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PFFから早稲田へ!早稲田大学 大学院情報

case01 横川兄弟監督

1999年の『失跡~1998年の補足~』、2001年の共同監督作『虫たち』がともにPFFアワードで入賞を果たした横川兄弟監督。2度の入賞を果たし、Vシネマなどの助監督を務めた後、彼はこの早稲田大学の大学院の門を叩いた。現在在学中の彼にその経緯と研究室での日々について伺いました。

映画への情熱を取り戻すために

―まず、最初に自主映画の制作を始めたきっかけを教えてください。

「実を明かすと、僕はシネフィルでも映画ファンでもなかったんです。小学校からの友人が大学に入ったとき、映画制作を始めて。その影響で自分も作ってみたいと思うようになったんです。だから、本当は大学を卒業したらきっぱりやめるつもりでした。でも、元来、ひとつのことに熱中するとやめられなくなるタイプで。いつの間にかはまって抜けられなくなってしまった(笑)。最初は監督という仕事を目指すなんて微塵もなかったんですけど。PFFで受賞できたことで、“自分も撮っていいのかなぁ”なんて思うようになりました。」

―PFFの入選(2001年)から、大学院に入学するまでにタイムラグがあるのですが、そのあたりの経緯を教えてください。

「撮影所が監督の助手を募集するような時代ではないですから、Vシネマの助監督をしながら、脚本を書いてみたいなサイクルで、自分の創作活動を続けていました。でも、Vシネマの仕事でまったくギャランティが出ないことが多々あり…。食うに困る状況になってきて、わりと実入りのある企業ビデオの制作なんかを請け負うようになったんです。ただ、これをはじめたことで、生活の糧を得るためだけに必死な状態になってしまい、まったく創作をしなくなってしまって。一時あれほどあったはずの自分の映画に対する情熱が薄れていってしまった。そんな中、TVを見ていると荻上直子さんや井口奈巳さんといったPFFで受賞歴のある同世代の監督たちが次々とメインフィールドの映画を発表している。“自分はいつの間にか映画からずいぶん遠くの場所に来てしまったなぁ”と思って。“これはもう一度最初からやり直してみよう”と思ったとき、ぴあと早稲田大学大学院の推薦入学制度の存在を知りました。」

大学院に入っていきなりプロの現場を経験

―入学に際してリサーチしたことと思います。実際のところ、入学に踏み切った最大の理由は何だったのでしょう?

「まず、PFF入選監督で、すでに推薦で大学院に入っていた日置珠子さんと亀渕 裕さんとお会いして、どんなことが実際に学べるのか聞きました。そのとき、インターン制度があって実際の映画の現場に入れることを聞いたんです。実際そのとき、日置さんが山田洋次監督の現場に入っていた。僕にしてみれば、山田監督なんて雲の上の人で、教科書に出てくる歴史上の偉人のような存在。そんな日本映画のプロ中のプロが集まった現場に、大学を介して入れるのかとびっくりしました。自分は映画を作ってきたけど、本当の意味でのプロの現場、一般の劇場でロードショー公開されるような映画の現場をまったく経験していない。そこに確かに引け目もあった。僕が入学した最大の理由は、この現場を経験できること。これをきっかけにもう一度、一から映画を学び直そうと思ったんです。」

―で、実際に現場には入れたのでしょうか?

「はい。映画音楽も数多く手がけられている小林武史さんの初監督作品の現場に入ることができました。そこで昔の知人に会って、うれしいことに人脈ができて。それから、ちょこちょことほかの現場にも呼んでもらいました。」

本当の意味でのプロの仕事が見えてきた

―その現場の経験は大きな収穫になりましたか?

「なりました。少しですけど人脈もできましたから。それから大学院でのカリキュラムに関しても、非常に今後に向けて有意義なことを学べていると実感できています。現場を渡り歩いたこともあって、言うほど講義に出ていないんですけど(笑)、例えば加藤先生の『シナリオ作法と映像』の講義は勉強になりました。段階を踏んで脚本を書き上げていくんですけど、そのたびに講評して。問題点を洗い出して解説してくれる。人の講評を聞いているだけでも、自分に何が欠けているのが見えてきて。これまでシナリオは自分の創作に任せて書き上げて情熱を吹き込めばいいぐらいな感覚があったんですけど、それを伝え、より広がりをもたせるためには、鍛錬に裏打ちされたテクニックも必要ということを痛感しました。あと、この加藤先生もそうなんですけど、どの講師の方も実に親身になって僕らと向き合ってくれて、惜しみなく自分の体得してきたことを教えてくれる。これも大きな財産になると思います。あと、僕はいまひとつ使いこなせてないんですけど、プロの映画関係者が来て、機材を見ると『こんなところに、こんなすごい機材があるなんて!』と驚かれて。人によっては、『こんなところで時々しか使われないのは、宝の持ち腐れだ!』なんて言っているので、たぶん相当すごい設備が揃っていると思います。」

―では、今充実した日々を送っている?

「そうですね。周りにも同じような志を持った人がいるので刺激にもなります。自分がやりたいことがあれば、それを具体的に実現できるチャンスがここにいれば必ずめぐってくると思います。」

現在、監督作品を制作中

―今はどういうことを大学で行っているのでしょう?

「安藤教授が奔走してくれて、今、キャンパスのある本庄を舞台にした映画を製作中です。僕ともうひとりで監督を務める予定です。」

―現場の経験を経て、早くも実践の創作ですか?

「そうですね。自分でもこんなチャンスに恵まれるなんて夢にも思っていませんでした。脚本も書いているんですけど、安藤教授からダメだしを出されっぱなしです(笑)。でも、安藤教授もほかの講師の方もそうなんですけど、僕らを学生ではなくて映画制作者として本気で怒ってくれる。これもありがたい話です。この期待になんとか答えようと今は必死になって作品の下準備に追われている毎日ですね。」

(2009年10月5日 取材・文:水上賢治 写真:マザーズクリエイティブ)

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