PFFの歴史 History
1970年代
1977
「第1回ぴあ展〈映像部門〉」(東映大泉撮影所)にて自主映画をオールナイト上映。大森一樹&長谷川和彦監督。
1978
「第2回自主製作映画展 OFF THEATER FILM FESTIVAL1978」3会場同時オールナイトで自主映画を上映。森田芳光、長崎俊一、石井聰亙監督らが入選。
1979
「OFF THEATER FILM FESTIVAL '79」 4映画館で同時開催。自主映画の公募作品をぴあ編集部選考から、大島 渚監督らプロがセレクションする方向に改革。高校性の犬童一心、手塚 眞監督らが入選。
1980年代
1981
名称を「ぴあフィルムフェスティバル」と改め、池袋文芸坐で開催。「一般公募部門」「海外招待部門」「特別企画」の3本柱の多彩な映画祭に。黒沢 清、松岡錠司、緒方 明、利重 剛監督らが入選。
1982
世界的巨匠のレトロスペクティブ第1弾「フランソワ・トリュフォー全集」を実施。日本初上映作や監督来日で沸きかえる。この年から公募作品選考に寺山修司氏参加。
1983
審査員が登壇しての公開審査が行われる。海外招待部門で上映した『ピンク・フロイド/ザ・ウォール』『危険な年』が公開嘆願運動を巻き起こす。
1984
高校生の風間志織監督で「PFFスカラシップ」スタート。ホウ・シャオシェン監督日本初紹介(写真は後年のもの)。怒涛の「ルイス・ブニュエル全集」実施。塩田明彦監督入選。
1985
名匠マキノ雅裕監督回顧展。一般公募部門応募数760作品。14作品入選となる。諏訪敦彦監督入選。
1986
「特別企画」でNYインディペンデント特集。ジム・ジャームッシュ、スパイク・リー、ジョン・ウォーターズ監督らが来日。公募部門に橋口亮輔、成島 出、園 子温、平野勝之監督らが入選。
1987
ケン・ラッセル監督レトロスペクティブとイギリス映画大特集。フィリピンの新鋭、レイモンド・レッド監督特集。
1988
「一般公募部門」を「PFFアワード」と改称し、コンペティションに変わる。初のグランプリは塚本晋也監督『電柱小僧の冒険』8mm。
1989
グランプリに橋口亮輔監督『夕辺の秘密』他。篠原哲雄監督入選。NYU卒業制作作品を特集。
1990年代
1990
ヨーロッパ、アジア、北米の短編30本を特集。グランプリは矢口史靖監督の『雨女』8mm。審査員特別賞の天願大介監督は翌年劇場映画デビュー。
1991
「PFFアワード」がビデオ作品の応募受付を開始。賞金やスカラシップ制度の改革も。小松隆志監督『はいすくーる仁義』プレミア上映。大谷健太郎監督入選。
1992
東宝60周年とPFF15周年記念で東宝(株)と共催開始。シャンテシネで開催。PFFスカラシップ『二十才の微熱』、『裸足のピクニック』完成披露。グランプリは古厩智之監督『灼熱のドッジボール』16mm。
1993
中村義洋、奥原浩志監督ら8mm作品で入選。河瀨直美監督の初フィクション作品『白い月』16mmを招待上映。
1994
グランプリは佐藤信介監督『寮内厳粛』16mm作品。熊澤尚人、杉浦昭嘉、豊島圭介監督入選。東宝(株)とYESレーベルを設立し、第1弾として『渚のシンドバッド』(橋口亮輔監督)を製作。
1995
邦画最新話題作16本を上映。グランプリに初の女性、初のビデオ作品の大月奈都子監督『さようなら映画』。YESレーベル第2弾『ひみつの花園』(矢口史靖監督)を製作。
1996
応募総数690作品11作品入選。招待作品ではフランス映画に注目し、アルノー・デプレシャン監督来日ほか5名の若手監督を紹介。
1997
20周年記念で世界の巨匠のデビュー短編を特集。グランプリ作品『シンク』(村松正浩監督)と準グランプリ作品『鬼畜大宴会』(熊切和嘉監督)が劇場公開されヒット。古澤健監督入選。
1999
「PFFパートナーズ」による共同主催の運営となる。応募総数914本、入選16作品。『一瞬の夢』上映でジャ・ジャンクー監督来日。
2000年代
2000
中国語圏のインディペンデント映画を特集。PFFアワードで『青~chong~』(李 相日監督)がグランプリほか3賞を受賞、翌年劇場公開される。
2001
ミヒャエル・ハネケ監督アジア初のレトロスペクティブが実現。「キング・オブ・カルト石井輝男」特集。PFFアワードグランプリ『モル』タナダユキ、『犬猫』井口奈美、『自転車とハイヒール』深川栄洋監督が劇場公開に。荻上直子監督入選。
2002
日本独自の文化ピンク映画の特集「PINK 2002」実施。応募作品の大半がビデオでの制作となる。内田けんじ、村田朋泰監督入選。
2003
PFF25周年。三池崇史監督『極道恐怖大劇場 牛頭〈ごず〉』韓国映画アカデミー卒業製作やテレビからの新作家を紹介。グランプリ上田大樹、準グランプリ木下雄介、三浦大輔監督ら。
2004
髙橋 泉&廣末哲万監督によるユニット「群青いろ」の『ある朝スウプは』『さよならさようなら』が衝撃を与え、劇場公開へ。PFFと重ねて「テオ・アンゲロプロス映画祭」を行う。
2005
人形アニメーションの巨匠・川本喜八郎監督『死者の書』をワールドプレミア。PFFアワード応募作品が786本となりセレクション方法更新を続ける。
2006
熊谷まどか『はっこう』グランプリ。報道に“女性監督”という言葉消え始める。準グランプリ市井昌秀『隼』が海外でも人気に。
2007
前年逝去したロバート・アルトマン監督を特集。映画祭終了後もユーロスペースにて上映企画を続ける。PFFアワードグランプリは石井裕也監督『剥き出しにっぽん』
2008
PFF30回を記念してダグラス・サークとミロス・フォアマンを特集上映。グランプリは市井昌秀監督『無防備』。岨手由貴子、内田伸輝、松野 泉、吉田光希監督らが入選。
2009
日本唯一の国立映画機関である、東京国立近代美術館フィルムセンターとの共催が実現し、同機関の大ホールで初めて自主映画が上映される。招待作品ではイーストウッドと大島渚に注目。
2010年代
2010
「こわくない!はじめての若松体験」と題して、ソフト化されていない作品を中心とした若松監督の特集。PFFアワードでは片岡 翔、廣原 暁、奥田庸介監督らが入選。
2011
白黒映画を特集上映。タル・ベーラの代表作『サタンタンゴ』438分も。映画のコツプログラムでは長谷川和彦監督が岩井俊二監督、河瀨直美監督それぞれと対談する企画を。
2012
映画の「画」の力に注目しマイケル・パウエルの特集。森田芳光監督の追悼企画。グランプリ『くじらのまち』鶴岡慧子監督、海外での人気も高く日本のみならず台湾でも劇場公開へ。
2013
35回の節目となり「手仕事としての映画」を再考察。特別講座「今、改めて特撮」や、レイ・ハリーハウゼンの特集も。審査員特別賞『山守クリップ工場の辺り』が海外でも人気に。
2014
常に新しい映画体験を与えてくれる羽仁 進監督を特集。「素晴らしい特撮の世界」では黒沢 清監督も登壇。審査員特別賞の渡辺大知監督『モーターズ』、日本映画ペンクラブ賞の我妻和樹監督『波伝谷に生きる人びと』公開へ。
2015
アメリカの偉才=異才、サミュエル・フラー監督を特集。グランプリ『あるみち』がベルリン国際映画祭に招待され、杉本大地監督ベルリン参加最年少長編監督に。
2016
ベルリン+香港+PFFの3映画祭共同企画「8mmマッドネス」11作品を2Kデジタル変換世界巡回上映。準グランプリ作品の岩切一空監督『花に嵐』が話題に。
2017
鈴木卓爾&矢口史靖監督に若手監督7名が挑む「ワンピース・チャレンジ!」が大人気。グランプリ『わたしたちの家』と観客賞『あみこ』が2作品同時にベルリン国際映画祭から招待。
2018
節目の40回目の開催では、生誕100年を迎えた名匠、ロバート・アルドリッチ監督を特集。10作品を上映し大盛況。さらに、名カメラマン・たむらまさきの追悼企画も。
2019
劇場版『ガンダム GのレコンギスタⅠ』の特別先行上映に富野由悠季総監督が登壇し、2時間に及ぶ白熱したトークを展開。『おばけ』が満場一致でグランプリを獲得。
2020年代
2020
新型コロナウィルス感染予防対策を徹底して開催。石井裕也監督『生きちゃった』の世界最速上映、巨匠ロイ・アンダーソン監督のアジア初コンプリート特集を実現。
2021
タイの俊英、ナワポン・タムロンラタナリット監督を世界初の大特集。そのほか、モリタ映画を語り尽くす「森田芳光70祭」、クロージング作品として上映した熊坂出監督の『プリテンダーズ』などの回のチケットが即完売、大きな話題に。
2022
生誕100年を迎えたイタリア映画の巨匠、ピエル・パウロ・パゾリーニ監督の大特集「ようこそ、はじめてのパゾリーニ体験へ」を実施。また3月に逝去した青山真治監督の初期5作品を緊急特集。『J005311』が満場一致でグランプリを獲得。
2023
27年ぶりのPFF来場となった、アルノー・デプレシャン監督を特集。『女囚701号 さそり』主演の梶芽衣子さんとのスペシャルトークが話題に。また第50回PFFに向け、1970年代から10年区切りで、その時代や歴史を体感する企画がスタート。