審査講評

2020年9月25日(金)の「PFFアワード2020」表彰式にて述べられた、各受賞作へのコメントおよび、最終審査員による総評をご紹介します。
[人名敬称略]

授与理由

グランプリ

【受賞作品】

『へんしんっ!』
監督:石田智哉

【プレゼンター】

最終審査員:大森立嗣 (映画監督・俳優)

とにかく興奮しました。映画をつくる楽しみが、画面全体から伝わってきました。
石田監督が映画の中で頑張ると言われたくないというシーンがありましたが、映画をつくるとか、ダンスをするとか、そういうものは頑張るというのとは違う気がします。努力してもできないことがあって、だけど何かがあるんです。その何かを石田監督は全力で探りながら本能的に知っていると映画を観ながら思いました。彼が画面の中に出てきたり、踊り出したりするのに最初はびっくりして、問われているのは観客なんじゃないかと思いました。彼のことをどのように見つめればいいんだろうと、ずっと自分と画面と会話しながら観ていましたが、僕は彼が楽しんでいる姿が本当に好きでした。
目が見えない方の杖を空中にフワッと持っていっちゃうところ、「彼女にとっては杖は眼球の代わりなんだ」という台詞があって、杖をガッと握りしめてしまうシーンはかなり確信犯でやっているなと思いましたが、感動しました。あのシーンにはダンスと映画でしかできない何かがあった気がします。
映画監督同士ということで一つ欲を言えば、ラストシーンで石田監督が画面の隅で入りたそうに映っている姿が見えたんですが、最後はカメラ横で映画監督然としている姿をちょっと観たかったなと思いました。僕も(齊藤工さん同様)一目惚れですが、ずっと想い焦がれていたものを観たような、そんな感じでした。

[副賞:賞金100万円]

準グランプリ

【受賞作品】

『屋根裏の巳已己みいこ
監督:寺西 涼

【プレゼンター】

最終審査員:齊藤 工 (俳優・映画監督)

一目惚れでした。
理屈が分からない何かが自分の中にこびりついて、すぐさまもう一度観たくなった作品です。監督の視覚、聴覚、感覚に支配されるというか......。配信系メディアのサブスクリプションという様式に今後向き合っていかなくてはならない中、劇場でこの作品と対峙するという意味を個人的に考えて、すごくエネルギーを感じました。映画の中に作品を理解するための数々のヒントが散りばめられていたと思います。監督の中にしかない時間や景観を映画を通じて分けていただき、ものすごいフィルムメーカーとの出会いに感銘を受けました。
実は僕がつくった映画が今日公開初日なんですが、映画って時として残酷で、クリストファー・ノーランの新作と自分の映画、または今回のPFFで上映された入選作品も、お客さんは同じように劇場に足を運んで観るので、フェアに考えないといけない。他の作品を凌駕しなきゃいけないわけではありませんが、お客さんが共鳴してくれるような映像体験をしてもらいたいと常日頃、胸に刻んでいます。
この作品を観ている間、間違いなく作品に魅了され、心地よい時間を頂きました。これからの未来に向けた賞のように見えますが、一つ一つの作品が到達点だと思います。昨年グランプリだった『おばけ』が劇場でかかっているように、次の作品が楽しみで推薦したというよりは、この作品が一つの到達点に達しているんじゃないかと思います。今後の監督の作品も楽しみですが、この作品を時間をかけてゆっくりと、時代に合った届け方をしていっていただきたいです。

[副賞:賞金20万円]

審査員特別賞

【受賞作品】

『頭痛が痛い』
監督:守田悠人

【プレゼンター】

最終審査員:平松 麻 (画家)

私はもう十分な大人なんですが、「自分を大事にしなよ」と未だによく言われます。自分の存在が何かもわからないのに、自分を大事にすることなんてわからなくて、「そんなことを言われても」といつも思います。
この映画の中で主人公のいくと鳴海は、自分を大事にすることがわからずに自分を傷つけている二人ですが、自分を傷つけるというのも自分を大事にする方法の一つだと認めたい気持ちになりました。存在という精神的なものではなく、肉体に助けを求めることも当然あるのかと。
映画を観ている間じゅう、監督の在り処を探していました。守田監督はいつもいくと鳴海の横にいるように私には見えました。ひとのいたみを分かったつもりでやり過ごしてしまう危うさに守田監督は向き合っていたのだと思います。
私が好きなシーンの一つめは、二人がヒッチハイクをする時に「あの世」というプラカードを掲げるシーン。もう一つは、鳴海が家に帰ってきてポストを開き、外光を背にして前髪がかかる眼が写されたシーン。いたみとは無関係の少女らしいいっときを、鑑賞者は大事にしたくなります。この映画には重いシーンがたくさんありますが、ああいったチャーミングなシーンがあることで、映画が倍以上の広がりをもって鑑賞者に届いていくのではと思いました。
守田監督には、決していくと鳴海の側を離れない覚悟を感じましたが、例えば、主人公たちと別軸に描写されるカップルの男性側の目線に監督が立ったとしたら、この映画をどう撮るでしょうか?少女二人を改めてどう見つめるのか、どのシーンを切り捨て、どのシーンを掘り下げていくのか。主人公のそばをもう少し離れたときに、きっと「いたみ」の描写が彫刻的に変化していくんじゃないかと思いました。
"無視することができない才能"そのものだと思いますので、これからも「いたみ」に寄り添ってくれる視点を待っています。

[副賞:賞金10万円]

【受賞作品】

『MOTHERS』
監督:関 麻衣子

【プレゼンター】

最終審査員:樋口泰人 (プロデューサー)

今回入選した17本の中で最も記憶に残る作品でした。
普段自分の身の回りにいる人たちと監督のご家族が、あまりにも違った衝撃的な存在として映画の中に現れていて、まず驚きました。観終わると次々に人に話したくなるような、そんな映画になっていました。否定的な見方をすると、あの家族以外に監督は何を撮りたかったのか、次の作品はどうするのかという疑問が当然出てくる。
僕が思ったのは、身近な人たちにカメラを向けることで何かが変わる。監督自身もカメラを向けたことによって自分の知らない人がそこに立ち現れたような、そんな気持ちがしたのではないかと勝手に想像しました。逆に編集の時には何をカットして何を繋げていくかという過程で、監督が自分の家族への想いや、これまであまりに身近すぎてなかなか冷静に見られなかったものを見て、おそらく監督自身も変わったんじゃないかと思います。それは物凄く地味なことですが、映画という運動体はこういう小さなことから始まるのではないかと感じさせてくれる作品でした。つまりここに映っていたご家族は実際に存在しますが、監督の映画によって出来上がった人たちでもあり、そういう意味では徹底したフィクションになっていたと思います。だから鑑賞後、いろんな人に話したくなったのではないか......そんなことを思いました。
そしてこの先まだまだいっぱい撮るものがある。お姉さんもいる、お母さんも何人もいる、おばあちゃんもいる。その度に映画の運動が始まって、新しいキャラクターが生まれてくるのではないかと思います。そういうことを繰り返して、今後もみんなが嫌だと言うまでどんどん撮り続けてほしいです。自分もみんなも飽きた頃にようやく何かが見えてきたとしたら、それがまた新しい映画になるのではないかと思います。ぜひ今後もずっとずっと撮り続けてください。

[副賞:賞金10万円]

【受賞作品】

『未亡人』
監督:野村陽介

【プレゼンター】

最終審査員:古厩智之 (映画監督)

この映画は野村監督自身が主演していて、彼はすごく魅力的でいろんな表情を持っている。
好きな女の子を一番の親友に取られた時、開口一番に何を言うかなと思ったら「どっちから告白したの?」。「お前、今それか!」と(笑)。お母さんの墓穴を掘るために被災地でもある東北の故郷に行き、ブルーシートが敷かれた野山を歩き回りながら真剣な顔を見せる。デリヘルの女の子にお姫様抱っこをしてもらって「親切ですね」と言う。
出てくる顔はてんでバラバラで、それそのものがオブラートに包まれたり、ユーモラスでシニカルな目線で引いて描かれたりしているんだけど、彼自身の中にスッと入るといろんなものが渦巻いて混乱していて、だからこそああやって生きるしかない。ああ、こいつ必死に生きてるんだなって感じがしたんです。そこがすごく魅力的で、感動しました。感情がすごく動いた。とても良かったです。

[副賞:賞金10万円]

エンタテインメント賞(ホリプロ賞)

【受賞作品】

『こちら放送室よりトム少佐へ』
監督:千阪拓也

【プレゼンター】

堀 義貴 (株式会社ホリプロ 代表取締役社長)

最近のお笑い芸人は5分のネタを作れと言われると、5分の漫才やコントを作ってきます。でも本当は1時間半のネタを5分に縮めたものがいちばん面白い。テレビなんかで5分じゃ足りないから10分に延ばしてくれと言われると、5分のネタしか作らなかった人は延ばせないんです。この作品は10分の間に言いたいことや見せたいものが全部収まっていて、サイドストーリーを考えようと思えばいくらでも考えられる。でもそれを全部削ぎ落として、本当にささやかな幸せを表現している。ラストカットは見る人によって感じ方が違うと思いますが、完結させないでお客さんに預けるというとても素晴らしいストーリーです。16ミリであれだけうまく音をシンクロさせているのにも非常にびっくりしました。他には弊社のスタッフから『頭痛が痛い』、『屋根裏の巳已己』、『パンク』、個人的にドキュメンタリーが好きなので『MOTHERS』など様々な作品が候補に上がりました。エンタテインメントと一言で言っても色々なジャンルがあります。日常が失われてしまって人と出会うことができない、ありふれた幸せが本当に大事なんだと実感した中で、今回はささやかな幸せを感じさせる作品を選ばせていただきました。

[副賞:AMAZON商品券]

映画ファン賞(ぴあニスト賞)

【受賞作品】

『LUGINSKY』
監督:haiena

【プレゼンター】

岡 政人 (ぴあ株式会社 デジタルメディア・サービス事業局 専任局次長/新ぴあ編集部 部長/「ぴあ」編集長)

一般公募で選ばれた3名の審査員の方に映画祭会期中に会場で17作品をご覧いただき、審査会議を経てhaiena監督の『LUGINSKY』に決まりました。審査会議で出たコメントを紹介いたします。コラージュアート作品で静止画なのに躍動感があって、想像力を掻き立てられる。ストーリーやテーマもしっかりしていて引き込まれる。中毒性がある。海外ならドラッグムービーになりそうだが、アルコールをモチーフにしているのが日本的でもあるし、オリジナリティを感じた。入選監督の中でhaiena監督は最年長ですが、ぜひ次回作を映画館で観たいですし、スカラシップにチャレンジしていただきたいということで、審査員3人満場一致でこの作品に決まりました。他には『アスタースクールデイズ』、『遠上恵未(24)』、『冬のほつれまで』、『MOTHERS』、『もとめたせい』、『フィン』、『屋根裏の巳已己』などが候補に挙がりました。あらためてhaiena監督、受賞おめでとうございます。

[副賞:映画館ギフトカード]

観客賞

【受賞作品】

『アスタースクールデイズ』
監督:稲田百音

【プレゼンター】

岡島尚志 (国立映画アーカイブ 館長)

観客賞ですから私が選んだ賞ではありませんけれども、実は私も入選作品17作品全て観させていただいて、その中で全く嘘偽りなく、いちばん好きな作品でした。ニューノーマルを予見するようなやわらかい印象のあり、相米慎二の映画のようでもあります。相米慎二は「人が何もすることがない時にどんなことをするのか」について極めて繊細な観察を続けた監督だと思います。稲田監督も、人の眼差し、所作、動作を日頃から大変細かく観察をされている方だと思います。そのクレバーさが映画の中に非常に聡明なかたちで表現されていると感じました。18才で撮った映画だというのは信じられませんが、18才でなければ撮れないような映画であった気もいたしております。海外で映画祭の審査員をさせてもらう際に最も気になることの一つが観客賞です。選考の結果に影響を与えるわけではありませんが、5年後、10年後、観客賞を受けた作品のほうが素晴らしかった、観客賞を受けた監督がより優れた監督として時代に名を残したという場合が少なからずございます。ですから、稲田監督には観客賞というのを名誉に思っていただきたいです。

[副賞:国立映画アーカイブ記念グッズ]

最終審査員による総評

大森立嗣
映画監督・俳優

結局は分かり合えない他者とどうやって向き合っていくのか。スタッフ、俳優、未だ見ぬ観客の方々、そういう他者とどう向き合うのかというのが僕の映画づくりの原点にあって、そういう観点で映画を見てしまうところがあります。やはり「死」といういちばん大きなわからないものに関する映画が多かったような気がしました。それから、自分と異なる非対称なものに対してつくられていて、17作品のレベルの高さを感じました。 『タヌキ計画』には興味があって、コメディタッチの作品が他になかなかなかったので好感を持ちました。台湾出身の監督で、日本人という他者に対してどう接していくのかという映画だと僕は解釈して観ました。ヘンな薬でわけがわからなくなっちゃう発想も面白いし、タヌキ協会のおじさんのキャラクターもすごく面白かったんですが、物足りなかったのが、一緒に住む女の子に対して主人公はどう向き合うのかというのを描いてほしかったなと。彼女がステレオタイプの女性に見えてしまったのが残念だったところです。
それから『もとめたせい』は、前半から中盤くらいの演出力、俳優の力はもしかしたらいちばんだったかもしれないです。すごく期待しました。俳優を監督が信頼していて、俳優が能動的に演技をしているというのがいちばん見えた作品でした。僕はそういう俳優に対する演出がすごく好きなので。ただ最後のブラジャーを切り裂いていくシーン、あそこは監督がコミットしていかなきゃいけない部分だと思いました。ちょっと投げ出している。ああいう飛躍をする時に、脚本上あるいは彼女のキャラクターや立ち姿とか、何か些細なことでいいかもしれないんですけど、もう一つ説得力を持たせてあのシーンにつながっていけば、より面白くなったような気がします。
すごく楽しませてもらいました。ありがとうございました。

斎藤 工
俳優・映画監督

楽しい時間でした。4名の審査員の方達と一緒に作品に向き合う貴重な時間の中で、自分の見方の角度も増えましたし、作品がどんどん自分の中で発酵していくという体験をさせていただきました。
『遠上恵未(24)』は僕の中でもどこに置いておいたらいいのかわからない作品で、とても面白かったです。自分自身にカメラを向けていじくりまわすというのは、映画づくりの中で多くのフィルムメーカーがチャレンジする作風でもあると思うのですが、実は何層にもレイヤーが重なっていて、代表作のない女優さんという設定が、僕も職業柄他人事じゃなかったです。編集をしている姿、表情という監督が見せたくない究極の秘密を見せる、そして自分を縛る。とても引き込まれました。欲を言うと、遠上さんが日常の中で俳優としての鍛錬をする、踊りを踊るとか、セリフの練習をするとか、そういうシーンがあったら最強の作品になったんじゃないでしょうか。
続いて『フィン』。監督がさっき登壇して、電車の中で見た夢の話をした、あの世界観が監督の作家性なんだと思いました。セリフが本当に気が利いていて、「そのうちわかるほうがセクシーじゃない」などの言葉たちが意味するものが監督の作品のフィロソフィーなんじゃないかと思う瞬間がたくさんありました。PFFが終わりではなく、ここから作品に触れた人間たちの中で、そのうちわかるセクシーな展開をしていっていただけたらなと思います。個人的には、彼女は本当に猫だったんじゃないかという方向性を強めていくと、映画の魔法みたいなものが後味として効いたのではないかと。それから、登場人物が皆さん歌を歌ったり写真を撮ったりする表現者なので、僕だったら彼らのポエジーがわいた作品を最後に少しだけ見せて映画を終わらせたかもしれません。でもそれをしない後味、余韻が監督のポエジーなんじゃないかとも思いました。
最後に『こちら放送室よりトム少佐へ』。17作品の中で、最も監督の演出というか映画に対する積み上げたものが細部まで通っていました。先ほど堀社長からもお話がありましたが、現代はどう尺に収めていくかという作家性が求められている時代だというのが事実だと思います。同時に僕はもう少しだけ余白があったら、この映画の素晴らしい世界により浸れたんじゃないかとも思いました。そして1989年という特殊な時代設定の意味がもう一つ観客に伝わったら、よりエモーショナルな作品になったんじゃないかと。千阪監督の作品には放送室を描いたフィルムが多いと聞いていますが、放送室に特化したフィルムメーカーはいまだかつていなかったので、今後も放送室から描いてほしいです。放送室は秘密を共有するという行為が映画館に似ていると思いました。
全体を通して皆さんとても巧妙で、スマートフォンで映像をつくれる技術の進化や、それに対応する柔軟性があると思いますが、その巧妙さの影に人間性が隠れがちで、探しに行かないとなかなか出会えないこともある。なめらかな映像表現ではあるけれども個性が薄まってしまっているんじゃないかと思いました。自分の作品がグランプリじゃなかった監督にも、大いなるきっかけを持ち帰ってほしいです。悔しかった、恵まれた、評価された、報われたというきっかけがあると、次の座標に向かえます。
私事ですが、いろんなことを周りが決めていくんですよ、自分のことなのに。気がつけばセクシー俳優みたいな立ち位置で、それを受け入れた地点からまた手を伸ばしたところに新たな座標がありました。皆さんも今後理不尽なくらい大人にいろんなことを決められて「そんなつもりじゃないよ」と思うでしょうが、大いなるきっかけを持ち帰っていただいて、僕は皆さんのこれからのフィルムメーカーとしての時間を楽しみにしております。

樋口泰人
プロデューサー

物凄く新しい体験でした。ここ10年くらい、もっと前から若い子がスマホでしか映画を観ないという話をいろんなところから聞いていて、「俺らも小さい頃にテレビで映画を観て映画を好きになったし......」と思っていました。17作品をまとめて観てみると、映画という位置付けが、われわれが考えている映画とは違うものになっているのではないかとさえ言いたくなるくらい、大きな変化をしているんじゃないかと感じました。
自分の足元をちゃんと見ていて、目の前の人とどう向き合うか。今ここで起きていることをどう捉えるか。そういうところにカメラを向けて映画を撮っているのがしっかり伝わってきました。スマホでも映画を撮れちゃうのでたまたま映画になったとか、あるいは映画というものが遠くにあってそこに向かって走っていくとかいうのではなく、カメラを持って自ら目の前のものと関わる中で自然に立ち現れてくる映画を捕まえる、そんな映画づくりの新しいやり方を若い子たちが自分たちの関係性の中でつくり出してきたという印象を受けました。
いつも上映の方に関わっているので、上映の方法も新しい映画に合った新しい方法があるんじゃないかと思いました。皆さんは今後作品を映画館、シネコンでかけたいと思っているかもしれませんが、そんなものはクソだと思って自分たちのやり方を貫き通してほしいです。そんなことを思わせてくれたのは、『パンク』です。鈴木監督は上映後に登壇したときも一緒に登壇した監督を自分の企画に誘っていましたけど、どんどん上映イベントをやってほしい、その中で映画を撮り続けて欲しいと思いました。なんならboidも協力します。
『アスタースクールデイズ』には本当にびっくりしました。単に花を差し出すだけで映画になってしまうなんて大事件ではないか、こんなことができる人がちゃんといるんだと。人と人との葛藤や、社会と自分がどう向き合うかといった、闘いと和解によって何かが変わるというつくり方をする映画がほとんどですが、この作品はそういうものとは全く違う立場を見せてくれました。少年が花を差し出して、相手のイメージを花に例えて伝えるだけで、世界が変わっていく。映画のつくり方として画期的だと思いました。こんなやり方で次々に映画を撮ってほしい。心から応援したいです。そして物語自体はファンタジーっぽくもありますが、17作品の中でいちばんパンクだなと思いました。カットの切り方が普通のちょうど良さからちょっと外れていて、画面からブチッという音が聞こえてくるようなところが何箇所かある。あのブチッという音が映画館で聞けるならこんな喜びはないと、実は常に思っているんですよ。例えば10年後、稲田監督がこの映画を観返して下手くそだと思ったら、自分は違う道に行ってしまったと思ってください。そうなったら後戻りはできないので、頑張ってくださいとしか言いようがないんですが......。
『追憶と槌』は短い中にいろんなものが詰まっていて、特に面白いなと思ったのが、映画のマテリアルな部分をちゃんと捉えているところ。デジタル化してフィルムがなくなってから、若い人たちが映画の物質性をどう捉えるかというのが、フィルムの時代を知っている人間としてはもの凄く気になるところだったんです。雪の壁でスクリーンを作って、全力でぶち当たっていく。へこんだ部分に過去の映像を流して、今彼が思っている現実と過去が見事にシンクロして一つの姿になる。未来、と言ってもいいかもしれません。そんなまとまりを見せてくれて、心がいろんな世界に飛び散りました。
皆さん、これからいろんなことを言われるかもしれませんが、今のつくり方をなんとか曲げないで、自分の足元から目の前の人と一緒に映画をつくっていってもらえたらと願うばかりです。

平松 麻
画家

『霞姫霊異記』は独特の作品で、あえて言葉にするなら、水しぶきがすごい岩場の岩の裂け目に吸い込まれたのち、たまたま目撃してしまったような違和感たっぷりの物語でした。アフレコによるズレた間合い、「霞姫」の見えない存在、視点がズレている登場人物たちに翻弄される映画体験でした。こういった日常から少しだけズレたところにこそ、人が見つけていない秘密や発見や気づきが埋まっていると思うので、そのズレを体得しているのが高階監督の不思議な魅力なのではないでしょうか。ただ「ほんとうの愛」については分からないままでした。

『LUGINSKY』には定番を打ち抜く新しい景色を見させていただきました。色彩、音楽、声音が、めくるめく螺旋し、こちらが思考する間もなくシーンが変わっていくので、思考を吹っ飛ばしていく爽快感がありました。直感を頼りにして観る体験でしたが、それを流れたままにさせないのが、haiena監督の言語感覚でした。間や余白がたっぷりとられた作品が多いなか、喋りっ放しの『LUGINSKY』は言葉に強靭さがありました。監督の武器としか言いようのない声音が黒豹にのっかって、延々続いていって終わらせてくれない、そんなhaiena監督のねちっこさに傾いた魅力を感じました。

私は画家という立場でこの映画祭に参加しましたが、映画監督という存在のすさまじさに溺れて相当に幸せなときを過ごさせていただきました。入選監督17名の映画作品を観て絵を描く、それだけを一ヶ月間ただただ繰り返しました。
映画は「ひと」そのものだと分かりました。ひとが何であるか、関係が何であるか、生きる死ぬが何であるか、答えも何もありませんが、映画監督の皆さんが徹底的に向き合った結果には「ひと」が欠かせません。これは当たり前のことかもしれませんが、私は他者と向き合うことより、自分の内的世界にだけ矢印を向けて生きていたなと、だからこそ絵が描けているわけなんですけれども、映画は他者と向き合うことなく成立しない芸術表現なのだと思います。審議会中、大森監督がぽろっとおっしゃったひと言「もっと他者と向き合ってからこいよ!」という矢は、私のみならずきっと入選監督の皆さんにも刺さったのではないかと思います。ハッとしました。
入選監督の皆さん、そして最終審査員の皆さん、PFFの皆さんが、映画を通して自己にも他者にも向き合いもがく姿こそ、希望そのものだと私は目撃できたのです。
映画には、絵画とはまた違った、光のうつろい、連続するひとの動き、聴こえる音楽、見える時間、語られる物語など、表現をかたちにして伝える方法がいっぱい詰まっているように思います。あらゆる方法を土台にできる芸術表現も他にそうないかなと羨ましくもあります。映画を観させていただき、本当にありがとうございました。17名の監督とまた大きなスクリーンを通して出会える日が心底たのしみです。

古厩智之
映画監督

ひとりぼっちでつくっているような映画が多くて、コミュニケーションをしている映画が少ないなと審査会議でも言ったんですけど。でも、例えば『未亡人』とか気に入っちゃったりして。大森さんが「お前、言ってることと違うな」って目で僕のことを見ていて、ハッと気づくとその通りでした。映画にはコミュニケーションがないと絶対いけないんですよ。人と人がいてこの間に何かが投げ交わされないと全然面白くない。でも同時に映画はどこかすごく不健全で、一人の手遊び、ひとりぼっちの世界というところが必ず不可分にあります。どっちもどっちだからお互い苦しい......そんなものなんだとあらためて思い出しました。
『冬のほつれまで』は誰とも話さず絵を描くふてぶてしい女の子の話で、彼女の日常は自分の好きなもので満ちていて、自足しているんですよね。空っぽじゃなくて満ち足りている人。自ら足ることを知る人っていうのはすごく魅力的で引き寄せられる。彼女一人の世界を描いているんですけど、彼女が周りをちょっと動かしていく。微かだけど行き交わされるものがあってグッときました。夕暮れとか冬の午後の粒々した光とかが、一人の生きている人間と等価値に残っていくような不思議な空気感でした。ちょっとカウリスマキを思い出しました。
『Fear of missing out』。こんなに駐車場が映っている映画は見たことないです(笑)。ずーっとただ駐車場が映っているんですけど、なんか見ちゃう。トラックが並んでいるのがなんか面白い、車内の光が綺麗だ、畳の揺れる木の葉の影が美しい、滑り台をガガガと滑る......モノに注目してるんですよね。助手席の女の子をずっと後ろから撮って表情は見えなくて、あるオブジェのように見えたりとか、オブジェクトというか。何を撮っても再構築して箱庭のようにしてしまう稀有な才能で、世界は本当は無意味でしかないけど、河内監督が撮ると意味がついていく。不思議な体験でした。「遊びだ! おもちゃだ!」って撮っていく感覚はすごくわかるんですけど、人間を真正面から撮らなければいけなくなった時、さらに人間に向き合う人を撮る時にどうなるのか、見たくなりました。すごい可能性だなと思います。