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鈴木卓爾監督×諏訪敦彦監督「『ジョギング渡り鳥』の製作過程から考える映画のつくり方」

作品に映るすべての人が俳優でありスタッフであり、映画を構成するすべてを全員でわけあうという、過去から多くの映画人が試みようとしてきた「映画づくりの夢」を実現した作品『ジョギング渡り鳥』。第37回PFFの「映画内映画~映画は映画をつくることをどのように描いてきたか~」プログラムでは、本作を上映後、鈴木卓爾監督をお迎えし、諏訪敦彦監督を聞き手に、『ジョギング渡り鳥』と、その創り方、監督という存在の在り方など、映画製作についての多彩な対談を展開いただきました。まるで、ロバート・アルトマンの『ナッシュビル』であり『ウェディング』ではないかという例えも飛び出した『ジョギング渡り鳥』はどのようにつくられたのか?芳醇な映画の対話を、お楽しみください。

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ここで、PFFディレクター荒木啓子(以下、荒木D)が登壇し、会場から質問を受ける。

Q:今のお話でだいたいは制作の過程みたいなものがわかったんですけども、もう少し詳しく具体的にどのように撮影が進められたのかを少しお話しいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。

卓爾:そうだよね、わかんないですよね。どうやって作ったか僕もあんまり記憶がないんですけど一応台本や役柄みたいなものは学校で動いてできていて。エチュードで作ったシチューションを文字起こしして、だいたいこういうことやるっていうシーンを場面構成的に並べたのはみんなに配ったんですよ。それを元にスケジュールを考えて場所はロケハンして決まって…ってとこまで準備をして現場に行って。基本的にはみんなの役は、役作りというよりは、自由なのでご自身で考えてね、つまりご自身でも構わないわよっていうところがあって、あとはその…どうしたんだろうな(笑)。

諏訪:セリフは全部即興ですか?書いてあるのもあるんですか?

卓爾:書いたのも一部はあると思うんですけど。

諏訪:それは自分で書いた?

卓爾:エチュードでやったやつを僕が持って帰って文字化しました。そのうち、この言葉はあったほうが良いなとか、そういうのはリクエストして、書いてやるっていう風になっていきました。あ、思い出した。例えば、撮影って二期にわたってるんですよ。一期目が2013年の1月で、それから一回みんなに3つの班に別れて編集してもらったんですよ。3班とも面白くて、それぞれ違っているんですけど、例えば現在のバージョンでも「あなたは神ですか?」っていう場面は、その時にある班が作ったままです。
そのあとに、最初の撮影だけで撮ったのはどれだけ大穴が開いた建築物かみたいなことをみんなで眺めて、これ作品にしていこうってここらへんでようやく真面目に取り組もうとしたというか。ひょっとしたら映画館目指すか、どうする、いいの?学校終わってるよ、もう。終わっちゃってるよ、こっから先は君らの意思だ、みたいなことをいいながら11月に追加撮影をさせてもらった。強瀬さんに頼んで、深谷に行かせてもらって。それで一応クランクアップをし、そこからまた長かったんですけど、そのあと一度僕が編集して3時間15分バージョンっていうのを作りました。学校の中では非常に受けがいいんだけどこれが外に出せるだろうかって、今度はわりと普通に考え始めちゃって。それから鈴木歓さんという編集マン、黒沢清監督の『CURE』(1997)や『蛇の道』(1998)とか廣木隆一監督の『800 TWO RAP RUNNERS』とかを手がけた方なんですけど、歓さんに面白いところを選りすぐって自由にやってくださいって6時間分の素材を丸投げしたんですよ。そしたら今の形の原型が上がってきて2時間20分でした。そこからちょこちょこ僕が手を加えながら、今日の形になっていったと。たぶん今日の編集はもう直さないと思います。

諏訪:あ、そうですか。

卓爾:すいません、そんなんじゃわかんないですよね。

Q:ありがとうございました。

卓爾:聞きたいことじゃないですよね?

荒木D まあ、あまり通常の作り方ではないと。

卓爾:何度も何度もみんなで叩いてます。撮影終わった後の方が長いです。編集もですが、今もこれで終わりではなくて、みんなで宣伝・配給をやろうとしています。あ、そうだこのタイミングで。

荒木D そうですね。

卓爾:2016年陽春に新宿ケイズシネマで公開することが決まりました。これを映画館でやってくださるところがあるという。(会場拍手)ありがとうございます。半年動いていて、ほんとにPFFが決まったのと同じくらいのタイミングで決まりました。強瀬さん、鈴木歓さんなどに次ぐ新たな刺客、宣伝配給のプロを巻き込んで、みんなで宣伝・配給をやっていこうと。チラシ配りなど、僕も含めてやっていきたいなと思ってるところなんですね。撮影の方が短くて、楽しい思い出だったねっていう感じなんですよ。はい、すいません、長々と。

荒木D はい。デジタル時代になって、そういう風にいろんな人が編集できるようになったし、どんどん映画の自由度が上がってくる面はすごく大きいなと、今のお話しを聞いて思いましたが、お二人の話、映画の作り方はすごく自由だという話、勇気づけられた方も多いんじゃないかと思います。先程強い監督ではないとお二人は仰っていましたが、欲しい映画がそうとう強くないと長い時間多くの人とのつながりがキープできないのではないかと思いますので、やはり強い監督なんじゃないかと。

卓爾:ビョーンって、耐久性が。

荒木D ゴムのような監督と鉄のような監督と2種類いる感じですかね(笑)。

卓爾:そうですね。

荒木D 今日はお二人、普通ではなかなか聞けないお話しをありがとうございました。

卓爾:どうもありがとうございました。

諏訪:ありがとうございました。

鈴木卓爾Takuji Suzuki

1967年生まれ。静岡県出身。『にじ』がPFFアワード88にて審査員特別賞を受賞。大学の後輩・矢口史靖監督の『裸足のピクニック』(93年)にて脚本・助監督を担当後、ドラマ手法の映画の道へ進む。監督作に『私は猫ストーカー』(09年)『ゲゲゲの女房』(10年)『楽隊のうさぎ』(13年)等。斎藤久志監督の『夏の思い出異常快楽殺人者』(95年)出演をきっかけに、俳優としても活動。

諏訪敦彦Nobuhiro Suwa

1960年生まれ。広島県出身。東京造形大学在学中から自主映画を製作し、『はなされるGANG』(84年)でPFF1985に入選。97年『2/デュオ』で長編デビュー。99年『M/OTHER』(カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞受賞)、01年『H story』、05年『不完全なふたり』(ロカルノ国際映画祭審査員特別賞受賞)、06年『パリ、ジュテーム』、09年『ユキとニナ』を発表。2002年には東京造形大学教授に着任し、2008年から6年間、同大学の学長を務めた。

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