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PFFディレクターBLOGRSS

2012/11/07 23:57:56

橋本文雄さんの冥福を祈りながらヒカリエを探訪する

9月は、クレイジーキャッツ映画と、大映映画、特に、三隅&森両巨匠のちょっとした再ブームが個人的にきていたので、PFFの会期中も夜中にみたりしていました。
更に、何十年ぶりかの『大菩薩峠』シリーズ見比べ熱も盛り上がり、「休みを使ってやることだわ~」と頭ではわかっていながら、会期中も続けていたり、我ながら「新しい映画と古い映画、同時にみないとバランスのとれない体か?」と思っちゃいました。
・・・病気ですかね。

そんなこんなで、しみじみ、日活、大映、東宝、松竹が映画製作をしていた1960年代までの、いわゆる「活動屋の時代」作品を絶えずみてるかも・・・と認識したのですが、その"活動"のつくり手が、またおひとり、この世を去られてしまい、残念です。録音の橋本文雄さん。
橋本さんのインタビュー集『ええ音やないか』を残してくださった、上野昴志さんとリトル・モア、ありがとう!と心で叫びながら、未体験の渋谷ヒカリエを抜けようとしたはずが、つい、もくもくと、歩いてしまいました。
ああ、おしゃれな店がいっぱい。
外国人の感動するという地下のお菓子売り場も納得。

ヒカリエを通る前は、池谷薫監督の新作『先祖になる』の試写に伺っていました。今回は、陸前高田にお住まいの佐藤さんの記録です。前作、『蟻の兵隊』に続き「信念ある老人」の姿をみせられると同時に「日常が非日常になる」ということはどういうことか、が、そくそくと迫ります。

試写会場を出ると、オバマの大統領戦当選確実!という速報が飛び込み、これから暫く、「日米関係どうなるか?」一色の報道になるであろう日本のマスコミを予想しました。
映画祭世界はアメリカと縁が薄いこともあり、「アメリカとどうなるか、より、"日本と世界の関係"はどうなるか?とか、"日本の国内問題"はどうなるか?を考えるほうが、これから役に立つのではないのかな~」というのが、私の実感です。
いや「これから」のことを具体的に構築する"生きる技術"を、どう認識し、どう使うかが、目の前の私たちの課題だなあ~と思うのです。

さまざまな「技術」の伝承。
そのなかで、映画の具体的な技術に関しては、映画祭も積極的に取り組むべき課題に、21世紀はなっていくのか、あるいは、学校に大きくシフトされていくのか、それも考えろと迫られている感があります。

ところで、前回、釜山国際映画祭の紹介をしていて、「大きい映画祭は、大きい国際空港に似ているかも?」と、気になり始めました。
デザインや、機能がどこも似ている。
言語や、集う人々がどこも似ている。
そもそも「大きい組織」は、すべて似ていかざるを得ない構造を持つのかもしれません。
一方、小さい映画祭は、他にない何かを持ち続けることが
これからの課題=映画祭の生き抜く技術=なのかもしれません。

ところで、先週から始まっているのが、「ひとりでカトリーヌ・ドヌーブ特集」
最前線を走り続ける生涯主演女優へ、観ることでオマージュを捧げ始めております。

2012/11/07 01:28:56

初夏からのメイル整理をしながら10月を振り返る

メイル整理をしていると、仕事とは、「企画と段取りとお願いと経過連絡と確認と決断と後始末とお礼」で成り立っているなあ・・・としみじみします。
どれが抜けても、うまくいかない、手間暇かかることの絶え間ない繰り返しで、そのうちだんだん「隠居」という言葉が輝いてみえてくるわけですが、「素敵な隠居道」がなかなかみえないのが、現代のかなしさなのかもしれません。
隠居のお手本、いないのが残念。

それはともかく、釜山体験の続きです。
釜山の魅力のひとつは、上映作品の豊かさであり、国際映画祭らしい集う人々の多彩さと多量さであり、その人々と会うことの容易な(パラダイスホテルかノボテルホテルで開催されるものが多いので)パーティーの多さであり、その活気と、そして、釜山の気候の快適さです。
&個人的には、街の気軽なごはんのおいしさも・・・

5年ぶりの釜山国際映画祭は、風格が増してきておりまして、以前に比べると連絡網や仕事の責任分担がスムースになって、ずいぶん楽に過ごせるように感じます。
街では、日本語が聞かれなくなり、表示もハングルがメインになっているので「言葉勉強しなくちゃ!」感が高まるのですが、映画祭は、英語が更に通じる場所になり、インターナショナルな映画祭感が高まります。

ちなみに、PFFは「インターナショナル映画祭ではない」ということで、言語に関する悩みのほうはあまり生じないのですが、パーティーというか、交流については、常に考えます。
PFFで「パーティー」といえば、表彰式後の懇親会です。が、小さい映画祭で、会場がひとつですから、「人が集う場所」としてのパーティーはそれ以外に必然ではありません=会場で会えるから。
しかし、コンペティションの監督たちが、映画祭会場で初対面にならないためにはどうすればいいか?と考え、開催前のオリエンテーションと交流会を行っています。それも、PFFに於ける「パーティー」と言っていいでしょう。
あとは、他の映画祭に作品を紹介することで、参加チャンスを得た監督に、いわゆる「国際映画祭のパーティー」を知ってもらえればと考えています。
正直、国際映画祭の参加者には、パーティーしか回らないというタイプの人もいて、私も昔は驚きました。「映画祭の良し悪しの判断基準はパーティーなの?」と。
人それぞれです。

さて、大きな国際映画祭では、プレスやプログラマーなど、ID登録している人たちに、そのIDナンバーでアクセスして、インターネットで作品をみることができるサービスが急激に増えています。私たちも、出品作品の登録者限定視聴への同意書にサインしています。
ID登録者は、映画祭で見逃した作品も、一定期間追いかけてみることができます。つまり、やろうと思えば、釜山の今年のラインナップの大半を、現地で滞在中のホテルの部屋や、帰国してから、自分の部屋でみ続けることが可能になるわけです。

また、大きな映画祭は、ID登録者が利用できるヴィデオライブラリーを持っています。学校の教室のように、ずらりと並んだ机にヘッドフォーンとモニターが置かれ、各人が予約した作品をみます。(そのために、出品者は必ずプレヴューを一枚提出しています)。映画祭上映のチケットが取れないケースはままありますので、みたい作品を必ずみるための手段です。
最初から、スクリーン上映では一切みずに、滞在中ず~と、ヴィデオライブラリーでみているプログラマーも珍しくなく、「そのほうが効率的でしょ」と言われます。
「効率」
使い方の難しい言葉です。

なんだか、映画祭という場所は、何のための場所なのか、参加者の意識によって、極めてバラバラになってきてるなあ・・・と、今回、しみじみ感じました。
ふと思いだす第一回の釜山国際映画祭のような「一体感」が生まれるのが、だんだん難しくなってるなあ・・・と
そんなことを感じながら、ラブホテル(前回のブログで説明したmotelです)の部屋で仕事の合間に、ずっと気になっていた「家族の勝手でしょ!」を乏しい光で読みました。
アトランダムに選ばれた家族に、一週間の食事を使い捨てカメラで記録してもらい、日本の食生活を記録し続けているシリーズで、以前から一冊は読んでおきたいと思っていましたら、成田の書店で最新刊のこれに遭遇しました。

いや~~~~~驚きました。
「人それぞれ」が、強烈に迫る!
「"自分が一番大事"な人の寄り集まりが"家族"なのか・・・」と既成概念を打ち破られ、世界感変わりそうな本でした。
「"自分が一番大事"ねえ・・・」と、考えながら映画祭会場に行く釜山の朝は続く。一気読みできる時間も光量もないからちびちび読むのです。

自分が大事、というより、家族間で誰が得していて誰が損してるかと常にカウントしながら生きてる感じを受けたのです。
家でそうなら、もちろん外でも?
それじゃあ、疲れますよね、単純に。

そんなときに、『ドキュメンタリー 百万回生きたねこ』を観ました。作家、佐野洋子さんをめぐるドキュメンタリーです。
心からほっとしました。
この作品では、生前の佐野洋子さんと交流のあった、日本を代表する男前な女優のひとり、渡辺真起子さんが重要なパートを担っておられます。
渡辺さんは、このドキュメンタリーと、フィクション『おだやかな日常』と、2つの出演作品のために釜山にお越しで、舞台挨拶などやはり見事に男前で、ほれぼれしました。

『おだやかな日常』今月末から始まる東京フィルメックスで上映されますね。(本日、既にホン・サンスとキム・ギドクは売り切れでした!すごい~)
東京フィルメックスの市山さんとも、久しぶりに釜山で会いました。現在公開中の『フタバから遠く離れて』の船橋淳監督もご一緒だったのですが、市山さんにとっての初めて恋愛映画プロデュースで、『無能の人』以来の日本での撮影作品とおっしゃる、船橋さんの最新作品『桜並木の満開の下に』。釜山ワールドプレミアを拝見していないので、こういうとき、とっても話がしにくいのですが、船橋さんの旧作『echoes』につながる、みずみずしい恋愛映画かなあ、と勝手に想像しています。

そういえば、双葉町の井戸川町長が、先日ジュネーブで福島の現状、政府の無策を訴えたというニュース、あまり報道されていませんね。2月のベルリンでの『フタバから遠く離れて』の上映では、上映に立ち会うことのできない井戸川町長からのメッセージビデオが冒頭に流されました。
海外に声を届ける活動をなさっている人の、国内での報道がない国日本だと感じています。あら?国内の声も、あまり報道されていないかな・・・・報道そのものが、非常に少ない国に住んでいるなあと、実感します。たまに「海外で"アピールしなくてはならない"映画祭という場所」に行くことが、ちょっとした自国の発見につながるのかなと、今思いました。

一番話題になっていた日本の監督は(いえ、近年の世界の映画祭で、と言い換えてもいいかもしれませんが)園子温監督と、若松孝二監督です。
多くの人に強烈な印象を残して帰国なさっていました。
 
その若松監督の訃報を聞いたのが、帰国後間もなくです。
2004年の最終審査員をお願いしたご縁で、海外からのメッセージのアップと(こちらは近日日本語にして、若松プロダクションのオフィシャルサイトに転載をという計画です)、ご葬儀のお手伝いをさせていただきました。
お通夜、告別式とも青山斎場で行われました。雨のお通夜から一転、天候のよくなった告別式は、ぼんやり斎場の緑と空をみてしまう時間も多く、いまだに実感のつかめない、信じられない感覚です。

『旅芸人の記録』の闘士オレステスが、静かな拍手のなかで埋葬される、"拍手の別れ"とでもいったシーンに、ものすごく感動された若松監督は、常々そんな最後を望んでおられたということで、皆で拍手でお車をお送りしました。
斎場の高い空に昇っていく拍手と、そよぐ木々が今も甦ります。

数々の修羅場を超えて、真の自主監督として走り続けてきた若松監督。
映画で生きていくために、あらゆる実践体験が可能だった時代を生きた監督だった、と思うと同時に、現在、これだけ学校教育で映画が扱われ、映画祭が溢れ、劇場公開も視野に入れる覚悟を迫られる状況は、映画監督というキャリアの想定も、全くかつてと違うものになったなと、そのことをずっと考えています。

既存の想定ではもう通用しない「映画」や「映画監督」
まるで、日本の縮図でしょうか?
あらゆることが、これまでの価値観では語れないのに、そのままで押し切ろうとしていびつさが増している。

そういえば、10年くらい前には、まだ「なぜ学生映画という呼称を使わないのだ」と、海外で指摘され、「映画は志。学生も社会人も所属するものは関係ない」というような会話をしていたことを思い出しました。
今、そんな会話はない。
このことが気になり始めています。
同時に、来年は35回となるPFFが、これからどんな映画を紹介していくのか、いよいよターニングポイントを迎えた何かを感じています。
その何か、とは何なのか、早急に掴みたいと思っています。

長いのに曖昧な終わり方でけしからんですね。
11月は思索の月にできるといいなあと夢想中です。

2012/11/03 14:15:55

風邪をこじらせきって玄米菜食を試しながら10月を振り返る

9月のPFF会期中にひいた風邪を、有名な「ジキニン子供シロップ一気飲み」療法(ものすごく胃に悪いらしいですが)で抑え込み、その後、釜山へ行く前後も、これまたそんなこんなで、一気飲みに加え、色々と無茶な方法で不調を抑え込み、帰国後も、やっぱりやることが色々あるので、あれやこれやで爆発しそうな風邪をたたき続けながら、人を迎えて暴飲暴食もてんこ盛りの、どう考えても無謀な毎日を続けておりましたら、やっぱり、ダウンしました。
集中力も思考力も落ち、熱が出たかと思うと、すごい低温になったり、ティッシュひと箱鼻をかんでも、まだ続く。痛いとこだらけ、起き上がる力もないときもある「ああ、健康になりたい」という日々に突入したのでした。
つまり、仕事にならない日がきた!

これはいかん!と、ひそかなバイブル「自然療法」を取り出し(宣伝なし、口コミだけで900刷に迫る静かに有名な本であります)再びの熟読。
久しぶりに、肝臓、腎臓、脾臓をいたわる食生活を取り戻して5日めの本日、なんだか元気になってきた感が湧いてきました。
「体は、飲食物でつくられる」ことを、しみじみ再確認する10月でした。
ちなみに、体調不良の際の私の定番復活食は、玄米に小豆や大豆、こんぶやひじきやわかめを炊き込んで、ごまとじゃこと梅干を混ぜて海苔をまいて食べること。
効きます。
根菜たっぷりの味噌汁と、こんにゃくを使った料理、そして薬草茶を合わせられれば、更にばっちりです。

・・・なんだか、映画から遥かに離れた話題になってきました。
しかし、こんな食べ物が出てくる映画って、ないんだなあ・・・人々が共通に認識する「おいしそう」というものから、遥かに遠い食事なんだろうなあ・・・と客観的に判断するのです。
でもね、美味しいんですよ。玄米菜食。大分の友人が取り寄せてくださる、合鴨農法のお米が素晴らしいことも関係あるんですけどね。

そして話は釜山に戻ります。
5年ぶりに出掛けた釜山。行ってよかった。
どんどん改革されています。
噂に聞いた センタムシティBusan Cinema Centerの威容も確認しました。
向かいの世界最大のデパート、新世界百貨店の屋上庭園から見下ろすと、Busan Cinema Center屋根には「BIFF」のロゴが、ソーラーパネルで構成され、建物の発電に一役買っています。(最初、屋上のロゴをBIFFとすることに市の抵抗があり、大変な苦労をしたと映画祭の人の話でした)

今回は、急に参加を決めため、普通のホテルは全くとれず、噂の「ラブホテル」に泊まりました。韓国では「motel」と表示されたホテルですが、ラブホテルで通じるのでした。
「立地位置や写真から推測して、どうもmotelっぽいなあ」と思いながら、インターネットで予約した、一応hotelという名のつくそれは、行ってみると、やはり立派にmotelだったのです。一年前に、motelをhotelとしてリニューアルオープンしたらしい。
hotelとの違いは、長期滞在を前提としてませんので、ランドリーサービスやビジネスサービスがない。(以前は、motelは、長期滞在者も一泊ごとに荷物をまとめてフロントに預ける厳しい規則だったそうです)。部屋の照明が仕事を前提としていない=暗い。仕事用デスクがない。クローゼットがない。スタッフが外国語を使わない=コミュニケーションにひと苦労。
しかし、ホテルと違って、いいこともあります。
韓国のhotelは、歯ブラシやシャンプー、かみそりなど、日本ではどこでも置いてあるアメニティーが衛生上の規則で禁じられているのですが(なので、近所のコンビニには必ずアメニティーセットを置いてある)、motelには、シャンプー、リンス、整髪剤、化粧品、ヘアブラシなど、あらゆるものの大型ボトルが置いてあるうえに、チェックイン時に、「サービスです」と、歯ブラシ、かみそり、いろんなアメニティーに加え、コンドームまで入ったパックをくださる。これは、ホテルでは絶対にない。更に、部屋の防音は、安いホテルより遥かによく、隣の部屋が気にならない。そのうえ、お風呂はほぼどこでもジャグジー!部屋のテレビは「壁?」と思ったくらい大型。更に、ロビーには、必ず無料のソフトドリンクやコーヒー、軽食のサービスがある。
数日の観光旅行なら、迷わずmotel=ラブホテルをお勧めしたい私ですが、仕事には、ちょっと苦労しまして、かなり目にきました。

さて、映画祭は、今や、センタムシティの劇場を中心に構成され、南浦洞や海雲台のかつてのメイン会場は、今や、建物もすっかり古びた感じで、ゲストでにぎわうことも少なく、それ故にマイペースに運営されている雰囲気です。
5年前に、映画祭メイン会場のひとつ海雲台のメガボックスで、ヴォランティアの人たちが、いろんな抽選会などを企画して、楽しくやってるなあという雰囲気を覚えていたのですが、今回も、建物は急速に寂れてましたが、へんてこなプレゼント会に遭遇し、なんだかおかしくなりました。来年からは、海雲台のホテルに泊まって海雲台のメガボックスに通うのが、結構賢い過ごし方かも・・・と思ったり。「映画をみる」ためには、に限定の滞在であれば、ですが。

観客は、今も変わらず見事に若く、活気があります。ボランティアも、さすが過酷な競争を潜り抜けてきた、容姿端麗英語のできる人で揃えられています。満席でチケットのとれない映画も多く、でも、満席でも空席があるのは、以前と変わらず勿体ない感じ。スポンサー用に確保する席が必要との話もあり、映画祭共通の悩みの一つではと思います。

さて、今回は、『くじらのまち』のコンペ出品にあわせての参加でしたので、久しぶりに、コンペのための行事の数々に鶴岡監督と参加しました。
まず、劇的な変化を感じたのは、通訳の用意。
完璧な通訳の方が、記者会見も舞台挨拶もついてくださり、驚きました。チェさん(もしかしたら、私のお名前の聞とりが間違っているかもしれません)とおっしゃり、昨年から日本に住んでいらっしゃるのですが、変わらず映画祭から頼まれ、日本からお越しです。(映画祭の人から後で聞いたところ、昔、子役として有名だった方で、業界や映画に詳しく、舞台度胸もあるので完璧ということでした)
チェさんによると、4年前から、映画祭は各国語の通訳をそろえることに本腰を入れはじめ、現在、日本のゲストのためには、2名の通訳を招へいしているそうです。通訳チームはスタッフ用のホテルで合宿しているとのことで、中国語、タイ語、英語、と、記者会見で、コンペ監督とその通訳の揃った様子は迫力がありました。
ペルシャ語だけは、まだ適任者が韓国内で見つかっていないのか、日本からショーレさんが英語とペルシャ語の通訳に参加しておられたので、驚きの再会でした。
通訳の心配がない映画祭は、いい映画祭のひとつの基準。どの映画祭も苦労する部分です。

韓国では、携帯電話のレンタルが手軽なので、空港で借ります。
そこでiphoneデビューした私。慣れるまでひと苦労でしたが、携帯のない時代の映画祭でのアポイントメントはどうしていたのか、すっかり忘れてしまいました・・・
外国からのゲストは、「○○のペーティーで会いましょう」ということが多い。毎晩2つも3つもパーティーがあるから。しかし、多くのパーティーが人でごった返していて(毎晩「滞在ゲスト全員集合!」な感じと思われます)、「会う」という感じではありませんので、パーティーが苦手なこともあり、必ず別の約束をするのですが、「携帯がないと難しかったなあ」と、しみじみ今、思います。

パーティーといえば、キム・キドクのヴェネチア受賞を祝うパーティーがあったのですが(参加してないんですけど)、もう大変。その日は、寄ると触ると「キム・キドクのパーティーよ」と話されていて、本人が通りかかると、あらゆる人が話しかけて、もう「いきなり大スター」なんです。
ちょっと、ぽかーんとしてしまいました。
願わくば、皆さん彼の作品をご覧になっていることを・・・

さて、釜山で一番感動した映画は?
と聞かれるのですが、すいません。レオス・カラックスです。
日本で公開するじゃん!!です。
とほほ。
つい、みてしまいました。(こっそり行ったのに、いろんな人に会っちゃいました。)
そして、爆発的に感動しました。
「こんなアホなことを真剣にやる人のために仕事していきたいなあ・・」
としみじみ思いました。
そして、あらゆるスケジュールを無茶苦茶調整して閉幕前に滑り込んだ現代美術館の「特撮博物館」を、カラックスにみせたかった・・・と涙しました。(いや、ぜんぜん友人じゃないですけど・・・)

「特撮博物館」行かなきゃ人生の損失です。断言しますけど。
来年から、地方開催が始まるという噂を聞き、万難を排してまた行くぞ・・・と心に誓う私。またオキシジンデストロイヤーの前でうっとりしたいです。
あ、行かれるときは、イヤホンガイドを借りることをお勧めします。

バカなことを寝食を忘れ真剣にやることほど、崇高なことはない。
この秋はそのことを再確認することが多く、それは、釜山の宿で乏しい灯のもと読んだ本のショックにも関係するかもしれません。

その本のこと、釜山国際映画祭での新体験、そのすぐあとの若松監督のご葬儀のこと、SNSのこと、もう少しご紹介したいことがありますが、約束があり出掛けなくてはなりません。続きを明日、書けたらと思います。

そしてもう11月3日。
たくさんの映画が初日を迎えます。
昨日、夜の銀座を歩いていましたら、松屋のルイ・ヴィトンのディスプレイがリニューアル作業していました。
まるで美術館の草間弥生展のようで、暫くみていました。
バカなことを一生続ける素晴らしさ。芸術は、その側面を必ず持つなと、再認識です。芸術のみならず、人に作品を提示するとき、バカなことを貫くことは、最も力を持つと、そのことも改めて思う秋です。

・・・・長すぎましたね・・・


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