ベルリン国際映画祭が始まります、が、

オランダ・ロッテルダム国際映画祭が、『山守クリップ工場の辺り』グランプリ受賞!の嬉しいニュースとともに終了し、引き続き、ドイツ・ベルリン国際映画祭が始まります。

今頃、欧州滞在10日になろうとしているはずだった私ですが、出発直前に人生初の骨折をし、嬉しい滞在になるはずだったロッテルダムも、20回を越えるベルリン通いの記録もストップしてしまいました。

大人になって初めての入院生活を送っています。
幸い、時を重ねれば快癒に向かう人が集まる「整形外科病棟」入院ですから、明るいさよならで同室者を送ることが出来る8人部屋。修学旅行以来の大部屋生活も、骨折も、病院で働く人々とその仕事も、発見と驚きだらけで、毎日があっという間に過ぎていきます。

しかし知りませんでした。
骨折がこんなに痛いということを。
完治のプロセスがなかなか複雑だということを。
治療そのものが、傷との力合戦だということを。
「ジャック・バウアー、骨折した足でで捜査継続は無理だぞ!」と映像の嘘について憤慨したりしました。

さてこれから、私にとっての映画祭シーズンを逃した埋め合わせをどうやっていくか工夫しなければなりません。

*余談ですが、今回のベルリン行きは、ベルリンフィルのサイモン・ラトルの最後を体験するチャンスでもあり、一層残念でもあります。

そして、映画祭とは何かという根元的な問いかけについても考えたかった、日本を離れて遠く海外の映画祭滞在。

例えば、今、中国で相次いで映画祭が生まれようとしています。
ある映画祭では、年収50万ドル=5000万円で映画祭ディレクタ―募集中です(勿論最低限、英語と中国語の出来るひと)。米資本の映画祭です。

その話を先月香港の友人から聞き、解放直後のチェコで会った映画祭関係者が米人だらけだったことを思い出しました。

5000万円...「映画祭の全体制作費ではないのね!?」という金額を年収として提示する米映画産業の豊かさと構造を思い知らされます。
つまり、米メジャー映画を恒常的にみつづける観客創造のために行う映画祭の創設に注力する仕事です。

もともと映画は文化の伝導に高い効果を発揮する創作物。
そして、そもそもの映画祭は、米映画の席巻から、文化・芸術としての映画を守るために欧州で発達してきた機能でした。が、「興行」という方法をメインとしてきた国が、新たな観客創造の見込める場所で映画祭に着目していることを、更に興味深く思うと共に、2014年に於ける映画祭について考えるのでした。

私たちは何故映画祭を続けるのか。
消灯10時、起床6時というかつてない健全な病院暮らしで、頭も体もデトックス出来たらと思っています。
...今のところ大変な睡眠不足ですが...