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PFFディレクターBLOGRSS

2011/06/19 14:40:55

知りたい

雨の多い季節になり、福島にも降る。「このままでは汚染水が溢れる」と発表され続けてはや何日・・・の福島第一原発の水の行方が、よくわからない。ということは、メルトスルーにあわせて、落ちて行ってるのかな汚染水?
映画の見過ぎ、想像しすぎでしょうか?
地下に浸みた汚染水は、どのようなルートでどのようなスピードでどこに拡がっていくのかを予測し、最悪の事態に備えるための対策団はつくられているのでしょうか?
その前に、汚染の拡がりを防止するための、土木建築による手立てを講じる部隊は作られているのでしょうか?
汚泥の保存場所("廃棄"とか"投棄"ではなく、数百年に渡る"保管"ですよねこの場合)確保の道程は?
それがどんな公式発表をみてもみえません。
多分、気を揉んで、何とかしたい専門家がたくさんいると期待しているのですが、どうすれば結集できるのでしょうか?

たとえどんなに深刻であろうと、現実を知りたい。
今、何が起きていて、最悪の場合どうなるのか。その想定される最悪を回避し、最善にするために、どんな対策と具体的な行動が行われているのか。
過去のレポートはいらないので、今の現実と対策と実行案を知りたい。と切実に思っています。
その上で、未来を安全にするためにかかる経費については「税金」という形で出してもいいけれど、過去の失敗の尻拭いに使われる増税はお門違いだなあ、責任者で何とかしなくちゃなあ~仕事だからな~って、もはや民意ではないかと思うのですがどうでしょうか?不詳の子の失敗に、仕方がないとお金を出す、哀しい親の図でしょうか日本国民?でも国政は子供には出来ないですからねえ・・・責任ある大人、それもものすごく重い責任を果たすことを期待された大人が何万人と取り組んでいる、対価も高い仕事です。衆参両議員722人&国家公務員94万5千人。そして地方公務員398万7千人。三人寄れば文殊の知恵と言いますから、これだけいればそのネットワークにも期待です。

と中学生のようなブログを書いてるのは、「若い映画作家が海外で生き延びるにはどうすればいいのか?」を応募作品を拝見する合間に考えてしまうからです。
映画のマーケット縮小は何年も前から言われており、共同制作もこれから益々盛んになるでしょう。その気があれば、どこで暮らしても映画を創ることは可能です。
まず「つくりたい作品があること」が大前提ですが、一緒に動く「プロデューサー」(あるいは自分がプロデューサーを兼ねても)と、「言葉」の問題を何らかの方法で解決できればOK。その前に、日本以外で暮らすことを楽しめるか楽しめないか、があるでしょうが、そんな悠長なことを言ってる場合ではないかもしれない現実です。近年、映画は世界的に「つくりたい」という根源的な欲求に立ち返る、そんな自主映画の王道の時代がやってきた気がしていますし、新たな一歩を踏み出してほしいと思います。
そして、言葉は、映画のためには圧倒的に「英語」。
企画書を日本語と英語で用意することを習慣付けることを是非お勧めしたいです。言葉で助けてくださる人、きっといます。探してみてください。


2011/06/16 21:53:20

ここでも即戦力が求められている?

NHK朝のヒロインに堀北真希決定というニュース。尾野真千子、井上真央、多部未華子、宮﨑あおい、池脇千鶴(敬称略)と、映画を観てきた人には「おお!」というキャスティングが続く近年。「新人発掘を映画に託し、安心できる女優を登用?」という図に見えなくもなく、いろんな場所で「即戦力」が求められる昨今だなあと感じます。テレビドラマをきっかけに、彼女たちの出演した映画を遡って観る視聴者が増えると嬉しいと同時に、映画もテレビも、次世代育成のゆとりを持てる状況を工夫しなくてはなと、自らの足元をみてしまいます・・・
 
今、渋谷ユーロスペースで公開中の『スリー☆ポイント』。自主映画作家の代名詞のような山本政志監督の新作に、明日は柴田剛、富田克也、真利子哲也のこれまた根性入った3監督のトークがあるそうで、「引き継がれる自主映画魂?」という感があります。歴史の伝承を目撃しに、明日、渋谷へ!みたいな感じでしょうか。
*富田克也監督の新作『サウダーヂ』は吉祥寺バウスシアターの「爆音映画祭」で、真利子哲也監督の『NINIFUNI』は東京テアトルで体験できます。
先日、生きる映画史のような犬塚稔(1901~2007)の自伝(ほぼ100歳で執筆)を遅ればせながら読み、脚本家、そして映画監督として、サイレントから映画の黄金期、そしてテレビ映画の時代まで知るその生涯が如何に稀有なものかを感じました。「歴史」。そこから発見できるものが多いなと昨今感じています。本年、第33回PFFは、映画の歴史を裏テーマに、プログラムを構成できなかと考えはじめています。
勿論、有無を言わさぬ歴史の"最先端"は、PFFアワード2011作品。これら作品を中心に、10日間でどんな映画の歴史を紡げるか、刺激的なプログラムを目指します。
そして、いよいよ仕事が切羽詰まってきたので、このブログ更新もプログラム発表まであまりできないことを予測。
また、これからは映画祭に集中なので、最後に、先日お名前をあげた菅谷昭松本市長のインタビューをご紹介します。

http://www.fng-net.co.jp/itv/index.html

 
インターネットの情報を検索してるとき、文字で起こされたもののほうが、映像をみるより時間がかからず助かる、と感じてる自分のゆとりのなさを知る昨今。文字起こしをしてくださっているサイト(「ざまあみやがれい!」や「みんな楽しくHappyがいい♪」「小出裕章(京大助教)非公式まとめ」など)はありがたい存在です...って、映画映像を生業にする身で、とんでもない発言すいません。
第33回PFFでは、た~っぷり映画映像の力、お見せします!

2011/06/15 02:31:55

映画の命は長い

岩波ホールで、伝説の『原発切抜帖』が上映されることが話題です。3年前に逝去された土本典昭監督の作品をここから体験なさる方が増える可能性を想像して、嬉しくなりました。また、ポレポレ東中野では、先月、伝説の『夏休みの宿題は終わらない』が上映されていました。そのほか、九州の熊本にある素敵な映画館、DENKIKANで、映画祭が始まるニュースをもらいました。

全国各地で、原発に関連する映画の上映企画が次々と生まれて来ている様子です。

そして、こんな時にしみじみ思うのは、映画の「保管」「保存」の大切さです。
制作されてから10年20年の時間はあっと言う間に過ぎていき、いざ、久々の上映となったときに、「作品の行方がわからない」「上映に耐えられない状態になっていた」ということは珍しくありません。
PFFでも、かつて、8ミリフィルムで制作された(=ネガとポジが同じなため、この世に一本しか存在しない)作品が、どこかの上映会に貸したまま紛失した。という悲しい話を何人かの監督たちから聞いたことがあります。

作品さえ残っていれば、今やその命に終わりがないようにできるのではないか?とすら思える昨今の修復や保管の技術。生まれた作品の命の継続に意識的な製作者が、この機に更に増えるのではと期待します。

話は変わりますが、ドキュメンタリー映画『蟻の兵隊』の主役、奥村和一さんが亡くなられました。PFF事務局が毎年3月に所沢ミューズで企画参加する三日間だけの映画祭「世界が注目する日本映画たち」で過去にご紹介した作品です。
この「世界が注目する日本映画たち」、本年は311の影響で中止となりましたが来春は再開です。ご期待ください。

2011/06/14 00:58:27

試験前の中学生のように

切羽詰まっているときほど、全く関係ないことをやりたくなりますよね。
今、現実逃避に、映画館で観たい映画リストや、新居のインテリア案なんかつくちゃって、「中学生か?」と反省している深夜です。悪くすると色鉛筆探しそうです。「小学生か?」です。シールも貼るか?そんな馬鹿をやっていると、暫く自分に禁止を誓った福島第一原発情報収集の封印を解くようなサイトが送られてきました。妊婦の友人から「辛いけど最後まで読みましたが、ご存知でしたか?」と。

カレイドスコープ http://kaleido11.blog111.fc2.com/

視覚に訴える力の大きさを実感する、直視するのに勇気が必要な写真。
妊婦や幼児を持つ親たちにとって、この現実はどれだけ重いかと想像します。子供の給食を断る手続きや、プールの日を休ませる手続きなど、都内でそれがいかにマイノリティーな行動か知るという体験談も耳にします。長野県松本市の菅谷昭市長のように、知識と経験と現実把握力と決断力と行動力ある首長に恵まれた市民の幸せを羨む声も多いです。
「知識と経験と現実把握力と決断力と行動力」のある、今、現実を改善できる人材が、そこまで枯渇しているはずはないと信じたい日本ですが、そもそもそんな人物を「探し出す」術がないのかも・・・「今何が必要か」わかっている人が探す立場にいないとそうなるなあ・・・う~む、仕事はしみじみ何でも同じだなあ、問題点も同じだなあ、と、改めて身に沁みます。
しかし、21世紀の子供たちを20世紀の価値観の犠牲にしては国が滅びますから、ここは知恵の集めどころです。大人は常にそこを考えて生きていかなくてはですね。
ああ、しかし、国が"滅びる"とか"亡びる"とか、ここまで現実感を持って言う日が来るとはなんだか嘘みたいです・・・・

ところで劇場公開中の映画ですが、『NINIFUNI』是非!

2011/06/13 18:59:55

のんびり上映、どうでしょう

フィリピンのマニラから、バスで6時間ほどの高地に、バギオという文化芸術活動の盛んな都市があります。山形国際ドキュメンタリー映画祭でもお馴染みの、キッドラット・タヒミック監督の住む土地でもあります。そこに移住した日本人の友人と15年ぶりに再会しました。
私自身はフィリピンはマニラとケソンに20年近く前(ひゃ)、インディペンデント映画の状況をリサーチに行ったことしかありませんが、そのとき、一日に何度も遭遇した「無計画停電」が印象に残っています。自家発電を導入している場所もありましたが、映画学校など、停電中は上映中止(試写をしてもらっている最中でした)で、庭の、マンゴーがたわわに生る木の下で、のんびりおしゃべりをしました。
今もフィリピンでは、無計画停電は当たり前(工場や病院など、切実に困るところには自家発電装置完備)、上水道完備なし水汲み当たり前、自然災害からの自己復旧当たり前、の暮らしを、無理せずゆったり過ごしているそうです。健康であることや、助け合いが重要な生活でもあるでしょう。
この夏、日本各地で強制的な節電や停電が実行されるかもという報道がされています。個人的には極小の電力消費生活なので、健康を害してない限り不便は殆どないかと思っているのですが、仕事のほう、「第33回PFF」会期中に、残暑厳しい日があるかもと想定しなくてはなりません。タイムテーブルを思案しながら、これまで想定しなかった場面をあれこれ想像します。「電気のない映画祭はどうなるか?」「万が一の災害避難はどうするか?」「情報発信方法はどうするか?」などなど。危機管理は、刺激的でとても面白い仕事です。
安定した変わらない日常をキープすることに使うエネルギーが、「必要な場面」と「そうでない場面」がある、としてもいいのでは?と、フィリピンの体験を思い出しながら、考えます。
世界で一番時間を正確に守る国という冠の揺るがない日本ですし、勿論、映画を予定通りご覧いただけるよう、万全を期して臨みますが、万一停電になったなら、「PFF会場でのんびりおしゃべりしたなあ・・・」とあとから懐かしめるような、そんな映画祭にしたいなと、考えました。「電気がないと大変なことになるぞ」と脅かされながら暮らすより、不便を楽しめる状態をつくりたい。映画祭に集うのは、そんな人たちでは?とも思います。

ところで、最近ぽかーんとしたニュースはこれでした。

 党のイメージ刷新を検討する自民党改革委員会(塩崎恭久委員長)は10日、中間提言をまとめた。「古い自民党」から脱却しようと素案で首相経験者の公認禁止や派閥政治との決別を明記したが、派閥幹部や首相経験者の反発に加え、石原伸晃幹事長も認めず、これらの項目は削除された。

 塩崎氏は10日の同委で「どれだけ改革のメニューを盛り込んでもつぶされる」と委員長を辞任。谷垣禎一総裁直属の同委による改革が骨抜きに終わり、派閥やベテラン議員による支配をかえって印象づけた。

 同委は5月26日に発表した素案で首相経験者の公認禁止と派閥政治との決別を目玉に据えたが、「塩崎君が派閥を抜ければいい」(伊吹派の伊吹文明会長)、「無所属でも勝つ。お好きなように」(首相経験者)と反発が相次いだ。
.
漫画みたい・・・
「これまで慣れ親しんだ暮らし」を「変える」ことを楽しんでいける、その変化の恐怖を和らげるサポートができるのが、エンターテインメントであり、文化芸術なのだろうなあと思いながら、あまりの現実のとんでもなさに、企画書や、脚本を書いておられる方々はお悩みではないかと想像します。
こんなとき、もしかしてはっ!とその悩みから解放される映画は、『ふゆの獣』?ドロドロ恋愛映画by内田伸輝監督。
何故か今、この映画が浮かんできました。

2011/06/13 12:10:36

ハラがコレなんで

いよいよ今週末公開のハッピー映画『あぜ道のダンディ』に続き、11月公開を控え仕上げ作業中の石井裕也監督の『ハラがコレなんで』。この新作の国内外映画祭への窓口をPFFが行うことになりました。昨年は『川の底からこんにちは』『君と歩こう』、今年は上記2作品と、複数の長編作品公開が続く石井監督。PFFのHPでも、過去に入選なさった監督の新作公開を紹介するコーナーがありますが、年に数本の公開が続く人たち、おられますね。是非、その秘訣を知りたいと思い、第33回PFFで何か企画できないかと考えています。
毎年なんとかしたいと思いつつ「PFFアワード」のセレクションと、PFFの招待作品の決定時期が重なることを避けられません。本年もいよいよ数種類の企画を推進するため、寝食を忘れ痩せることを願う日々がまいりました。あわせて本年も、カルト・ブランシュ企画をご一緒することになりました。第33回PFFの初日9/20まで、ざっと3か月。いよいよ企画のラストスパートです。アワードの入選発表は7/10までに、招待企画も、7月に順次発表を目指しています。
そんな中、インドのデリー来春開催されるアジア女性映画祭から、日本の女性ドキュメンタリー監督の特集をしたいという相談が来ました。日本のドキュメンタリーには女性監督が多い。フィクションより遥かに。拝見できてない作品も多く、推薦などおこがましいことです。同時に、レンタルショップや図書館で立ちすくむように、自分の観ていない作品の山に途方に暮れるとき、映画を仕事にする重さと、未知の世界を外からひらかれる喜びが湧いてきます。一種のマゾ?と自問自答する瞬間です。

2011/06/08 15:39:01

3兆円を6211万人で割ってみる

「PFFアワード2011」応募作品を拝見しています。作品と作品の間のリフレッシュに、ちょっとニュースをみてみたら、「原発を全て止めた場合のエネルギー生産必要経費年間3兆円」という試算が政府発表されたとの読売新聞ニュースが出てました。その経費は、電気代として国民負担になる。とも(←でも、それって現状と何ら変わらないんですけど・・・)。
統計局の本日時点での発表によると、実態の掴めない岩手、宮城、福島の3県の就労者データを除外して、現在の日本の就労者人口が、6211万人とのこと。
3兆円を試しにこの数で割ってみると、ひとり年間約5万円弱。月間4千円強。
しかし、今後送電網の自由化が早急になされれば、安全でずっと割安な小さい発電を私たちが個別に選択できる未来が間違いなくやってきますし、既にその未来は夢レベルではない確実なものですから、落ち着いて長い目でみれば、安心と安全を買う金額として、5万円をどう判断するか?の私たちの価値観にかかってくるなと思いました。
「3兆円」と言われれば、ひゃ~!と冷や汗でちゃいますけど、就労者が増えれば、金額も下がりますね。就労率は、決して高くない日本の現状を、ちょっとこの計算でも認識してしまいました・・・56パーセントです。新たなエネルギー産業が生まれれば、就業率も上がる可能性がありますし、新しいことを始めるときの幸福感は、更に何かを生むのでは、と期待できます。
やっぱりここでも「さよなら20世紀」進行したいです。自分の中の勝手なキャンペーン名ですけど・・・
と、そんなことを書いている私は、実は、文化芸術に時間とお金を使って惜しくないと感じる社会を望むものです。そのために働いているものです。ですから、社会のインフラが壊れて、その再生が最優先の状況に、文化芸術の可能性をどう導入できるのか、実は涙がぽろりとこぼれる毎日でもありますが、とりわけ40歳以下、特にこれから母親になる人たちと、10歳以下の子供たちがさらされている危険と、それが更に悪化する可能性を想うと、背筋が凍り今起こっていることから目を逸らすわけにはいきません。
同時に、映画を中心としたクリエイティビティの力についても、考えずにはいられません。
たとえば先日お伝えした、渋谷TSUTAYA4階のPFFコーナー6/25変更ですが、今回は、雑誌「ぴあ」休刊も記念して、「雑誌で知ってみに行った映画、あのときみてて、ほんとうによかった映画」ということで、『東京公園』の公開迫る青山真治監督と、『監督失格』話題沸騰の平野勝之監督に登場願います。
毎回不思議であると同時に感動するのが、作品をセレクションしてくださる方々のリストが、決して重なることがないことです。それはそれは見事に違います。こんなときにも、映画の豊かさと可能性を実感するのです。100人いれば100種の人生。それを昇華する映画という媒体は、多様な社会の賜物ですから、生まれ続けて欲しいと願います。

*青山監督が初めて舞台演出に挑戦する『グレンギャリー・グレン・ロス(GGR)』天王洲銀河劇場にて、明後日10日が初日です!


2011/06/07 00:39:05

雑誌の「ぴあ」が休刊です

紙媒体の「ぴあ」を定期的にご覧になっていらっしゃる方が、今これをお読みになっておられる方の何割かは不明ですが、ぴあ誌の1972年から約40年に渡る存在が消えるのは、ひとつの時代の終わりを象徴することは確かだなあと感じています。また、この、雑誌「ぴあ」創立者が、もともと映画監督志望の映研の学生たちだったことから、創刊5年後の1977年にPFFが始まるのですから、たとえ、インターネットの「ぴあ」は続いても、歴史上のある寂しさはぬぐえません。同時に、雑誌「ぴあ」がなくなることで、PFFもなくなるのでは?とご心配くださる方々がおられるのは、この雑誌とPFFが一体化したイメージだったのだと再認識させられました。

ご安心ください。PFFは続きます。

休刊の発表以来、さまざまな方々が「雑多なエンターテインメントの情報をまとめてみることによって、思わぬ映画、演劇、音楽など、自分の得意分野でないエンターテインメントに出会うことができた」という体験を語っておられました。私自身も、幸い雑誌「ぴあ」が傍にあるオフィスにいたことで、食わず嫌いに陥らなくてすんだかな?と思うところがあります。また、現在、第一線で活躍する映画監督の多くが、雑誌で情報を得ていた世代だと感じています。6月25日に更新する、渋谷TSUTAYA4階のPFFコーナーでは、その世代の監督に、たとえば「ぴあ」で偶然見つけて、「あ~あのときこの映画をみておいて、ほんとによかった!」と今でも思う作品を紹介していただく予定でいます。企画詳細決定次第お知らせします。

ところで、先日、海外映画祭関係者が相次いで来日する季節だとお伝えしたのですが、いくつか情報が抜けていました。
まず、ロカルノのディレクターの名前が抜けてました。昨年ディレクターに就任したオリヴィエ・ペールさんです。また、ニューヨーク・リンカーンセンターのリチャード・ペニャさんは、今回は、ND/NFの選定ではなく、秋のニューヨーク映画祭の選定のための来日でした。ちなみに、ND/NFは、「ニューディレクターズ ニューフィルムズ」と読み、春に、まだNYでは馴染みの薄い、少数厳選された世界の精鋭監督を紹介する企画で、非常に注目度&重要度が高いものです。

この季節、海外の方と会い、自分の英語力の低下を突きつけられる厳しい季節でもあります。英語に触れる時間が減ると、英語力は衰えていきます。観る映画が圧倒的に邦画になっているのが、いささか辛い原因のひとつでもありますが(ある外国語の映画&音楽を浴び続けるのは、かなりの語学訓練になります)、仕事柄、邦画圧倒的多数は止まらないでしょうから、あとは勉強です。大人になったほうが勉強しなくちゃいけないなんて、子供の時は考えてもみなかった・・・なんだかこの20年、このことばかり思います。子供時代は、勉強の習慣を着ける時期だったんですねえ・・・あんなに時間のあった子供時代に、このことを知っておきたかった・・・

2011/06/02 13:31:19

エンターテインメントの力

今ちょっと私怒っています。それはもちろん、馬鹿馬鹿しさ1万パーセントの内閣不信任案提出です。怒るとますます中学生化してくるので、幼稚なブログですいません。国の危機を何とかしたいというより、自分たちの存在の危機を何とかしたいという感じに、茫然とさせられます。更には、漫画や小説にあるように、「これって、大きな問題から私たちの目を逸らすための大芝居?」とまで思えてきます。映画の見過ぎですか?
全く報道されませんが、三日前にはコンピューター管理法=サーバー法案が通過していますし、3月には、年間2000億円の「思いやり予算」を5年間米軍に支払うことも決定しています。「過去からの声を継続する」ことと、「管理をすること」が仕事と思ってるんだろうなあ・・・という現実を感じます。具体的に、国政に携わる人々は一体これからどんなことをしたいのか、どんなビジョンがあるのか、具体的に何が失敗だと認識し、何をどう改善するのか、明確なものが見えません。そこが怖くてたまりません。何故なら、ビジョンのない人たちは、過去に固執し、変化を恐れるからです。そして、国政に携わる人たちは、権力と国家予算を持っているのです。

映画の学校などで、たまにお話することがあるのですが、繰り返し伝えたいと思うのは、「映画の仕事」も他の仕事も、この世の中の仕事は全部同じであるということです。目的があり、それに向かう準備と実行と結果がある。そのプロセスをより早く、安全に、確実に、そしてよりよく進めるために、技術と経験を身につける。あるいは、秀でた人の力を借りる。全ての仕事は、コツコツとした地味な作業の集積です。でも、どうも、映画の仕事には特別なものがあるという幻想がある。勿論「幻想があるうちが花」とも言えますが、そこにある「特別なもの」は、多分、映画に限らず、「どんな苦労も苦にならない」かどうか、ということなのではないかと思います。そして、そのことも、まず、コツコツと仕事してみないと、発見できません。
でも、政治の仕事は、このプロセスのない場所?と感じるのです。それも怖さの原因のひとつです。いや、どんな場所にも、まともに仕事している人はいます。まとめて一括りにしてはいけないですね。ごめんなさい。

そんな「仕事のプロセス」というものを、具体的に目撃できるのが、もしかしたら、日に日に拡大を続ける「シルク・ド・ソレイユ」かもしれません。1984年にモントリオールから始まって、現在、世界各地に常設劇場を展開するこの新しいサーカス。映画のサーカスのイメージから、その"哀しみ"(フェリーニの「道」とかね)が少々辛く足を運ばず、誠に遅れてきた観客となった私ですが、彼らの非常に高度な仕事の技術に感服しました。
人を幸せにするために、自らの肉体と技術を使い、素早く、安全に、確実に、そして見事なチームワークで表も裏も仕事する姿を、多くの人に見てもらいたいと、今頃言ってる私です。(小学生の時にみたら、きっと中学校では新体操部に入ったね!と一瞬思ってしまいました。まあ、有り得ないでしょうけど・・)
そして、エンターテインメントの力は「命がけの仕事に必ず伴う哀しみ」にあるのでは、とも同時に思いました。古いタイプのサーカスにある哀しみは「漂泊者の哀しみ」という面が強いのですが、「シルク・ド・ソレイユ」のパフォーマンスにも、ある種の哀しみが漂います。それは、人前で肉体をさらし緊張と美を持続する高度な仕事=エンターテインメントにおける特有の哀しみではないかと思います。そこが、エンターテインメントが、一過性の楽しみでなく、観客の人生の投影を受け得る、持続性のある喜びをもたらす、人類に不可欠なものであり続ける由縁ではと思いました。

ところで、最近は、映画『トゥモロー・ワールド』のことが年中頭にぐるぐるしてます。311以来、あらゆるディザスター映画が記憶の底から浮かんできてるのですが、最近はこればかりです。

2011/06/02 10:03:24

さよなら20世紀

「ざまあみやがれい!」というサイトが、日々充実してきています。
このサイトをみていると、心臓が痛くなって、呼吸困難を感じることもあります。何故そうなるのか、考えてみると、それは、認識するには困難すぎる現実と、死の恐怖、への体の反応なのではないかと思うに至りました。現実が、あまりにも怖い。しかし、現実は消えてなくなってくれません・・・
しかしこのサイト、タイトルだけみると「何?」とひいてしまいます。が、忌野清志郎のステージでの一瞬を記録した言葉だという説明に、安心します。
清志郎がエンディングテーマを歌っている映画を昨年続けて2本みて(『ちょんまげぷりん』と『酔いがさめたらうちに帰ろう』)清志郎のプロフィールに、逝去という言葉が出てこないことを知りました。この世界認識、すごいと思うと同時に、その存在に改めて打たれました。
怖いものは何もないように振る舞った20世紀は終わり、21世紀は、20世紀的手法は全く無力だと思い知らされることが相次いで起こっています。現実を再認識せずには、何も生まれません。過去の経験は、役立ちません。「黙って俺の言うことを聞け」的体質は、過去の遺物です。
PFFアワード2011の応募者は、1980年以降生まれが圧倒的です。これからの人生の人たちばかりと言っていいでしょう。まだ子供がいない人が多いでしょう。責任を先送りして、問題を先送りにする体質の仕事に、つかない、つけない人、受動的ではなく、能動的に生きようと志している人、ゼロから何かをクリエイトすることができる人が多いでしょう。しかし、主に昨年制作された今年の応募作品には、「何かが起きることを待っている」世界が多い。が、今、私たちはそれらの作品を「何かが起きた」あとで見ています。何かが起きたあとに生まれる映画。それは、来年、あるいは再来年に見ることができるわけです。私は、私たちは、今からそれが楽しみでたまりません。同時に、この状況で観てもすごい映画、との出会いも、楽しみでたまりません。
9月の第33回PFFでの上映作品、7月中旬には、招待作品も含め、ラインナップの発表を目指しています。ご期待ください。

2011/06/01 00:30:16

海外からプログラマーの来日する季節です

ただ今PFFアワード2011審査真っ最中の私たちですが、昨年まではこの時期、アワード作品のラインナップ決定後ひと月が経過し、英語字幕のあるものはそのまま、ないものは、同時通訳しながら、海外のプログラマーにお見せしていました。
ということを思い出したのは、6月、7月に来日する海外の映画祭の方々からの連絡が届き始めたからです。
バンクーバー&ロンドンの作品探しにトニー・レインズさんが、ロカルノ国際映画祭のディレクターが、NYのニューディレクターズ・ニューフィルムズのためにリチャード・ペニャさんが、釜山国際映画祭アジア映画プログラマーのキム・ジソクさんが、連続して来日します。追って、トロント国際映画祭、モントリオール国際映画祭と、続くことでしょう。どうやって各氏に作品をみてもらうか、これから取り組みます。

昨年10月のブログで、私自身の海外の映画祭参加の居心地悪さについて告白してしまいましたが、映画祭運営と、映画祭への作品出品との両立という自分の仕事のおかげで、映画祭を客観的にみる訓練もされているのかな・・と感じることもあります。
映画祭、特に国際的な大きい映画祭を使いこなすことが出来る人は、それほど多くはありません。そんな中で、河瀬直美監督は、ひとつの確固たるポジションを持った大きな存在だなあと、カンヌの報道をみながら、改めて思いました。同時に、世界の注目が集まる場所で、自分の創作活動のアピールをきちんとすることができる日本人のクリエイターが100人いたら、これからものすごく大きな力になるなあと、切実に思いました。
そんな人が増えるための活動の一端にどう寄与できるか、PFFの課題はまだまだ増えていきそうです。

プロフィール

PFFディレクター
荒木啓子 Keiko Araki

雑誌編集、イベント企画、劇場映画やTVドラマの製作・宣伝などの仕事を経て、1990年より映画祭に携わる。1992年、PFFディレクターに就任。PFF全国開催への拡大や、PFFスカラシップのレギュラー化、海外への自主製作映画の紹介に尽力。国内外で映画による交流を図っている。

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