しても、感慨深いです。

左から助監督の竹内さん、キャストの飛田さん、山口さん、鶴岡監督、通訳の梶村さん。

3回の上映に立ち会って感じたのは、さすが世界のベルリン映画祭、本当に世界各国から映画を観に人々が集まっている、ということです。上映終了後は、必ず、別の国の映画祭関係者の方が近づいて来て感想を述べてくださいました。中でも印象的だったのが、ブータンの映画祭関係者の方です。まだ若く非常に好青年な彼は、ブータンの映画祭は、まだ知名度も低く、予算も少ないが、これからもっともっと頑張って、インドに負けないくらい成長したい、と語ってくれました。ブータンの映画祭、なんて素敵、いつかぜひ行ってみたい!次なる目標です。ベルリンでの上映は、貴重な出会いをたくさん頂ける、本当に恵まれた舞台なんだな、と実感し、来ることができて本当に幸せだったな、と心から思いました。ベルリンへまた戻ってくる、というのもこれからの大きな目標です。

上映がない時は、ホテルから近い動物園・水族館を観光したり、姉の念願だった蚤の市を訪れて買い物をしたり、荒木さんおすすめの映画ミュージアムを見物したり、ベルリンの街が360度一望できるテレビ塔に上ってみたりと、ベルリン観光も堪能できました。また、荒木さんおすすめのお店に夕食を食べに行ったり、映画『先祖になる』を同じくフォーラム部門に出品されていた池谷薫監督の作品を鑑賞し、夕食をご一緒したり(池谷監督は、私の立教大学時代の先生でもあるのです)、フォーラム部門出品の他の監督や関係者の皆さんとランチをしたりと、充実した滞在でした。

  

ベルリン観光の一コマ。左写真から"ベルリンの天使"像(戦勝記念塔に立つ金色の女神像)、ベルリンの壁、テレビ塔から見えるベルリンの風景。

帰りのオランダ航空の便が、前日に突然キャンセルになるというとんでもないハプニングが起きましたが、PFFの大井さんの迅速な対応のおかげで無事予定通り帰国し、翌日から再び撮影に復帰することができました。大井さん、本当にありがとうございました。

2月のベルリンは極寒でしたが、雪国生まれの私と姉は、それほどひどい思いはしませんでした(しかし、防寒対策は必須です)。またベルリンは地下鉄もバスもとても使いやすく、街や人々の雰囲気もどこか日本と似ていて、居心地が良かったです。また再び映画と共にベルリンを訪れることができますように。

さて2月15日に帰国し、メールを開いてみると、これまたびっくり、大井さんから「3月6日からフランスへ行けますか?」というご連絡が。「行きまーす!」と即座に飛びつく相変わらずの田舎者ぶり。およそ3週間で再び欧州を訪れることになるとは!次回フランスはドーヴィル・アジアン映画祭のレポートも書かせて頂きましたので、お読み頂けると幸いです。またお会いしましょう。