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PFFディレクターBLOGRSS

2012/10/20 18:27:33

釜山の報告が、若松監督の訃報に茫然となり・・・

5年ぶりの釜山国際映画祭参加は、私にとって非常に重要な体験となり、このブログでは、そのご報告を、といろいろ考えていましたら、まさかの若松監督の訃報に、釜山報告も東京国際映画祭も、まっしろなままになってしまいました・・・

23日のお通夜、24日の告別式と、私たちもお手伝に伺うのですが、特に海外の若松ファンのために、英語のfacebookを特設してみました。
日本語を使わないご友人にお伝えください。

若松監督には、2004年のPFFアワード最終審査員をお願いして以後、特に頻繁に企画をご一緒させていただくようになりました。PFFin仙台で『17歳の風景』を中心にした特集の際、地元の友人、知人の来場時の照れくさそうな感じや、2010年の『キャタピラー』がコンペティションに出品され、ベルリンでご一緒した際の嬉しそうなお顔、続く、PFFでの特集で、突然のデビュー作上映の居心地悪そうな様子など、次々と思い出されます。

へんな話ですが、立川談志さんがお亡くなりになった際に感じた「全身落語の人がいなくなるわけがない」という感覚が、今回もわ~と立ち上がってきました。「全身映画の人がいなくなるわけがない」という感じです。
ですので、いまだに、現実を実感できていない私です。

若松孝二、という存在を後世に伝える際に、「映画」プラス、その「人」の存在そのもの、を、どう伝えていけばいいのか、を、考えています。
「若松孝二という人そのもの」を伝えるという課題は大きいなあと、茫然としているこの3日間です・・・

*余談ですが、海外では、交通事故というニュースに、「暗殺?」という話が出たそうです。テオ・アンゲロプロス監督の交通事故もそうだ、という話が今も根強く出てくるそうで、そういわれれば『ゴーストライター』にもありましたが、歴史上、最も使われるその方法は「交通事故」。ボーンシリーズはじめ、CIA関係の映画をみたあとなどは特に、「ふむ」と思う話ではあります。


プロフィール

PFFディレクター
荒木啓子 Keiko Araki

雑誌編集、イベント企画、劇場映画やTVドラマの製作・宣伝などの仕事を経て、1990年より映画祭に携わる。1992年、PFFディレクターに就任。PFF全国開催への拡大や、PFFスカラシップのレギュラー化、海外への自主製作映画の紹介に尽力。国内外で映画による交流を図っている。

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